Chapter-2 エレウシス-I




男がいた。


男は貴族であった。


明確な種族間のヒエラルキーが

存在する皇国領内において,


男は特権を保証されていた。


出世方法は存外に簡単であった。


貴種の血統。

幼少期から培った社交力。

某地の少数部族が,能力発動に至る

プロセスの研究。


後は財政を勉強し,

それらしい界隈に顔を出すだけ。

「正統派」の格式を学び,

天族達に重鎮と謁見する。

恭しい振る舞いで大乱期の武勇伝を

聞いていれば充分であった。

幸いにも液族である以上,

戦闘でも人間種を遥かに凌駕していた。


典型的な, 名士。

裏社会にも若干の融通が効く。

目下の上流居住区では, 闇に紛れて

如何なる業が交わされているのだろう。


夜の皇国分都は煌びやかに繁栄の灯を照らし,

北版図より遥々伝来した絨毯が暖をもたらす。


昨夜の晩餐会で, アペリティフに用いられた

マディラ酒を再びグラスに注ぐ。


部屋の隅に並んだ少年達は,

脂燭を持ちながら謳っていた。


♫ 夏の夜は

まだ宵ながらあけぬるを

雲のいづこに月やどるらむ


意味深淵な聖歌(?)の羅列が続く。


壁の油絵には頬杖を突いた

「黒翼」スワンが描かれている。


(天使様の助力が無ければ,

今の私の地位は無かったかもな)


男は内心嘯く。

スワンの瞳に塗り固められた絵具は,

余りにも赤かった。


今や天の御使として,

皇族に度々干渉する超法規の人外、天使。

政治・軍事以外の《種族位階》等といった

問題を司る枢密院は

事実上天使達の羽休めに使われていた。

第3位階天族「白翼」等を除いては。


堕天以前より

天族達を信奉する皇国からすれば,

異論など生じる余地も産まれず。

版図の信仰を集約させる絶好の契機だった。

「塔」や「僧院」の発想も,

天族の俗世との隔離化に

功を奏したと考えられる。

然し, 他の院や一部の皇族からは

反発の声が絶えない。


だがそれは, 政治の中枢である

皇都で済ませれば良い問題だ。


一介の分都貴族である

男には無関係であった。



各学院を始めとする主要な機関で用いられる, 超常の技術で産まれた皇国専用端末が鳴ると, 男は指で合図をした。


退出を命じられたのは,

先程奇怪な唄を詠んでいた少年達。


彼等もまた,

貴族専用の低級「神官」達であった。

男は「神官」のみが発する

特殊な音の変奏を好んでいた。


周囲に側耳を企てる者の不在を確認すると,

男は話し出す。

男よりも活気に満ちた,

若い青年の声が端末より流れ出る。


お久しぶりです, 閣下。

折り返し連絡させて頂きました。


(ああ, 私だ。早速だが, セモット君の調子はいかがかね?)


...相も変わらず詩作と放蕩に耽っております。


(うむ。いかにも彼らしい。

私が見込んだ通りの繊細さだ)


然し, 奇妙にも

学院での成績はすこぶる上々です。


(才人は能力を隠すのだよ。だからこそ彼を学院に入れた)


言動面ではやはり,

未熟にして粗暴な点が目立ちますが。


(それも彼ならではだ。

セモット君に友達は出来たかね?)


取るに足らない作家志望の男,

学院外の浮浪者と繋がりが見られますが。


(ふむ...まあ良い。つまらぬ連中に彼が毒されなければ良いが)


では, 能力覚醒のケースも想定し,

引き続き彼の監察を行います。


(ああ、待て。

仮に考えられる事態ではあるが...)


何でございましょうか??


(セモット君に

性行為を迫った者には重罰を下せ)


それは...青少年の安全保護規定に基づく要望でございますか?


(違う。貴族の所有物への侵犯は大罪だ。

彼の純潔は穢させまい)


...尽力致します。私はこれで失礼致します。


話していた端末を離すや否や,

別の端末が鳴り。

舌打ちし, 不快な表情を顕にした男であったが

直ぐに端末より語られる内容を傾聴する。

それは, 男が兼ねてから熱中していた

対外勢力の情報であった。


(「群雄」サーヴェトラと死蠟者が交戦を...!?)


確かに。派遣していたエルンゲ達が

記録を転送してきました。


(詳しい話を聞きたい。

今日の予定は全てキャンセルさせよ)


畏まりました。あ...ですが,

嚢友団が主催する

今宵のお楽しみには参加されますか, 閣下?


(いや、良い。

全てをキャンセルと言った筈だ...!!)


...それは残念です。

ソドミ君は閣下を気に入られてますからね。

今日の出し物は罪人を用いた

盛大な拷問劇であるとか。


(彼には後に生贄用の「神官」をプレゼントしてあげよう)


ソドミ君は白翼様の様な藝術家を目指していますからね。喜ばれましょう。

後に記録映像の方をお送り致しますよ。


端末が切れると,

男は仰々しく窓際の椅子に座り込んだ。

貴族は常に優先事項の選択に迫られる。

今宵などは特に。

保身に走る貴族は,

内輪の液族や《種族位階》に固執する。

お楽しみへの参加は,

その不断の意志の現れだ。


己は違う。

分都貴族に甘んじるも良いが,

野望も捨てられず。

今後の趨勢を制する者は,

「群雄」の情報を握る者なのだ。


"嚢友団の会合を蹴られるとは。

何という権力だ。

ソドミの饗宴は後回しに。

さあ, 楽しい夜になるぞ"


戦闘を目撃したエルンゲ達の到着まで,

男は酒杯を片手に夜景を楽しむ事にした。



皇国では, 選りすぐりの美男子達は

時に天使の許可を得て

貴族達に「飼われる」事実に

セモットは気付いているだろうか。

彼もまたその一人であった。

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