異能者の日常

10 非日常が日常化で、ヒトコワもありか?


 東京の新宿区にある居酒屋で俺――紫桃しとう――は友人と飲んでいる。


 この店はデートを楽しむようなおしゃれな店ではなく、大衆酒場に分類される。

 そうだな、仕事帰りのビジネスパーソンや学生が利用するといえば想像がつくだろうか。


 店の外も中も料理が書かれた紙があちこちに貼られ、おしゃれという雰囲気はどこにもない。メニューと値段を見て、ちょい飲みにいいと気軽に入店し、酒を飲みながらぎゃははと楽しむ。そんな空気……というより、そんな客で現在にぎわっている。


 大衆酒場的な店の客は男性が多い。

 例にもれずこの店も9割男性で、俺はさっきから友人のことが気になっている。なぜなら友人・コオロギ――神路祇こうろぎ――は、目鼻立ちがはっきりとしているエキゾチック系の美人で、女性客が少ない店に入ると目立ってしまうからだ。


 酒を飲むと人は変わる。ふだんは良識のある者でも気が大きくなり、理性が働かなくなることがままある。そんな酔っぱらいにコオロギがからまれていないか気がかりだ。


 席を外しているコオロギがなかなか戻ってこない。トイレがある方向を見ると、通路でコオロギとお店のスタッフ、そして赤ら顔のおっさんがなにやら話をしている。


 コオロギとおっさんの間にスタッフが入っているようだけど、なにかトラブったのか?


 雲行きが怪しそうだから、俺は席を立ってコオロギのもとへ向かった。


 間に入っている男性スタッフは俺たちのテーブルに注文を取りに来てくれた大学生くらいに見える青年だ。彼はコオロギをカバーするように前に立ち、酔った客の対応をしている。



「すみません。

 彼女、俺の連れですけど、どうかしましたか?」



 赤ら顔のおっさんに、俺はわざと穏やかな口調で声をかけた。青年は俺が介入してきたことに安堵あんどの表情を浮かべておっさんに言った。



「こちらがさきほどお話ししたお連れ様です」


「あ、ああ。そう? 悪かったねえぇ」



 完全に酔っぱらっているおっさんは残念そうな顔をして去っていった。

 なにが起きていたのか想像はできたけど、青年が説明してくれた。



「あちらのお客様が、お連れ様に道を教えてくれとしつこく言ってきたので代わりに対応しました」



 コオロギに道を聞いたって……。ふつうは店のスタッフに聞くことだろう?

 完全にコオロギ狙いじゃないか。



「お客様なのに、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


「いいえ~、現地まで案内してって言われたから助かりました~」



 ていねいに謝ったスタッフに対してコオロギは敬語で対応している。さっきまで困った顔してたけど、いつもの人なつこい表情に戻っていた。


 ふ―――、やっぱりか。

 やばそうだったからあの青年が割って入ってくれたのか。助かったよ。


 大事おおごとにならずにすんでほっとした俺は、機転を利かせてくれた青年に小さな声でお礼を言ってからカウンター席へ戻った。


 コオロギは地方出身者で東京にきて数年になる。でもいまだに都会慣れしてなくて危なっかしいところが多い。


 人に親切にするのはいいことだが警戒心をもてよと心配する俺をよそに、コオロギはジントニックをごきゅごきゅとうまそうに飲んでいる。テーブルに肘をついて、いい飲みっぷり。まるでおっさんで美人が台無しだ。


 のほほんとしているコオロギは、ちょっとふつうとは違う。

 外見からだと縁がなさそうな幽霊や妖怪のたぐいから好かれやすく、アヤカシに腕を引っぱられるなどの怪奇な体験をしている特異なやつだ。


 コオロギは妙にクールなところがある。

 アヤカシに遭遇する非常事態でも、日常の1コマのようにさらりと流す。


 例えば見えないナニカに腕を引っぱられたときは怖がるのではなく怒りを向ける。いきなり背に乗ってこられたときは驚くよりも新手の登場の仕方に感心する。……まあ、ちょっと反応が変ではあるが、怪異に遭ってもパニックに陥らない。


 コオロギがクールなのはアヤカシに対してだけかと思っていたら、そうではなく生身のニンゲンに対してもあまり変わらない。不審者に遭遇した体験を聞いたときは、アヤカシの話と同様に衝撃を受けた。



 現場は23区外。

 当時のコオロギは新宿駅に出るまで1時間くらいかかるアパートに住んでいて、最寄り駅は徒歩圏内にあった。住宅地なのでアパートまでの道中に家はあるけど、室内の明かりは塀に阻まれて道を照らしてくれない。もちろん街灯は設置されているけど点々としているうえに光は弱い。


