第3話 おことは姫の嗜み
私は数えで4歳になった。
階段も上がれるし、お箸も持てるようになった。筆を持って絵も描いたりできる。
それに合わせて
前世で3歳といえば、砂遊びやおままごとに目覚めるが、言葉がまだ拙いよたよた歩きの幼児のイメージである。
そんな幼い子供の頃から詰め込み教育を始めるなんて、習い事ママもびっくりだ。
桜が満開になった庭を眺めながら、
「瀬名姫様、今日は
「はい!せんせい!」
春の陽気の中で侍女の
「この、一二三の弦を左手でトンっと摘んで、四五六弦を順に、右手の薬指でカラリン。そうそう。」
「七八の弦を左手でシャンっ!そして右手の人差し指で六弦から下までシャルルーンとおろしたら…。」
「こうですか?」
「ええ。後はこれを繰り返すだけですよ。」
最初は慣れなかった爪を使う手も、音域を把握する頃には滑らかに移動出来る様になった。
前世でピアノを少し習っていたこともあって、頭に入ってきやすい。
摩耶の見本や、擬音過多の説明が自分に合ってるのもあるだろう。
「姫様は覚えが早いですね!」
「ありがとう!せんせいのおしえのおかげです!」
「瀬名姫様に先生と呼ばれるのは面映うございます。」
恥ずかしそうに摩耶が耳を赤く染めた。
「笹様に師事して頂いただけで、免状はもっていないのですから、先生と呼ぶのはおやめくださいませ。」
照れながらも本当に困った顔をしていたので、分かったとすぐに頷いた。
「…それより、瀬名姫様は筝に合わせて歌うのもすぐ出来そうですね。」
「うたがあるの?」
「ええ、続いて歌ってくださいませ。」
「はいっ!」
歌いながら箏を奏でるなんてなんてかっこいいんだろう。ギターの弾き語りに憧れていた私はワクワクしながら、耳を傾けた。
「…春ぅの ィやよいのォ あけェぼォのにィー」
「はぁーるの やぁよいのぉー あけぇぼのにー」
可愛らしい声とは裏腹に摩耶ははこぶしをきかせていて、想像以上に癖が強い歌い方だった。
「四方ォのゥ 山べをォ 見わたァせばァー」
「よーもぉの やぁまべをぉ みわたせばぁー」
歌詞もラブソングとかではなく、四季について語っている。
「花盛ァりーかも しィら雲のォー」
「はなざかりーかも しらくものぉー」
期待していた音楽との違いにギャップを感じてショックを受けた私だったが、教養のためだと割り切って黙々と歌と箏を覚えていった。
「姫様が越天楽をこの短時間で弾いて歌えるなんて、思ってもみませんでした。他の曲を用意してませんので、今日はここまでにいたしましょうか。」
「まや!しじしてくれて、ありがとう!」
「恐縮でございます。瀬名姫様、箏は片付けますか?もう少し触りますか?」
「あとすこしひくー!」
「承知いたしました。横に控えておりますね。」
弾けるのが嬉しくなった私は、越天楽の練習が終わった後も、音を鳴らして遊んでいた。
ただ弦を鳴らしているだけだとドとファがなかったり、半音下がっていたりしたが、両手を使うことで耳に慣れた色んな音が出せた。
ドレミファソラシド、と音を確認したり、指を動かしていく。
強く風が吹いた時に散った桜の花びらが筝の上に舞い降りた。
過去、仕事帰りの公園で見た桜の花吹雪と重なり、ひどく懐かしい気持ちになる。
郷愁に駆られた私は筝を鳴らして口ずさんでしまった。
「さくら さくら やよいのそーらは みわたす かぎーり かすみか くもーか においぞ いずーる いざや いざや みにゆーかん〜…」
死ぬ前の私が子供の頃、母が歌ってくれていた曲だ。あの時はピアノだったけど、今の箏の音色は繊細で、消えかかった余韻の音に泣きそうになる。もうあの時には戻れないと、心の奥で感じてしまった。
「瀬名姫様…。急いで、
「ははうえを?どうして?」
目を見開いた摩耶が、急いで立ち上がって私に告げた。
「姫様の演奏をすぐにでも見てもらわねばなりません。わたくしの技量では今後、教えることはできませぬから。」
「えーっ…」
私がポカンと口を開けている間に摩耶は部屋から出て、廊下を急足で渡っていった。
ーーーーー
「瀬名、さきほどの曲をもう一度弾いてみなさい。」
急に呼び出された母が片足で座ると、扇子をくいとこちらに向けて催促した。
「はい…。」
堅苦しい雰囲気の中、私はもう一度さくらさくらを弾きながら歌った。
音を奏で始めると、「ほぉ…」と感嘆の声が耳に入った。
目を合わせるのが怖かったので、弦と自分の指だけを見つめて、一気に歌いきった。
終わった後に、小さくため息をついて顔を上げる。満面の笑みの母がそこにはいた。
「瀬名…貴方は
「え…ちがいます!」
古い曲だと思って演奏してみたものの、戦国時代にはなかった曲だったようだ。作曲したと、勘違いされてるので必死で私は否定した。
「では、今の曲はどこで知ったの?」
「えっと…あたまに、うかんできて…」
「そう。
「ええっ!そんな、さいはないよ…せんせいも、いりませぬ!」
私が手と頭をブンブンと横に振るも、母に頭を両手で掴まれた。目を逸らすことはできない。
「京からきた箏の名手に気に入られたら、駿府の館でしっかりと教えて貰えるのよ。瀬名は宝になるのではないの?」
「そうです、姫様。才も機も誰にでも巡ってくるわけではないのです。」
摩耶も母の横から必死に訴えていた。
飽き性でピアノを途中で辞めてしまった自分に音楽の才能があるとは到底思えない。ただ、前世の音楽の知識や記憶のアドバンテージを活かすチャンスが目の前に出てきたのも事実だ。
「…わかった。…せな、やりまする!」
私が決心して目を見つめると、母の眉尻が自然と下がった。
「よく言ったわね。それでこそ我が娘。夜に殿にも伝えとくわ。」
「ちちうえにも?」
「ええ。三日に一度は
「は、はい…。」
トントン拍子で私が駿府に行くことが決まった。父はとても喜んでくれてその日に文を出し、数日もたたないうちに箏の先生に会うこととなった。
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