ホラー必須の「恐怖」や「霊感」

03 「怖い」に温度差があるのはなぜ?


 ホラー小説を書くために部屋にある本棚へ向かい、棚をあさり始める。何冊目かで求めていたデータが見つかり、手に持って机に戻った。


 俺――紫桃しとう――が手にしているのはノートだ。

 ノートにはこれまで集めてきた奇譚きたんがまとめられている。表紙に「No.7」と書かれているからこれは7冊目にあたり、棚にはまだ数冊のノートが並んでいる。改めて見るとけっこうな数になったものだ。


 俺が集めている奇譚の情報源は、たったの一人から得たものだ。

 話をしてくれた人物は俺の友人で、コオロギ――神路祇こうろぎ――という。


 コオロギは世間でいう霊感もちで、よくもまあ、こんなにと感心するほど、さまざまなふしぎ現象に遭遇している。


 コオロギの体験はホラーが多いが、ときには感動ものもあり、ゼロ感の俺には知りえない世界にいつも引きこまれる。毎回ファンタジーを読んで、どきどきした子どもの時分と同じ気持ちになるけど、怪奇ものだけは慣れない。


 俺はホラーを中心に体験談を集めているが、怖いことはニガテだ。

 ではなぜホラーに興味をもっているのかといえば、未知のことを知りたいという思いが強い。


 恐怖より好奇心がまさっているとはいえ、ニガテなものは簡単に耐性がつくわけではない。だからコオロギの奇怪な話を聞くたびにぞわぞわする。おまけに俺は想像力が豊かで、自分自身に置き換えるから気味が悪くてしょうがない。


 コオロギが体験してきたホラー系の出来事は、俺には絶対降りかかってくるなと願う内容なのに、コオロギはあまり怖いと感じないらしい。そのためホラーがコメディー化することはしょっちゅうで、ホラー小説のネタを求めている俺には頭の痛いことだ。


 それにしても俺は怖いと思うのに、なぜコオロギは怖いと思わないのか?


 感覚の違いをふしぎに思い、コオロギに質問したことがあったっけ――。



  ✿


「前にさ、見えないナニカに手を引っぱられたって言ったよな。

 無言のまま急に腕を引かれたのに、コオロギは怖いと思わないのか?」



 コオロギはこう答えた。



「見えないから怖くないし、ふしぎではない」



  ⋯ ⋯ 少々お待ちください ⋯ ⋯

   (紫桃 翻訳スキル発動中)



 よくよくコオロギに聞いてみたら、こういうことだった。


・見えない

 視覚情報がない。形相がわからないから怖さがない


・聞こえない

 なにを伝えたいのか意図がわからない


・何度も経験している

 よくあることだから怖い事象ではない


まとめると、

 姿は見えないし声も聞こえない相手の意図することはわからない。だからリアクションの取りようがない。腕を引かれるなどのちょっかいはままあるが、いちいち気にするようなことではない――と。


 コオロギにとって腕を引っぱった姿なきモノは、窓から入ってきた突風と同義のようで、体に感じた圧に驚きはするが別段気にするものではないらしい。


 それにしても『よくある』から怖くないって……。

 俺なら恐怖体験を何度もしたら、外へ出るのが怖くなって家に引きこもるぞ。


 コオロギの考えはわかったけど、恐怖に対する温度差が違いすぎる。

 奇妙な体験をしてもあまり恐怖を感じていないコオロギは、恐怖心がないのかと思ってしまう。そこでなにに対して怖いと感じるのか聞いてみたら――



「『怖い』と思うものはあまりないな~。

 でも生命の危険がありそうな場合は恐怖を感じる」



 コオロギってシンプルだな……。



 人によって度合いが変わる「恐怖心」。

 俺は閉所や高所が怖い。つり橋など高い場所に立つと安全と言われても血の気が引き、手に変な汗をかいて動悸が速くなる。そのうち全身に汗がでてきて、その場にいられなくなる。安全なのになぜ怖いのかと聞かれても、俺は怖いからとしか答えられない。


