06 霊感がある人が派遣で働く理由


 東京都内の昼下がり。


 有給休暇をとった俺――紫桃しとう――は、友人・コオロギ――神路祇こうろぎ――とひさしぶりに会い、昼飯を食べる約束をしていた。平日なので仕事をしているコオロギが昼休憩に入ったところで合流し、コオロギの職場から近いところにあるカレー屋を訪れている。


 オフィス街にあるカレー屋はシンプルな造りだ。厨房を囲むようなカウンター席と、狭い店内にテーブル席がいくつかあるだけ。遅い昼休みだからほかに客はおらず、お好きな席へどうぞと言われて、窓際のテーブル席に着いた。


 メニューはカレー屋なのでカレーしかないが、料理が早く出てくる・値段が安い・美味いの三拍子がそろっているから、ランチタイムはビジネスパーソンに人気がある。そんな店で俺らはカレーランチを楽しみながら互いの近況を話している。


 コオロギの近況を聞けば、前に会ったときとは違う派遣先で働いている。俺が知っているだけでも5回以上は仕事が変わっていることになる。


 パソコンスキルが高いのになぜ正社員を目指さない?

 正社員に就職すれば生活が安定するはずだろう?


 俺は会社員だが非正規雇用の経験もある。だから比較ができる。

 正社員で働くと毎月の給与は保証されるし福利厚生も充実しているのに比べて、非正規は収入は不安定だし福利厚生も充実しているとは言いがたく不利な点が多い。それなのにコオロギが非正規を選ぶのはなぜなんだろう?


 二人ともカレーを食べ終えていたから、派遣を選ぶ理由をコオロギに質問した。



「そういや、コオロギはなんで非正規で働いているんだ?

 派遣だと給与は時給制の場合が多いから収入が不安定にならないか?」


「非正規で働く場合は、やっぱり収入面がデメリットになるよ。

 今の派遣もアルバイトのように時給制で、働いた時間分しか給料が出ないから、祝日が多い月は収入が減ってしまうし、もちろんボーナスなんてない。

 でも派遣だと、いろんな仕事ができるからいいんだ」


「いろんな仕事?

 正社員でも人事異動で部署が変われば、いろんな業務ができるぞ」


「そうかもしれないけど、大きくは変えられないでしょ?

 業種で仕事の内容はほぼ決まっているし、異動も組織のバランスを優先するなら、希望した部署へ必ず異動できるとは限らない。

 その点、派遣だとやりたい仕事ができる。

 今回はチラシの校正だけど、派遣先を変えれば通販カタログだったり書籍の校正だったりといろいろ選べる。

 それに校正だけじゃなくて、Webサイトのコーディングやパソコン講座のアシスタントなど、職種の変更もできるところが利点なんだ」


「前職とまったく違う仕事か。

 魅力的だけど、いちから業務内容を覚えないといけないし、必要となるスキルも違うはずだから大変なんじゃないのか?」


「そりゃあ大変だよ。

 即戦力が求められる派遣は、業務をこなせるスキルがないと採用されない。

 Webサイトのコーディングなら、Webの仕組みやプログラミング言語など、基本知識にパソコンスキルがないとコーディングできないからね。

 学校みたいに手取り足取り教えてくれるわけじゃないから、自分でスキルを磨いていくしかない。

 学ぶのは大変だし人間関係もうまくできるか不安だから、安定を求めて正社員をめざす人が多いんだろうけど、自分にとっては新しく始められることが魅力なんだ。

 新しい技術が登場したら挑戦してみたいし、使いこなすスキルを身につけたい。

 目的がかなう新しいトコロは刺激があって楽しいよ」



 非正規のデメリットがあっても、目をきらきらさせながら話すコオロギを見ていると、楽しいようすが伝わってきて、なんだかうらやましい。



「コオロギは本当に仕事が好きだよな」


「仕事も遊びも、やるからには全力投球したい。

 そして楽しまなきゃ、もったいないじゃん」



 今の職場も満足していると楽しげにコオロギが話していたところへ食後のコーヒーが運ばれてきて、会話がいったん切れた。


 俺はすぐにコーヒーを飲み始めたが、向かいの席では猫舌のコオロギがカップに目をやり、熱さを測りながらコーヒーとにらめっこしている。


 物事を楽観的にとらえるのはコオロギのいいところだが、ときには短所に思えてくることがある。


 俺は保守的で、先が見えない不安定なことには手を出さず、最悪の事態が発生しないよう計画を立てて行動したいタイプだ。だから無鉄砲なコオロギが無職になり、路頭に迷わないか心配になって聞いてみた。



