3 ステータス画面が見えるようになりました

 私は、豪奢ごうしゃなビロードの布で彩られた天蓋のついたベッドを抜けだし、鏡の前に立った。

 鏡の中には、文句の付けようのない美少女が立っている。


 丁寧に整えられた縦ロールの金髪。

 細く、つり上がった眉。

 眉の下の目も、パッチリと大きな二重だけれどキリリと目尻がつり上がっている。

 青灰色の瞳は、理知的な輝きを放ってはいるが、冷たい印象を与えないと言えないこともない。

 つまりは、品が良さそうだが、意地悪そうな美少女だ。


(お肌がツヤツヤ……、前世のくたびれた姿から、若返っている)


 これが、今の私。

 公爵令嬢エレイン・ド・サヴァティエの姿だ。

 前世の自分の姿を、今はもうはっきりとは思い出せない。

 けれど、「美少女」と言われた記憶はないし、学校や会社でもてまくった経験は皆無だから、おそらくは凡庸な、そこら辺によくいる、ごく普通の日本人の容姿を持っていたのであろう。

 その頃の自分と比べると天と地の差だ。

 外見からも知的であることが伺える、申し分のない公爵令嬢。

 試しに、以前、ヴァレリー嬢に注意をした時の台詞を鏡の前で再現してみる。


「誰にでもいい顔をするのは、誤解を招くことになりかねませんわ。あなたのためにも、相手のためにもなりませんわよ」


 精一杯、相手のことを思って、慈悲の気持ちを込めながら言ってみたつもりだ。

 だが、鏡の中に映るのは、キツい台詞で相手を追い詰める、意地悪な令嬢だった。


(このちょっと低めの落ち着いた感じの声もいけないのかしら……。それともしゃべり方? この世界での私は、国内で最高水準の淑女たるべく教育を受けているわけだから、どうしても隙のない話し方になってしまうのよね)


 一方、ヴァレリー嬢はどうだろう。

 彼女の外見を思い出してみる。

 桃色がかった金茶色のふわふわの巻き毛。

 ゆるやかに弧を描く、ほどよい太さの薄茶色の眉。

 真ん丸で大きく、目尻が下がっていて、いつも笑っているように見える、柔らかな目元。

 薄紅色の口元も、いつも笑みを浮かべているかのように、口角が上がっている。

 典型的なヒロイン顔である。

 もともと、身分の高い家の生まれではないから、貴族の令嬢にふさわしい話し方の指導も満足に受けてはいないのだろう。

 しかし、そのたどたどしさがかえって、誰からも愛される、嫌味のない話し方に繋がっているのかもしれない。


(これが、設定の違い……と、いうものかしら。私は、悪役令嬢となるべく、外見も含めて設定され、彼女は誰からも愛されるヒロインとして、外見を設定されている……)


 もう一度、鏡の中の自分を見つめ、無理やり笑みを浮かべて見せる。

 しかし、鏡の中には、何かの悪事を企んだような笑みを浮かべたご令嬢がいた。

 私は、拳を作って、ドンドンと鏡を叩いた。

 高価そうな金細工に縁取られた鏡が、グラグラと揺れる。


(……って、そりゃあ、そうよ! ゲームなんだから! 仕様書があるのよ! 私をこのようなキャラデザにするよう指示している仕様書が!)


「お嬢様、どうなさったのですか? お嬢様!?」


 私が鏡を叩いた音に驚いたのか、一人の侍女が部屋の中に飛び込んで来る。

 小さな頃から私に仕えてくれているアンナだ。

 アンナに視線を移した私は、驚きのあまり思わず、言いかけた礼の言葉を引っ込めた。

 アンナの前に、半透明のウインドウが浮かんでいて、文字や数字が書かれている。

 アンナの上半身に被さるように、不自然に宙に浮かぶウインドウには、次のような文字列が書かれていた。


 ――――――――――――――――――

 名前:アンナ・カロー

 種族:人間

 職業:侍女


 HP:30

 MP:1


 STR(力):8

 VIT(体力):11

 DEX(器用さ):13

 AGI(敏捷性):10

 INT(知性):12

 ――――――――――――――――――


(アンナは普通の人間で、魔力は使えないからMPは1しかない。侍女として料理や裁縫、掃除が得意だから器用さは比較的高め。公爵家に長く仕えている侍女だから、それ相応の知性を備えている。力は女性だからあまりない……って、冷静に分析してしまったけど、何コレ……!)


「ちょ、ちょっ……ちょ、これって……ステータス画面……!?」

「……お嬢様、大丈夫ですか?」


 アンナが心配そうに私の顔を覗き込む。

 アンナの頭の上には、「称号:サヴァティエ家侍女長」という半透明の文字も見える。


「だ、大丈夫のような、大丈夫じゃないような……」


 私が前世の記憶を思い出したのが、きっかけなのだろうか。

 前世でゲームをプレイしていた時に見えていたのと、そっくりなステータス画面まで見えるようになってしまった。

 そう、まさにステータス画面だ。そうとしか、思えない。


「ねえ、アンナ、驚くと思うけど聞いて。この世界は、ゲームなのよ。『聖なる乙女と光の騎士のマリアージュ』というゲームの中の世界なの。それでもって、私は、悪役令嬢なの。主人公のヴァレリーをいじめたことと魔女である罪を問われて、婚約を破棄されてしまう悪役令嬢で……、さらに、我がサヴァティエ公爵家は、今後、爵位を剥奪はくだつされて、没落してしまうのだわ!」

「お嬢様、大丈夫ですか? どうか落ち着いてくださいませ、お嬢様」

「婚約破棄――これは、シナリオ上、避けられないイベントだったのだけど……。これから、どうしたら……。ああ、もう一度、セーブした地点まで戻ってやりなおして、なんとかイベントの回避を……いや、だからこのイベントを回避できるルートなんて存在しないんだってば!」


 前世であった当時の、オタクな日本人女性の口調で、次々とまくしたてる私を目の前にしたアンナは、一瞬驚きの表情を見せた。そして、それは次第に哀れみの表情へと変わる。

 同時に、私の脳内に、「ピロロロン~」という情けない電子音が響いたかと思うと、アンナの顔の近くから黄色い星の図形がひとつ落ちた。

 私は目を細めるようにして、アンナの表情からステータス画面の方へともう一度ピントを合わせる。

 ステータス画面の中には、「好感度」という数値も示されている。それが今、「MAX」からひとつ下がったことを理解した。

 気が狂ったとでも思ったのか、あるいは公爵令嬢にふさわしくない口ぶりが原因か、その理由まではわからないが、今、アンナから私に対する好感度がひとつ落ちたのだ。


「お嬢様、今、薬湯をお持ちいたします」


 さすが、ベテランの侍女だ。

 好感度が下がったことなど微塵も感じさせず、落ち着いた表情でそう告げるとアンナは部屋から出て行った。


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