 そんな経験から「怖い」という感情は本能で先天的なものだと思っている。でもコオロギを観察すると、俺の説は合致しないことがある。先天ならコオロギも俺と同程度の恐怖心があるはずだからだ。


 恐怖に対する温度差がふしぎで、俺はコオロギと意見を交わした。内容は、

 「恐怖心が発生するのは先天と思う? それとも後天と思う?」

というものだ。


 俺は「恐怖」は身を守るための本能的な感情だから、先天的な部分が大きく影響するだろうと考えを述べた。対してコオロギは俺と意見が違った。


 コオロギは情報が増えていくうちに「これは怖いものだ」と学習して、恐怖などの感情が生まれるんじゃないか――と。つまり後天だ。

 コオロギが結論に至った理由を聞くとこう言ってきた。



「以前は蜘蛛くもを怖いと思わなかったんだ。

 はちちょうと変わらなくて、家の中で大きな蜘蛛を見ても、いるな~くらいの存在。

 でもタランチュラ *1の動画を見たら大きい蜘蛛がニガテになった。

 捕食シーンがね、えぐいんだよ。



 ※ 注意 ※ 

 コオロギは捕食シーンも話していたがここではカットした。

 気になる読者はネットでさがしてくれ―― 紫桃より



 大きな蜘蛛にまれたら痛そうなのと、食べられる側から見たタランチュラが怖くてね、それからは大きい蜘蛛が気味悪く映った。

 一度怖いと思ったらもうダメで、好きな要素が見えなくなる。はじめは避ける程度だったけど、どんどん怖さが増していったよ。

 それにセアカゴケグモ *2みたいに危険な蜘蛛の存在も知ったから悪循環。

 今は足の長いデカイ蜘蛛を見ると怖くて秒で逃げるようになった」



 なるほど。コオロギが後天説をとるのは体験からきているのか。

 リアルだから興味深いな。


 話からすると、コオロギの蜘蛛に対する恐怖は、


【蜘蛛が目に入る】

  ↓ タランチュラの捕食シーンを思い出す=怖い

【タランチュラのように大きめの蜘蛛は危険かも】

  ↓ 危害を加えてくるかもしれない

【逃げろ!】


 ――という流れで恐怖心が発生しているのか。

 だとしたら姿が見えないモノに腕を引っぱられた場合は、


【手を引いた相手は不明】

  ↓ 視覚・聴覚の情報がない

【判断材料がない】

  ↓

【どうでもいい】


 ――こうなっているのかな?


 俺の場合は違うな。

 俺がコオロギと同じ体験をしたら、


【手を引いた相手は不明】

  ↓ 視覚・聴覚の情報がない

【判断材料がない】

  ↓ 意図が読めない=怖い

【逃げる】


 正体がわからないと好意的なのか敵意をもっているのか判断ができない。そこに俺は恐怖を感じる。突然攻撃してくる可能性があるからだ。


 俺の場合は警戒心から身を守ろうとする傾向がでる。つまり身を守るという生存本能から恐怖心が生まれる流れがあるから、恐怖を抱くのは先天的と思うんだが……。



 ちょっとした疑問から始めた恐怖心の先天か後天かの意見交換はおもしろかった。

 違う視点からの意見がもらえて感情の仕組みを知る参考になる。ほかにも互いの考えを比較すると、いろんな発見があるかもしれないな。






_________

【参考資料】

✎ ネットより


*1 タランチュラ:

 国外に生息するオオツチグモ科に属する蜘蛛くもの俗称。成長すると最大28センチにもなる個体もいる大型の蜘蛛。


*2 セアカゴケグモ:

 毒グモ。まれると数分後に強い痛みがでてくる。ほかに発汗・発熱・発疹が起こる人もいるらしい。


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