ゴールデンウィークの妖精
ナタリー爆川244歳
ゴールデンウィークの妖精
夕方、会社を出た瞬間から気分は上々。ラララと歌い、クルクル踊って、休日のドアをくぐれば、世界が黄金に輝きだす。
ゴールデンウイーク。
素晴らしいネーミングセンスだ。コンビニの陳列棚、ホームに滑り込んでくる列車、閑静な住宅街の一角。いつも通りの景色が今日だけは違って見える。今なら空にだって手が届くよ。そんな気がして。
一生、こんな気分で生きていけたなら、どんなに素晴らしいことか。
とにもかくにも、まずは腹ごしらえだ。
大さじ一杯のごま油を引いたフライパンを熱する。温まったら一度火を止め、近所のスーパーで買ってきたチルドのギョーザを円形にフライパンに並べ、もう一度火をつけ、50CCの水を注いでフタを閉じる。
「蒸し焼きにするってわけですかい、アニキ?」キッチンの床に片膝をつきながら、俺に問うのは、舎弟の駄ン吉。
「おおよ、そのとーりだゼ、駄ン吉! でもなウカウカしてらんねえ、なんてったってギョーザが出来上がるまでの間にタレを作んねえと行けねーからヨ~」
「ええっ、アニキ!! まさかタレを自分で作るんですかい?」
「あたぼーヨ、ギョウザはタレが命だからなァ」
拙宅にはタレがない。よって、自分で作る必要がある。ところで、駄ン吉って誰だ。舎弟をとった覚えはない。
醤油大さじ一杯、酒大さじ一杯、酢とレモン果汁を大さじ1/2杯づつを混ぜ合わせる。そこに大葉を刻むことなくそのまま投入して、タレに漬け込むような具合にする。
ギョーザが焼き上がったら、皿に盛る。白米と缶ビールも用意して卓につく。
「いただきマァーす!!」
元気よく叫んだら、タレにつけておいた大葉でギョーザをくるんで食べるのがポイントである。
「ン美味~い~!」
大葉の爽やかな風味がアクセントになってギョーザのジューシーさを引き立てる。至高。十二個入り百円のチルド食品とは思えないほど美味。
缶ビールも開封する。プシャッ、と小気味の良い音に合わせて、缶から少し泡が吹き出る。ビールでギョーザを流し込む。
「カァー! 生きてるって感じがするぅ!」言わずにはおれん一言。
あれよあれよと言う間に完食。
「手ぇを合わせてください!」小学生みたいに喚いて、パンッ、っと両の手のひらを強く打ち合わせ「ごちそーさまでした」と締めくくる。
洗い物は後回しにして、布団にダイブ。
「しくじったー、酒、もうちょい買ってくりゃー良かったー」
酔いにまかせて間延びした独り言を言う。でもほろ酔いぐらいがええかなー、と思い直して、うつらうつら。
気が付けば、連休最終日の夕方だった。
無為な時間を過ごした。手元に残ったのは、初日に気合を入れて買いすぎた大量の酒とおつまみ、何一つとして消化されなかった「連休中にやりたいことリスト」ばかりである。
落日とともに、かつてのエデンの園は、コンビニで廃棄処分されるおでんのそれになった。倦怠した現実の埃に、世界は埋もれていく。
こんなはずじゃなかった。
「何か、お困りですかい?」
いつの間にやら、薄暗い我が家の中に、白鞘のドスを持った、任侠風の男がいるでないか。闇に溶け込むような色黒の肌に、鋭い目の白色が浮かび上がる。
「うわっ、誰だお前は!」
「やだなあ、アニキ。俺ですよ、駄ン吉です」
駄ン吉――。連休初日にギョウザを焼いているときに現れた、私のイマジナリーフレンド。尋常であらば、想像上のお友達は目に見えて顕現したりしないはずだが。これは連休の魔力のなす業か。それとも、俺の頭がおかしくなっただけなのか。
「アニキのためなら、俺、何でもやりますから。アニキとは同じフライパンのギョウザを焼いた仲ですから」
出来ることなら、時間を巻き戻して、俺はこの休日をもう一度やり直したい。
気が付けば、俺は自分の偽らざる心情を駄ン吉に話していた。いやいや、ギョウザ焼いた仲って。同じ盃を交わした、とかもっと他にあるだろ。と言いたい気持ちを押し殺して。
「ゼータク抜かすな、この棒鱈がぁ!」駄ン吉が白鞘のドス、その柄頭で俺の頭を殴打した。
