11 霊感がある人の変わった服装には意味がある?
俺――
黙っていればクールなエキゾチック美人の友人はコオロギ――
俺のおごりでたらふく
好奇心の目でせわしなく視線を動かしていてコオロギは落ちつきがない。さっきは酔ったおっさんが、道を尋ねるふりしてナンパしていることに気づかなかったし……。まるで子どもだ。
コオロギは店内ばかり見ていて手元にあるグラスを倒してしまいそうだ。グラスの位置確認をしてみたら、つたった水滴がテーブルに小さな水たまりをつくっている。
「コオロギ、袖がぬれるぞ」
「え? ほんとだ。ありがとう」
あわてておしぼりで水たまりをぬぐうと、袖がぬれていないか確認している。
コオロギは真夏を思わせる日々が到来してるというのに長袖のワイシャツを着ている。仕事帰りだからワイシャツにパンツスーツという、ビジネスカジュアルな服装は珍しくない。だが長袖は季節はずれとなる時期に差しかかっているから、周りから見れば暑苦しく映るだろう。
一年中長袖なのは今も変わらないみたいだな。
もう見慣れてしまったが、コオロギと出会ったころは季節にそぐわない服装を変に思い、おしゃれに無頓着なタイプと見ていた。でも長袖にはコオロギなりの理由があり、その訳を知ったときは衝撃を受けた。
あれは俺がまだ東京に住んでいて、職業訓練に通っていたころだったな――
✿
職業訓練に通っていたある昼下がり。
俺は同じ訓練を受講しているコオロギと昼休みにコンビニへ出かけた。
コンビニで買い物をすませて訓練校へ戻る道すがら、俺はとなりを歩くコオロギの袖を軽くつまんでから聞いた。
「なあ、この格好、暑くないのか?」
ほんの少しでも外を歩くと
今日だけではなく訓練が始まってからずっと長袖で、暑さを感じるようになってきても半袖を着てこない。日が沈むと少しは涼しいが日中は長袖だと熱中症になるレベルまで気温は上がる。現にコオロギは半分まぶたが落ちて顔はピンクになり、のぼせているように見える。
「……平気だよ……」
「うそつけ。ばててるじゃないか。
こんな暑い日に、なんで長袖着てるんだよ?」
「さわられるのがイヤなんだよ」
「…………すまん」
俺はつかんでいた袖を離してそっぽを向いた。
ふれられるのが嫌なんて……ショックなんだけど……。
俺って思っていたよりコオロギから好かれていないのかな?
このころはすでにハートブレークしていて、コオロギに恋心はもっていなかったが、「イヤだ」と言われると傷つく。
うつろに歩いていたコオロギは俺が急に黙ったものだから、ようすがおかしいと気づいてこちらを向いた。しばらくして、うつろだった表情はあせった顔になって、あたふたと話しだした。
「違う! 紫桃のことじゃない!
変なのがふれてくるのがイヤだって意味だよ!」
俺がコオロギのほうへ顔を向けると申し訳なさそうな顔をしていた。でもすぐにふしぎそうな表情に変わった。
おそらく俺の表情が「ショック」ではなく、好奇心に満ちていたからだろう。
さっきまでの傷心はきれいさっぱりなくなり、わくわくしてコオロギに質問する。
「なあ、コオロギ。
『変なのがふれてくる』って、なに?」
コオロギはきょとんとしていた。でも俺の問いがのみこめたら、コオロギは大きく目を開いて「しまった!」という顔になった。わたわたと挙動不審になり、目を合わせないように向こうへ顔をやり、なにか言い訳を考えているふうだ。
コオロギは思考をめぐらせていたけど、「む――……」とこぼすと肩を落とした。それから諦めたような表情をして、ようすをうかがうように視線だけ動かして俺を見た。
「姿の見えないモノに……
ふれられるのがイヤだから長袖着てる……」
俺はおもしろそうな話が聞けそうで、はやる気持ちがあった。なにしろコオロギには予知する異能があるのではと疑念をもち始めていた時期だったからな。
早く話を聞きたかったが、その前にやることがあった。暑さでばてているコオロギは校舎へ着く前にぶっ倒れそうだ。まずは休ませないといけない。そこで途中にある公園へ寄り、
低い鉄柵に座り下を向いてつらそうにしているコオロギに、俺はコンビニで買った2個入りのアイスを開けて片方を差し出す。
アイスを受け取ったコオロギは、ありがとうと弱々しくお礼を言って、もそもそと食べ始めた。すぐに涼しくなったようで、うつろだった目に生気が戻ってきた。
アイスで体を冷却し、まだ熱の少ない風を受けて少し元気を取り戻したコオロギは、アイスのお礼を改めて言うと、ためらいのある口調で聞いてきた。
「紫桃は……幽霊や妖怪とか……
目には見えないナニカがいるって言ったら……どう思う?
