引っ越し大好き中本さん

 引っ越しと言えば、中本さんを抜きに語れない。私が監査法人に在籍していた10年余りの間に4回の引っ越しを経験した。それはすべて中本さんが主導している。事務所の引っ越しだけでなく、中本さん自身もプライベートでは毎年のように引っ越しをしていたらしい、無類の引っ越し好きだ。中本さんは、パートナーと呼ばれる監査法人では最上位の職位にあるが、万年2位のポジションでトップの座を奪えずにいた。当初はわからなかったが、人としての心に欠けている点で信頼が得られていないことが要因になっている。※あくまで私見です。

 

 中本さんの引っ越し好きも半端なものではなく、事務所の引っ越しが落ち着いたなと思ったところで、次の引っ越しのプランを練り始めるという、常人では考えられない行動である。きっとご先祖様は、農耕民族ではなく獲物を追って住む場所を転々としていた狩猟民族ではないかと勝手に妄想している。本職の監査の仕事をしているよりも引っ越しプロジェクトに携わっている時の方が生き生きとして、目の輝きが桁違いである。机や椅子などの備品も新しいものを購入して、最新のトレンドをアピールしてみたり、新しいスペースを作って用途を自慢げにスピーチしてみたり。どこから資金が捻出されているのか、その投資分を給料に反映してほしいとか、職員の間では賛否両論あった。付き合う職員たちも毎回、荷造りして引っ越し業者に引き渡しをしなければならない。この日本において、遊牧民のような生活であったし、一生分の引っ越しをした気分である。


 引っ越し後、中本さんは

「事務所どう?快適でしょ。次回はもっとハイレベルの物件と内装にするから楽しみにしてて。」

と言って回るのである。このエネルギーはどこから来るのだろうかといつも思う。

中本さんは仕事の絡みがなければ、気さくに声をかけるおじさんなのだが、いざ仕事となると味方ではなく、いつの間にか敵になって後ろから刺すという、何とも恐ろしい人に豹変するのである。


 「ズラの長野さん」に登場した凄腕監査人「垣田さん」もその豹変した中本さんの被害にあった一人である。垣田さんが担当していたクライアントで、ある会計処理が問題になっていた。垣田さんはクライアントの将来も含めて、あるべき会計処理をするよう会社に説明をする予定であった。これは事前にミーティングを行い監査チームの意見として合意を得たものである。

 当日、垣田さんはクライアントの取締役を前に打ち合わせをした通り、会計処理の説明をした。

「監査法人としては、このような考えで提案したいと思います。クライアントの状況、将来のこと、総合して勘案した結果の意見です。いかがでしょうか。」

すると、取締役は

「う~ん。わが社としては今まで通りの処理で通したい。間違った処理だというのは理解しているが、変更することで様々な部署に影響が出てしまう。ここは、先生がたにのんでもらって納めてもらいたい。」

垣田さんは

「そうですか。取締役がお考えの内容も理解できますが、御社は上場会社で社会的な影響も大きいこと、、、」

と話す垣田さんに割って入るように、傍観していた中本さんが

「お~!取締役。さすが御社のことを第1にお考えで、やはり長年取締役をやっておられるだけありますな!そこまでおっしゃられるなら、我々も御社のお考えを尊重いたしますよ。垣田!何をそんな頭の固いことを言っているんだ!取締役の言うとおり、会社のことを思うなら現状の処理を受け入れる方法も一つだろ。そんなことも読み取れないなら、会計士失格だぞ。」

垣田さんは唖然として声も出なかった。昨日のミーティングで垣田さんのプランを絶賛していた中本さんはいずこに。。。それとも、取締役とグルになっているのか、はたまたキックバックをもらっているのか、疑ってしまうのである。見事に背後からの一撃であった。


そんなこんなで、中本さんは人望がなく今日も唯一のお友達である引っ越し図面を相手にニヤニヤしているのである。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ある会計士のコメディな日常 おおくまとみこ @yuyukoala

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