『なにもない所から獣のニオイがする』【紫桃のホラー小説】
『オフィスビルの怪異』
作:紫桃
コイツは 一体 なんだ?
ここは都内だと珍しくない高層のオフィスビル。
10階の廊下突きあたりの壁を前にして腕を組み、首をかしげて悩む。
目の前にあるのはただの壁だ。左側には非常階段へつながる非常口はあるが扉は閉じている。壁は白に近いクリーム色をしていて床近くは茶系の補強材仕様、床は隙間なくライトグレーのタイルカーペットが敷かれている普通の廊下だ。
まっすぐ伸びる廊下の先にある建物の端っこ。ここには何もない。この『何もない』ことが変なのだ。
何もないのになんで
ありえない現状を前にして、疑問を解決するため情報を整理していく。
まずこのビル、出入りするにはIDカードが必要だ。1階のゲートでカードを通さないとエレベーターホールへ行くことができないし、常に警備員が目を光らせている。
非常階段を使ったとしても非常口の扉は閉じていて解錠するにはカードが必要になる。出入り口には監視カメラが設置されているからセキュリティーは堅固だし、盲導犬などの補助犬以外は動物の出入り禁止となっている。
それなのに……
どうして動物のニオイがするんだ?
一番奇妙なのはニオイ自体だ。人と生活している動物はあまり
似ているニオイをあげると動物園にいるコウモリで、遠くからでも気づく強烈なものだ。あとは
かなりの悪臭だったのでオフィスに入る前にニオイに気づき、根源をたどって着いた先が廊下の突きあたりだったのだ。こんなに
無の空間を前にして腕を組んで見つめる。
このニオイがすると不安になる。
なぜなら悪いことが起きそうだからだ。
別の会社で働いていたときの記憶がよみがえってきた。
✿
駅の改札から出て、会社へ向かっている道中で
ニオイからすぐにネズミが思い浮かんだ。ごみ回収前に残飯をあさるでかいドブネズミを見たことがあるので珍しいことではない。ただニオイの強さから、かなり近い距離にいそうなことが気になった。
おかしいな。
かなり近くからニオイがしているのに……。
しばらくニオイの正体を探してみたけど、該当しそうなものは見つけられない。始業時間が迫っていたので疑問を残したまま会社へと向かった。
仕事が始まるとすぐにニオイのことなど忘れてしまい、いつものルーチンで淡々と仕事をこなしていった。
定時で仕事を終えて会社を出て駅へ向かっていると
次の日。
通勤中にまた
きのうニオイがした場所から10メートルほどずれたところだ。二日続けて同じニオイがただよっているのは気になる。そこで正体を突きとめることにした。
街路を見たが動物の姿はない。それなら考えられるのは地下だ。側溝にネズミがいて、穴からニオイが漏れ出していると疑った。歩道へ目をやるが穴らしきものはどこにもなく、近くに側溝はないようだ。
ならば今度こそ近くにネズミがいて、どこかに姿を隠しているのかと辺りを探してみる。ところが歩道には、ごみもなければネズミどころかカラスの姿もない。
すぐそばに感じられるニオイは強烈なのに本体がないことが気になる。きのうよりねばって探してみたけど結局見つけられずに時間がきた。もやもやするけど、ネズミの残り香だろうと強引に答えをつけて会社へ向かった。
昼休憩中、デスクでスマートフォンを見ながら昼ご飯を食べていると、女性社員たちのおしゃべりが耳に入ってきた。
「ねえねえ! 近くで飛び降りがあったよ!」
「うそ!」
「飛び降りた人は大丈夫だったの?」
「わからない」
オフィスに入ってくるなり興奮しながら話す社員A。社員BとCはさっきまで静かに食事をしていたのに、二人の声には好奇心が宿っている。
「人だかりに△△社のDさんがいたから『何があったんですか』と声をかけたら飛び降りがあったことを教えてくれたの」
「Dさんはその瞬間を見ちゃったのかな?」
「ううん。後ろで『ドサッ』と音がしたあと悲鳴がして、ふり向いたら人が倒れていたんだって」
「うわ、ほぼ現場にいたんだ」
食事中に生々しい話が聞こえてきて気が滅入る。周りを気にするようすもなく三人の話は続く。
「私が見たときにはもうレポーターみたいのが来ていて、目撃者と思われる女性と話しているのを聞いちゃった」
「えっ! どんな話をしていたの?」
「〇〇〇ビルの非常階段から男の人が飛び降りたんだって。途中で看板に当たってから歩道に落ちたって言っていた」
「うそー! それってヤバイんじゃない? 生きてるのかな?」
「さあ?」
「現場検証とかしてるのかなー?」
現場のビル名が聞こえたとたん、スマートフォンをさわっていた手が止まり、食べていたサンドイッチをごぎゅっと変な感じでのみこんでしまった。
〇〇〇ビルは屋上に派手なデジタルサイネージがあるビルだ。会社へ行く途中にあり、サイネージが目に入ってくるのでいつも見ている。そしてサイネージの横にはビル名を掲げているので自然とビル名を覚えていた。
だから……
気づいてしまった。
〇〇〇ビル。
ここは今朝、
いやな考えがよぎる。
たまに
まさかね。
いやいや、そんなことあるわけないよ。
あるわけ……ない……。
でも二日間続けて
あれはネズミだったのか?
それとも……。
そしてあの飛び降りは……
ビルの近くにいた
✿ ✿
高層ビルの廊下でたたずみ、過去にあったことを思い出して不安に駆られる。
ここに
今は居るだけ。
誰にも憑いていないようだ。
変なことが起こらなければいいけど……。
_________
紫桃が執筆しているホラー小説『へんぺん。』シリーズより
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