なにもない所からのにおい
20 幽霊は体臭がある!?
俺――
俺の地元だと、平日は深夜を過ぎれば街から人の気配はなくなる。商業施設があまりないから出歩く客が少ないことが一番の原因だけど、車社会という点も関係している。
ところが東京では遅い時間まで公共交通機関が動いている。電車の最終が0時を過ぎても走るくらい交通の便が発達していると、遅くまで街を楽しむことが可能だ。
新宿の街は明かりは減ることなく
俺のとなりにはひさしぶりに会った友人・コオロギ――
こうして並んで歩いていると俺が東京に住んでいたころを思い出す。
俺は地元へ帰ったUターン組だが、就職する前に東京で職業訓練を受講した。コオロギとは訓練でクラスメイトとして知り合い、数年来の付き合いとなっている。
訓練中は講義が終わったあと、勉強会という名の飲み会があった。強制ではなく行きたい人だけ参加する飲み会の会場は、訓練校の最寄り駅にある居酒屋だった。
毎週のようにある飲み会に俺はよく参加していて、コオロギもたまに参加してきた。飲み会が終われば今みたいに最寄り駅まで並んで歩いたものだ……。
俺たちはさっきまで都庁にいたが新宿駅の前まで戻ってきた。西口ロータリーにはアレがある。今まで我慢していたけど、たまらずにコオロギに言った。
「コオロギ、悪いけど
「どうぞ」
新宿区は路上での喫煙が禁止されていて、屋外で喫煙できる場所は決まっている。煙草を吸うので東京へ行く前に下調べをし、新宿駅付近で喫煙できる場所をチェックしていた。ここで一服だ。
屋外に設けられた喫煙所は、煙が流れにくいように四方をガラスで囲むようなかたちをとり、屋根はなく天井が開いている。深夜なのでさすがに利用者は少なく、距離をとって煙草が吸える。
俺は入り口付近で煙草を吸うことにし、煙草を吸わないコオロギには悪いけど近くにいてもらっている。夜の街に女性一人でいるのは危ないからな。
コオロギのいる方向へ煙が流れないよう風の向きに気をつけながら、至福の時を楽しむ。
「ふふっ。紫桃は煙草のニオイが染みついていそうだな」
「服に煙草のニオイがつきやすいけど、消臭剤とか使ってなるべくニオイは消している。
それでもにおうのか?」
「紫桃は気配りができてるよなあ。
ふつうは大丈夫。服を洗濯したりお風呂に入ると、だいたいは消えるよ」
俺は聞き
「『ふつうは大丈夫』ってなんだよ?
煙草のニオイが特別とれない状況でもあるのか?」
「煙草だけじゃないよ、
ほかにもとれないにおいがあるんだ」
コオロギは歯を見せていたずらっぽい笑みを浮かべ、楽しそうな目をして俺を見ている。コオロギが俺を「紫桃」ではなく「千秋」と呼ぶときは、からかったり、なにか企んでいたりすることが多い。
今回は……俺が『お願い』してくるのを待っているな?
はいはい、子どもだなあ。
コオロギの仕事が終わってから合流し、居酒屋で一緒に酒を飲んだ。飲むペースは速く、けっこうな量をコオロギは飲んでいた。まだ酔いが残っていて機嫌がいいぞ。これはチャンスだ。
「なんだよ、とれないにおいって?」
「聞きたい?」
「頼むよ」
「しょうがないなあ」
コオロギは酔っているとすぐに引っかかる。『お願い』すると気を良くした。あとは話しだすのを待つだけだ。
「幽霊には体臭があるんだ。
新宿で仕事をしていたときのことだけどね――」
✿
新宿にあるオフィスで働いていたときのことだ。
その日は、顧客との打ち合わせや会議などいろいろ重なっていた。対応している社員は席を外しており、自分一人しか残っていなかった。
オフィスにはほかの部署も入っているけど、間にはスチール製の書庫があって区切りになっている。座っていると互いの姿は見えないから、一人でいるようなものだ。
左右に分かれた「ニ」の字でデスクが整然と並んでいるが、席に主はおらず、がらんとしている。もともと静かなチームだけど、人の気配がないと、より集中できて仕事ははかどった。
周りの音が聞こえないくらい没頭していたら、ふわりと香水のにおいがした。
エ〇イスト プ〇チナム?
ひさしぶりに
香水のにおいからオフィスに社員が戻ってきたのかと顔を上げてみた。ところが人の姿はない。
おかしいな?