「世の中にはなぁ、おんどれよりずーっと休みが少のうて、キッツイ仕事してらっしゃる方もいるんじゃ。それに比べておんどれは連休あったやろが! 恵まれとるクセに、何が不満なんじゃコラ! ごちゃごちゃ抜かしとったらなぁ、生爪剥いでヘドロ塗りたくて敗血症にした挙げ句、川に沈めたるどゴラァ!」
耐え難い痛み。頭から流れる血が、視界を赤く染める。なんだよ、駄ン吉。お前は俺を助けてくれるんじゃなかったのか。
「すみません、ついカッとなっちまって」
駄ン吉が申し訳なさそうな顔をしながら、俺を抱きおこした。
「時間を巻き戻すことは出来やせんが、アニキの悩み、解決できるかもしれませんぜ!」
薄暗い部屋の中、PCモニターの光に浮かび上がる男の顔――。
すっかり生気を失った顔。青白い肌は何もモニターの明かりに照らされているからなのか。否。かれこれ十年、実家の子供部屋に閉じこもってばかりの生活が、男の肌から生気と血色を奪ったのだ。
終わらないゴールデンウィーク。
駄ン吉が提案したのは、休日をやり直すことでなく、休日を延長することだった。
仕事を辞めてしまえばよろしい。
男は駄ン吉の提案に従った。念願叶い、と言うべきか、男は果て無き休日を手に入れた。
「ちょっと、聞いてる? 今日はハローワークに行くんじゃなかったの?」
男の母親が、子供部屋のドアを激しくノックする。
「黙れ! 俺は今、パソコンで仕事の勉強しとんねん!」
PCの画面には、インターネットの匿名電子掲示板サイトが表示されている。
「話聞かないんだったら、お父さんに言うからね!」
厳格な人間である父親を、男は成人してからも恐れていた。
「ふざけんな、ババア!」
男は部屋から飛び出すと、母親を突き飛ばした。老いた母親の肉体は男の想像を超えて軽く、弱々しかった。廊下に置いてあったキャビネットに大きな物音を立てて激突すると、首をうなだれたまま動かなくなった。
男はその青白い顔を、さらに青白くして母親のもとへ駆け寄る。
「おい、ウソだろ? しっかりしろよ!」
母親を抱きかかえた男の手が、どす黒い血で染まった。
「どうでしたか、アニキ?」
俺を見下ろす格好で、駄ン吉が問うてきた。いつの間にか俺は膝から床に崩れ落ちていて、体中が脂汗にまみれていた。
「これは、これは一体何だったんだ。いや、そもそも、お前は――」
――ゴールデンウィークの妖精、とでも言っておきましょうか。
「駄ン吉、お前、体が」駄ン吉の体が徐々に透明になっていくではないか。
――アニキ、時間みたいです。もう行かないと。
「待て! 駄ン吉、行くな!」
霧のように音もたてず、駄ン吉は消えた。いつもは手狭に感じるアパートが、今はやけに広く感じた。
あの悪夢のような永遠の休日は、ゴールデンウィークの妖精、であるところの、駄ン吉が俺にくれた贈り物だったのか。俺に教訓を示すために、駄ン吉はこの世に顕現する力を使い果たしたのかもしれない。
休日はたまに訪れるからこそ楽しい。今の休日が終わるのは、次の楽しい休日を迎えるため――。
駄ン吉の死を無駄にはしたくない。そのために、俺は何ができるだろう。
自問自答しながら、玄関を出て仕事に向かう。
誰が死んだって、また日は昇る。当たり前のことだ。でも今は、それがやけに腹立たしかった。
仕事始めから一週間が経ち、金曜日の夕方が訪れた。
「ポイントは、計画通りに行かなくても落ち込まないこと。やることに完璧を求めないこと。少しづつでも積み重ねていくこと、かな」
良い休日を過ごすために、俺は色々な方法を考え実行することにした。それこそが、駄ン吉にとって何よりの供養になるはずだと信じて。不思議と連休前より心が弾んでいる気がする。たとえ世界が黄金に輝かなくても、楽しい気分にはなれるものだ。
俺は自宅の玄関、もとい休日のドアをくぐった。
「アニキ! ギョウザ焼けてますぜ!」駄ン吉が丸皿を差し出してきた。
「いやお前、消えたんと違うんかいっ!」
俺はまた休日を無駄に過ごしてしまいそうだ。でも、それはそれで楽しいはず、多分。(了)
ゴールデンウィークの妖精 ナタリー爆川244歳 @amano_mitsuru
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