距離感

それから三日と経たない間に仁朗と美咲の関係がギクシャクし始めた。ストーカー被害の件は警察が届け出を受理し和解調停中でもあるため裁判の影響を考慮して周囲も気を遣っていた。しかし人の口には戸が立てられないし喉元過ぎれば熱さを忘れる。次第に二人とも学校に居づらい雰囲気が出来ていた。

山田が彼女を避けるから彼女もこっそり山田を避けていた。

「山田くん。私に気を使わないで。本当にごめんなさい」という言葉が心にあった。

(……でも、私の方から誘ったら、不自然かもね)

キョドる仁朗の様子を見て、そう思った。二人には傍目に見えない形で護衛がついており溝を深めていた。それを埋めるようにクラスのバカップルを連れて登下校していた。それがボディガードであることも美咲はお見通しだ。

山田が彼女の家を通り過ぎようとした時、彼女は山田を呼び止めた。

「山田くん、どうかしましたか?」

彼はただ「何でもない」と言った。

「山田くん。私だけの彼氏になってください」

美咲は彼の目線がボディーガード女の胸元に向いていることを察知した。

そして、少し間をおいて呟いた。

「もう一度だけ言うわ。一生。私だけの彼氏になってください。」

彼女は山田の言葉を聞いて驚いた。

「なんで、僕なんかにプロポーズするんですか?」

彼女はそんな事を聞いてみたかったのだ。

しかし、山田は「違うんだ」と彼女に言った。

「彼氏なんかじゃない…結婚しよう」

彼女は何か隠し事をしているような気分になり、山田を見た。

さっきの言葉は本心でないらしく、山田はあははは、と笑いながらこう言った。

「違うよ」

「私だって貴方の本当の彼女じゃない」

美咲は本心をうちあけた。

「そんなこと、信じられるかな?」

山田は彼女をまっすぐに見た。

「私、あなたの本当の彼女じゃないよ。誰にでもできることだと思う」

美咲は怒っていた。

「あなたも私の本当の彼氏じゃない。誰にも本当の彼女に出来ない」と言った。

山田は黙って、肩を震わせていた。そして口を開いた。

「いや…だから俺は彼氏以上の存在なんだ。」

美咲は「でも違う。私は貴方の本当の彼女ではない」と言い続ける。

仁朗ははっきりと気持ちを打ち明けた。「君は母の生き写しだ。昨日、母のサードアルバムを教えてくれたろう。あの曲だよ。俺はピンとくるものがああった。それで聞き惚れたよ。何度も何度も…」

それで、母親の遺言を発掘したというのだ。

「お母さんは何と?」

美咲はそっと耳を澄ました。仁朗がもし間違った答えを述べるのなら兄の元へ帰ろうと思った。きれいさっぱり山田を忘れて新しい恋を見つけよう。

だが、そうでなければ…。

「食、見る?NO!君HEY!。あの曲名はチャラいネーミングじゃない。食はイート、見るはシー、あとはそのまま『…の君へ』。つまり、いとしのきみへ、と読むのが正解だ。あれはファンの男子が思い描く理想の彼女に宛てた歌ではなく歌だったんだ!」


ガシャン、と何かが崩れ落ちた。幾重ものわだかまりが音を立てて壊れていく。

「でも…あたしは…」

美咲は重大な秘密を胸の内にしまっておくべきかどうか迷った。

しかしボディガードの女がサッと一枚の書類を取り出し黙って山田に見せた。

「やっぱり、そうか! 君は…」


彼女は本当の親族でもない人間に告白する勇気がなく、なかなか前に進めなかった。

「そうよ。異父兄弟。血縁者は日本の法律では結婚できない。ごめん」

脱兎のごとく駆けだす。後ろ髪がふわりと浮き上がり、涙腺が放物線を描いた。


次の日、彼女は山田を待っていた。

彼女はプロポーズの日を待っていた。

「もう、待てないよぉ」と彼女は言った。

彼女にとって山田の言葉は絶対に受け入れなくとはいけない告白で、それはくっきりと彼女の心に影を落としていた。

「待てない」「今日だけだよ。今日だけ

」彼女は少し泣きそうになりながら山田の事を待った。

山田はしまったと言うように、彼女から離れた。

「もう、やめようよ」

彼女はそう思って、「待てるなら今すぐ来てよ」といった。

彼女は我慢した。

「どうなっても知らないよ」「今までみたいに、私を誘ってよ」彼女はそう言った。

彼女は山田の気持ちに諦めようという気持ちもないまま、山田を呼び出した。

「山田くん、今日こそ本当、プロポーズの日だから」

「今日だけだよ。親父は君を認知しなかったそうだけど、法律は法律だからね」

山田仁朗は釘を刺した。日本の民法では親が離婚しようが養子縁組に出そうが保護者責任遺棄しようが、一度つながった血筋は切れない。

異父母兄弟同士である事を知らないまま結婚してしまっても血縁者である事実が判明すれば婚姻届けは無効となる。

だから、一日だけのプロポーズ、たった一日。週末限定の夫婦関係。

ぱあっと白い噴水がわきあがり、しぶきが美咲にかかる。

「今すぐ、来て」

山田の言葉を聞いて彼女は「うん、行くから」と言って距離を縮めた。

「俺達、毎週、夫婦でいよう」

彼女は彼の言った事をしっかりと胸に刻み込んだ。

彼女は「早くしなくちゃ」と言って山田を見た。

「待って」

山田は少し遅れて、彼女の前から離れた。

つかずはなれずのおいかけっこ。公園からつづらおりの坂道を下ると新緑に隠れた一軒家がある。

そう、カップルのカタチにはいろいろある。

家庭内別居、偽装離婚、政略結婚、契約婚、通い妻、若いツバメ、ヒモ。

レンタル彼氏彼女。


そして、『事実婚』


しあわせの数はこれからつかもうとするチャンスの数だけある。

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かのでり。 水原麻以 @maimizuhara

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