瞬発力の水上くん

 私の同期に水上くんがいる。とても変わった経歴の持ち主である。地元で有名な高校を卒業したのだが、大学進学はせず、ゲーマーとして生計を立てると決め、3年間没頭した。その後、このままでは一生過ごせないと気がつき、1年の浪人生活を経て、これまた偏差値の高い有名大学に一発合格。同年齢の同級生は大学卒業の年に入学したのだ。さらに大学在学中に会計士試験に見事一発合格という、「瞬発力」の塊のような人物が水上くんなのだ。


 頭はいいことはわかるのだが、実際の実務となるとまったく能力が発揮されなく、まさにコメディの連発と言える仕事ぶりだった。


 入所1年目の水上くんは、配属された監査チームで数々の笑劇行動の伝説を残している。大手監査法人は、東京に本部、地方に拠点事務所がある。その拠点事務所のトップは「所長」と呼ばれる。


 とある監査現場で、この日は所長も同行しており、いつもとは違う空気感が漂っていた。チームは6名、会議室で所長と水上くんは対面で座る配置となった。所長は、クライアントの状況を現場責任者であるマネージャーに聞いていた。事業を拡大しているクライアントだったため、話す内容も多く30分を超えていた。静かに話す声だけが響く部屋に、「スー、スー」という音がする。。。よくみると、水上くんが完全に目を閉じて腕組みのまま眠っているではないか!所長の面前で大物ぶりを発揮した最初の出来事だった。

所長は呆れていたが、虫の居どころが良かったのか、大目玉をくらわずに難を逃れた。幸運な男である。


また別の監査現場では、取締役会の議事録を先輩会計士から手渡され、コピーをとるよう指示を受けた水上くんは、あろうことか物が乱雑に置かれている上で議事録を開き、必要なページだけ抜き取ろうとした。ファイルリングを開こうと力を入れた瞬間、手がツルリと滑り、勢いよく近くのコーヒーの紙コップに当たって、見事に議事録めがけてコーヒーが撒き散らされたのだ。「あっ~!」っと声が出た時はすでに遅し。大事な議事録はマッチャッチャ。

周りの監査チームメンバーも「おい、おい、何やってんだよー!」と、何てクライアントにお詫びするか、困り果てた様子。結局、マネージャーと水上くんがクライアントの部長のところへ出向き、何度も謝って許してもらったそうである。


 また監査法人では、1人1台ずつパソコンが貸与されるのだが、セキュリティ管理のために、個々人でパソコン起動時に暗証番号を入力することになっている。何と水上くんは、パソコンの画面に暗証番号を記載した付箋を貼り付けているのである。定期的に暗証番号は、変更するよう強制的に指示されるので、そのたびに付箋を張り替えているのだ。まるで、預金通帳に暗証番号を記載しているようなものである。なぜこんなことになったかというと、入所1年目、水上くんは、何度も暗証番号を間違え、パソコンがロックしてしまい、東京の情報セキュリティ本部へ連絡をし、ロック解除してもらうやり取りを、1か月の間に数回繰り返した。仕事に支障をきたすので、考えた水上くんは、パソコンに付箋を貼るという荒業を考え出したのだ。


私が直接、水上くんと仕事をしたのは数えるほどだったが、一番印象深いエピソードは、実査と言われる監査手続きの話である。

実査とは、会社の事業年度末日にある会社の財産、手持ち現金、切手や小切手、手形などを実際数えて、帳簿上の金額と合っているか確かめる手続きである。

その日、私が所属する監査チームは、商社であるクライアントの実査に行き、10人で現金や小切手、手形などの現物を数える作業を行った。大量にあるので、2人1組で分担をして行うのだが、私は水上くんと組み、金の延べ棒と金塊を数えることになった。クライアントによって保管状況は様々であるが、このクライアントでは、金塊をハンカチに包んで小学生のお道具箱のような茶色の箱に入れて金庫に保管していた。テレビでよく見る白手袋で厳重な取扱い…という感じはまるでなく、担当者が素手でハンカチを広げ、机に直接並べるといった扱いであった。この程度であれば、そんなに緊張して取り扱わなくても大丈夫と思い、私はいつもの実査の感じで取り組もうと準備をした。

ところが水上くんは、

「うわ~!金だ!俺、手を洗ってくるわ。」

と言って部屋を出ていった。いやいや、そんな厳重じゃないんで、さっさと片付けようよ。と私は心でつぶやき、てきぱきと金塊を数えていった。しばらくして、水上くんが、ハンカチで丁寧に手を拭きながら部屋に入ってきた。その時点で、すでに金塊は数え終わり、元のお道具箱のような箱に収まっていたのである。

「えっ!!金塊は??」

水上くんはビックリした顔でこちらを見た。

「手をご丁寧に洗われていらっしゃる間に数えてしまいましたよ。」

と私が答えると、

「え~!!数えたかったな~。金塊だからキレイな手じゃなきゃって思ったんだけどさ。」

と、とっても残念そうにそのお道具箱を眺めていた。


 これらは、十数年昔の話である。あれから水上くんは、書ききれないほどの数々の伝説(?)を残し監査法人を去った。独立した彼は様々な仕事をに就き、現在も会計士として活動しているが、自由気ままに水上ライフを楽しんでいる。

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