「でも派遣は最長でも3年までだろう? *1

 次の仕事が見つかればいいけど、すぐに見つかるとは限らないし、やっぱり不利じゃないのか?」


「契約期間が終了に近づくと、次の仕事さがしはいつも不安になるよ。

 でも期間は限定されているからいいんだ」



 ん? 今、引っかかること言ってきたな。


 俺は手に持っていたカップを置いた。それからテーブルの上に腕を乗せて、少し身を乗りだすようにして向かいに座るコオロギに聞く。



「なあ、なんで『期間限定』がいいんだ?」


「そりゃあ、逃げ切れるからだよ」



 熱くてなかなか飲めないコーヒーを、ふーふーと冷ますことに集中しているコオロギはまだ気づいていない。



「ふうん? なにから『逃げる』んだ?」


「そりゃあ、変なの…に…… !!」



 やっとで気づいたコオロギはコーヒーから顔を上げて俺を見た。

 今の俺は絶対ニヤついている。そして「やったぜ」という顔をしてコオロギを見ているはずだ。


 俺がうれしくて笑みがでてしまうことには理由がある。コオロギは異能者で俗にいう霊感がある人だ。そんな人物から『変なモノ』と言葉がでたら、アヤカシに決まっているじゃないか! これは絶対、おもしろい話が聞けるぞ!



「コオロギ~、『変な』って、なに?」


「 !! 」



 もう、わかりやすいよ。

 どぎまぎして手に持っているカップからコーヒーがこぼれそうだ。


 ここで引いたらチャンスをのがす。追撃だ!



「な、コオロギ、『変な』ってなに?

 げはしないよな? 俺、気になって眠れなくなるぞ」


「ええぇえとぉ……」



 しどろもどろとしながらコオロギは腕時計に目をやる。

 パッと明るい表情になって安心した顔で言ってきた。



「ごめん、紫桃。時間だ」



 助かったとばかりに明るく返してきたけど……がさん!

 今度はいつ会えるかわからないからな。


 俺がゆっくりと残りのコーヒーを飲んでいる前で、コオロギはコーヒーをふーふーと冷ましながらあわてて飲んでいる。飲み終えると俺とは目を合わそうともせず、カバンを持って逃げるように会計しようと立ち上がったコオロギの前をふさいだ。



「コオロギ~、仕事終わったら一緒にメシ食いに行こうぜ」


「へ?」


「あしたは休みだし、どうせ予定ないよな?」


「ぐっ、ないけどっ」


「いいのかよ、俺がモヤモヤしたまま帰って寝不足になっても。

 ま・さ・か、そんなひどいことしないよな?

 それに夕飯代、俺が出すぜ?」


「寝不足なんて…… 紫桃はそんなに神経細くないだろ」



 おっ、珍しく反抗的だな。

 ならもうひと押し。



「じゃあさ、ランチココも俺がおごるよ」


「えっ」



 とたんに笑顔になったコオロギ。

 本当にちょろい……。


 こうして約束をとりつけて新宿のいつもの居酒屋へ行くことになる。


 俺はコオロギと別れた後、カフェへ入り作戦を練る。

 コオロギが期間限定で働く理由をうまく聞きださないといけない。アヤカシがからんでいることは確実だが、言葉たらずのコオロギが話すことは一度で理解できるとは思えない。ここは少しずつ情報収集していくか……。


 質問事項を書きだしていくなか、コオロギからどんな奇譚きたんが聞けるのかと期待してつい頬がゆるむ。



 夜が楽しみだなあ。






_________

【参考】

✎ ネットより


*1 派遣は3年まで:

 「派遣の3年ルール」といわれることが多い。

 労働者派遣法により、同じ事業所で3年を超えて働くことは基本的にできないというもの。

 ※ただし期間制限の対象外もある


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