『いない』って否定する?」
以前の俺なら「そんなのいるわけないだろ」と即答するが今は違う。
『この世には今の常識や科学では説明できないナニカがあるのかもしれない』
コオロギと接するようになってから俺の中に芽生えた考えだ。
俺は前に予知するようなコオロギの言葉を聞いている。それに付き合いは浅いけど、コオロギは人をだましたり、かまってほしくて嘘をつくようなやつではないことも知っている。
コオロギがためらいがちに聞いてきたってことは、あまり話したくないのだろう。
話しづらいのに語ろうとしているのは信頼してくれているのか……。なら、俺も正直に心境を伝えないと。
「俺には幽霊とか妖怪とかは見えないから存在しているかはわからない。
でもコオロギが話すことなら『いる』『いない』にかかわらず、信じる」
俺をじっと見ているコオロギの体に、
「……ありがとう。
じゃあさ、おとぎ話みたいな感じで聞いてね――」
真夏のように暑い日なのに気温を感じなくなり、静かな空間が広がっていく。
コオロギは深呼吸して少し間をおいてから静かな口調で語りだした。
「たまにね……姿が見えないナニカがちょっかいをかけてくるんだ。
どんなやつか知らないけど、つかまれたときに相手の肌の感触や温度を
……だから長袖を着ているんだ」
俺が
このときの俺はあきれていたわけではない。
見えないナニカが存在していることを知って驚いただけだった。
『姿は見えないが人に接触してくるナニカが存在する』
この事実だけで幽霊や妖怪の
新たな常識に思考と感情が追いつけなくて、俺は言葉を発することができないままコオロギを凝視していた。
沈黙を破ったのはコオロギだった。
コオロギは俺が理解できるように、ゆっくりとした口調で体験を語り始めた。内容は商店街を歩いていたら姿の見えないナニカに腕を引っぱられたというものだ。
コオロギは腕をつかんできたモノをヒトと疑わず、周囲をさがした。だがいくらさがしても人などおらず、最終的に
つかんできた感触は生身のニンゲンと同じもので区別ができなかった。人に似てるがヒトではない
コオロギがつむぐ言葉は俺の想像を超えていた。
前からコオロギはふしぎな能力をもっているのではと思っていた。だが聞いた内容は想定外の異能で、このとき初めてコオロギが
世の中には見えないナニカが存在し、ソレはヒトに接触することもある……。
今まで考えもしなかった事実を前にして、俺の常識が急速に変わっていく。
姿の見えないナニカの存在に薄気味悪さをもち、日常のすぐそばにひそむ怪異に恐怖を感じたけど、それ以上にわいてきたのは――
『コオロギが視ている世界を知りたい』
本格的な夏の到来を感じる暑い日に、俺は小さな公園で暑さにばてている友人を見ながらぼうぜんとしている。
未知の世界を知ることへの恐れと好奇心が俺の中で渦巻き、
✿ ✿
職業訓練に通っていたころを思い出した俺はなつかしくなった。
あの日も今日みたいに暑かったな。
有休をとったのも暑くなってきて、ばてていそうなコオロギを思い出したことが、きっかけの一つだったなあ。
回想から新宿の居酒屋という現実に戻ってきた俺はコオロギを見る。
落ちつきなく視線を動かしていたが、なにか見つけたらしく楽しそうな笑みを浮かべている。
手に取るようにわかる素直な感情表現。何年たっても変わらないなあ。
そういや今日の昼も歩きながら「暑い~」とか言ってばててたっけ。
ほっこりとしていたらコオロギがぼそりとつぶやく。
「ふふっ。あのオニーサン、いいなあ」
コオロギのやつ、ナニカ視えているな。
俺はうきうきしながらコオロギの反応を観察する。
コオロギはテーブルに肘をつき、手に顎をのせて、きらきらとした目でナニカを追って視ている。熱中しているコオロギに声のトーンを落として俺はさりげなく聞いた。
「なあ、コオロギ。なにが視えているんだ?」
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