第2話 女の決意
この先、徳川家康の嫁になって死ぬ運命に気付いたあの日から1年が経った。
私は数えで3歳になる。ハイハイだった私が歩いたり走ったり出来る様になっていた。覚悟を決めたものの、まずは人並みに成長することで頭がいっぱいだった。
発音を練習して、言葉もある程度喋れるようになった。でもあまりにペラペラと喋りすぎると怪しまれるので、2個上の兄、鵜路丸よりも賢くならないように気を付けている。
「あれ、なあに?」
「おなか、すいた!」
「かわや、どこ?」
など二語程度に納めながら、両親や家臣にどんどん話しかけては学んでいる。
周りには好奇心旺盛で発達の早い子供として可愛がってもらえてるのがありがたい。
新緑の間から木漏れ日が差し込む庭をみながら、今日は女性陣で筝を奏でていた。
私はその周りで筝を触ってみたり、一緒に歌ってみたり、うろうろと歩いたり、自由に過ごしていた。
侍女の摩耶と厠から戻ってくると、皆で瀬名の話をしていた。
「姫様はもう樋箱で用を足せますし、嫌々言うこともありませんし、手がかからなくて本当に助かりますわ。」
筝の前に座り直した私を見て、乳母の笹が言った。膝当てに体重を乗せながら母も大きく頷いた。
「長男の正長の時は大変だったものね。我が子は三人とも性格がバラバラで愉快だわ。」
母と笹が顔を見合わせてクスクスと笑った。
「瀬名姫様は言葉も早く、筆も箏にもすぐに触ってますし、いずれ器量良しになられるでしょうね。」
「今川一門か国衆か、駿府ではない他家か。どこに出しても恥ずかしくない姫に育てなくてはね。」
みんなでもう嫁入りの話をしている。
侍女の摩耶たちも嬉しそうに聞き耳を立ててるのは、女児がいる家の定番の話題だからだろう。
身構えた私はピンピンと鳴らしていた筝に触れる手を止めて母達を見上げた。
「せな、どこかいく?」
「ええ、いずれはどこかの殿方の嫁になって今川家、関口家の繁栄のために尽くすのよ。」
家のために嫁ぐのがここでの常識なのかもしれないが、前世の記憶が残る私には勘弁願いたい。
「すきなひとがいー。」
自由恋愛を訴えてみる。前回はまともな恋愛をすることもなく終わってしまった。今回こそ結婚して愛し愛される幸せな家庭を作りたい。
「瀬名姫様、好む好まざるの話ではございません。家のためにと思って慕わなければならないのです。」
にっこりと微笑む笹にバッサリと斬られた。
「母様は氏興様に嫁いで、長い時間を過ごすほどに好ましく、愛おしくなったわ。瀬名も嫁げば情も愛も芽生えるものよ。」
母の名奈が少し赤らめた頬に手を当てながら言った。
だけど、時間をかけて好きになった男に子供諸共殺されるのは悲劇でしかない。
斬首される予定の家康以外の安全な所に嫁げないだろうか。
「せなは、だれのよめ?」
「誰が良いからしらね。悩むわ。」
今川家は滅びるので避けたいし、武田家も滅びるので却下。豊臣秀吉に征伐されたがになんとか生き残ったのは北条家だろうか。
「ほうじょうけはー?」
「北条家に行くとしたら瀬名姫様ではなく、嶺姫様など太守様の娘が行くことになると思います。」
大名の娘ぐらいランクが高くないと嫁げないらしい。笹が首を振りながら答えてくれた。それに母が続く。
「瀬名は北条家の嫁に行きたいの?」
「…うーん…おだやかなとこ、がいい…」
「それなら今川家一門に嫁ぐのが一番安全よ。他家にいくなんて人質にいくようなものなんだもの。」
「そっか…。」
その今川家がいずれ滅ぶんですよ、とは伝えれない。私はただ頷いた。
「それに東駿河を占拠したままの北条に嫁ぐなんてとんでもない。北条から近いうちに奪還するために戦になるわ。」
「いくさ?」
「ええ。北条とは10年前の大戦からずっと小競り合いが続いているのよ。武田がついているから次こそは勝てる戦になるはずだけど。」
静岡県の東にある東駿河は城を落とされ北条の支配下にされてしまったらしい。戦国の世らしく、獲って獲られての戦がおこるみたいだ。
「瀬名姫様が嫁ぐとしたら甲駿同盟を結んでいる武田家はいかがでしょうか。」
「武田も駄目よ、笹。海もないし、山ばかりの土地よ?戦は強いけれど、戦しかない武田の一族や重臣に嫁いでも瀬名が苦労するだけだわ。」
笹の提案にも母は大きく首を横に振った。
戦に巻き込まれない離島で生まれたかった。この時代に飢える心配がないだけ感謝しないといけないのだろうか。このまま城の中で平和に暮らせたらいいのに。
「せな、ずっとははうえの、そばがいい!」
「そうね。母様もそれが一番嬉しいわ。」
「ちちうえと、ははうえと、ずっといっしょ!」
私が母の膝に甘えるように座ると、幸せそうに目を細めて撫でてくれた。
「乳母兄妹にあたる笹の嫡男にでも嫁がせようかしら。いずれ関口家の重臣になるでしょうし!」
「うふふ、さすれば麻早様と瀬名姫様はこの城でいつでも会えますね。」
いい考えだと、笹も周りの侍女たちも頷いている。ただ私を抱えたままの母の顔はどこか寂しげな色を浮かべていた。
「瀬名、あなたは氏興様写しの顔だからきっと美しくなるわ。それに見合う振る舞いを身につければ、あなたの望む人と結ばれる。」
「ははうえ…。」
「輝く玉になりなさい。男に振り回されるのだけでなく、少しでも自分の意思を貫けるように。」
「…せな、ぎょくになる!」
憂いの帯びた母の表情は、きっとこれまでたくさんの苦労があったのだろう。
母の言葉は私には一筋の光が降りてきたように思えた。
私が美しく、教養もあり、価値のある女になれば家康の嫁になるのを拒否できるかもしれない。
もしかしたら、家康に嫁ぐのは別の人になる可能性だってある。今川義元様の姪は私以外にもたくさんいるのだから。
でも、私はこの今川関口家の姫として生まれてきた以上、誰に嫁ぐにしろこの乱世を生き抜かなければならない。
外交や家のための道具じゃなく、一人の人間として生き抜くために、自分を磨き、力をつける。私の目標が定まった。
元喪女には難易度が高いが、宝石ほどの女性になるしか生き残る術はない。
「楽しみにしているわ。」
母が腕の中にいる私を見ながら笑った。
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