すれ違いざまに、かすかに香るくらいの香水のにおいがしたんだけど……。
あたりをにおってみたけど、香水のにおいはしなくなっていた。そもそも人がいないのだから香水のにおいなんてするはずはない。さっきの香りは勘違いだったようだ。
再び仕事に集中した。
人がいないからすぐに集中できてはかどる。いつもより早いペースで仕事をこなしていたら、ふわりと香りが流れてきた。
果物のにおいだ……
ん? 煙草?
なに? 石けん??
ちょっと待てよ。なんで人がいるんだよ!
没頭していたから果物のにおいは流しそうになったけど、続けて煙草のにおい、さらに石けんと香りが増えてきたから、おかしいと気づいて仕事の手がとまった。
あわててノートパソコンの画面から視線を上げて、向かいの席や左右の席を確認するけど人が戻ってきた形跡はない。
オフィスに社員は戻ってきていない?
じゃあ…… 背後に感じている人の気配はなんなんだ?
さっきから背後に人がいる気配がして、かすかににおいがただよっている。駅前の商店街にある八百屋さんからするフルーツのにおい。長年煙草を吸ってきた人に染みついたヤニのにおい。風呂上がりのような石けんのにおい――。そんな香りをまとった人たちが後ろにいて、囲むようにのぞきこんでいる感覚がある。
存在を認識した
情報がまとまって、自分の後ろには少なくとも三人の霊体がいると知覚している。幽霊は生きていたときに未練などの強い感情をもったまま亡くなり、体がなくなっても魂だけ現世にとどまっている存在のはず……。
現世にしがみつく理由は憎しみ? 悲しみ?
それとも悔しさか?
どちらにしても、
逃げるべきか、それとも無視するべきか……。
対処法に悩んでいたが、すぐに考えることをやめて、幽霊たちの好きにさせるようにした。
「なにしてるんだろうね?」
「さあ?」
「どれどれ?」
声は聞こえないけど、後ろにいる
感覚的に霊体のサイズや感じられる雰囲気から三人は大人の幽霊。それなのに、まるで子どもみたいに物珍しそうに後ろからのぞいている。
また一つ気配が増えて、高齢のヒトのにおい――祖父母と似たようなにおいをもつ霊体が野次馬するかのように加わってきた。
ノートパソコンを見たことがないのかな?
くすくすと笑いがでそうになるのをこらえて、幽霊たちに気づいていないふりをして仕事を続ける。幽霊とわかっても全然怖くなくて、人間臭さが残っているところがおもしろい。
✿ ✿
「おかしくなっちゃってね。
邪魔しないなら好きなだけ見学しなよ――と無視した」
「はい!? む、無視!?」
「うん、無視。仕事続行、支障なし」
「逃げなかったのか!?」
「えぇ―――? なんで?」
「幽霊が後ろに立つなんて不気味で怖いぞ!
一刻も早くその場から逃げるのがふつうだろう!?」
「
「 !? 」
腕を組んだまま、眉間に小さなしわをよせて、うんうんとうなずくコオロギ。
なんなの!?
やっぱり恐怖の感覚がマヒしていないか!?
煙草の存在を忘れてぽかんとしている俺を見て、コオロギは指さして笑い始めた。
「なんだよ、紫桃!
肩透かしって……。
違うだろ! 『鳩が豆鉄砲を食ったよう』だ!
不気味な話だったのに楽しそうなコオロギを見ると気がぬける。
こっちはぞっとしたっていうのに……。ったく!
「うわっぷ! よせよっ、紫桃!」
笑いすぎるコオロギにわざと煙草の煙がいくように吹きかけたら、両手をばたばたさせて紫煙を懸命に払っている。
煙でいやがらせをする俺に子どもだなと笑っているけど、コオロギには言われたくないぞ!
「うわっ! 紫桃っ、やめろよ!」
またふぅ―――っと煙草の煙を吹きかけたら、まるで蚊を追い払うように一生懸命に手を振って離れていった。
コオロギはじっと見ながら頬を膨らませている。紫煙が届かない所まで距離を置き、いつでも動けるよう構えている姿は、シャーッと毛を逆立てて威嚇している猫のようだけど、ちっとも迫力がない子猫みたいで笑いがでた。
「紫桃っ! 大人げないぞ!」
だ――か――らっ!
コオロギには言われたくないって。
片手を上げて抗議しているコオロギに和みながら、もう一本吸おうかと煙草の箱に手をかけた。
現状の俺が死んで
それはちょっといやだな。
煙草の本数、減らそうかな?
生前の香りを死後に引き継げるなら、コオロギが最初に嗅いだ香水のように、いい香りをまとって現れたい。
どんな香りがいいかなと俺は変な思考の迷宮に入ってしまった。
_________
※ 注意 ※
(決して紫桃のまねをしないでください)
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