 ところどころに暗がりのある寂しげな道をコオロギは歩いていたそうだ――



  ✿


 駅の改札を出たときは21時をすぎていた。

 駅の周辺は電車を利用した人たちの姿を見かけるが、一人、また一人と先を歩く人はそれぞれの家路へと消えていく。


 駅前から住宅地へ入り、しばらくすると最後のビジネスパーソンも道を折れていなくなり、街灯がぽつぽつと灯る薄暗い夜道で一人となった。


 疲れているからシャワーを浴びたらすぐに休もうなど、帰宅後を考えながら歩いてると、進む先に近づいてくる人影が見えた。


 人影は近づくにつれて容姿がはっきりしてくる。

 夏だというのに足元まである薄手のロングコート。身長の高さと肩幅のある体格から男性だろう。


 男はつばの大きい野球帽のようなキャップを深々とかぶり、真っ黒なサングラスに大きめのマスクと、うさんくさい姿をしている。


 はじめは互いに道路の端と端を歩いていた。

 ところが距離が縮んでくると男は、道路の端から中央へ向かって斜めに歩き始めた。


 3メートルほどの距離にまで来たとき、男は足をとめた。

 このときには向かい合うかたちになっていたから、こちらも足をとめて前方をふさぐ男の出方をうかがう。


 男は黙ったまま、たたずんでいる。

 こちらは黙って男のようすを見る。


 互いに30秒ほど微動だにせずにいたが、男がだらんと下げていた手を動かした。

 男はゆっくりと両腕を上げていき、鎖骨あたりと腰あたりに手をかける。少し体を傾けたら、いきおいよくコートを開いた!


 見るからに怪しかった男の明らかにおかしい行動!

 薄暗い夜道には不審者と自分しかいない!!



「キャ――――――――!!」



 驚きと助けを求めるため、静寂を切り裂くような大きな声を上げた!


 となるのがふつうだろう。

 だがコオロギだ。そうはならなかった……。


 コオロギは自慢げに見せびらかしたコート下の全身タイツ姿(白か灰色っぽいものだったらしい)に一瞬くぎづけになったものの、ポケットからスマートフォンを取りだして、無言のまま「1、1、0」をタップした。


 スマートフォンの向こうで呼び出し音が鳴りだしたら、コオロギは不審者に向かって「警察に電話しています」と伝えたらしい。


 不審者は「うそっ!?」と驚いた声で言うと、あわてて逃げて行ったそうだ。



  ✿ ✿


 この話を聞いたとき俺は思考が暴走した。


 なにからつっこんだらいいんだ!?


 不審者が定番の下半身丸出しでないことか?

 緊急事態なのにコオロギのノーリアクションか?

 警察に連絡してそのあとどうなったんだ!?


 ……いや、つっこみは意味がないな。

 もうすぎた出来事だった。


 コオロギは人生にそうそう起きるはずがない非常事態となっても動じない。

 怖いもの知らずというのか、きもわっているというのか……。常人と反応が異なる。



 恐怖を感じると体が硬直してなにもできなくなるという。

 それは本当で、俺は電車で痴漢に遭ったことが一度だけある。


 学生のころ、電車の遅延で満員電車に乗るはめになった。

 急行電車内でぎゅうぎゅうとつぶされるのを耐えていたら尻をなでられた。はじめは満員電車なのでだれかの手が当たったのだろうとしか思わなかった。ところが消えた手は再び尻をなでてきた。


 偶然ではないと気づいたが、男である俺の尻をなでる意図が読めなくて固まってしまった。

 俺が対処できないままでいると、躊躇ちゅうちょした手つきは、だんだんと遠慮がなくなり、まさぐるものに変わっていった。


 痴漢に遭っていることは疑いようのないものだったが、俺は恐怖で硬直して声を上げることすらできず、されるがままにいて耐えていた。


 痴漢されている間は、ただただ怖くて全身から汗がふき出す。

 早く駅に着くことを願いながら恐怖に耐え、電車が停車しドアが開いたら、すぐに車両から降りた。



 痴漢体験をわざわざだしてきたのは、やばい状況下にいてもコオロギが平然としていたからだ。


 俺が痴漢に遭ったときは、満員電車で周囲に大勢いたからまだ安心感はあった。でもコオロギが不審者に遭遇したのは一人で夜道を歩いていたときだ。


 助けてくれる人はおらず、力が弱い女性はあらがうことができないまま、襲われて殺されてしまうかもしれない……。そんな状況でもパニックにならず、「通報した」と伝えるだけ?


 俺がコオロギと同じ状況に置かれたら冷静な対応なんてできない。話を聞いたときはひやりとしたけど、華麗な対処に不本意ながら格好いいと思ってしまった。



 コオロギの非常時の対応はヒトもアヤカシもあまり変わらない。

 ほかの人が話すと俺はフィクションと勘繰かんぐるがコオロギだと実体験だと納得できる。こいつは一人旅に出て、土地勘がまったくないところで迷子になったとしても、あせることなく地元の人に道を聞いてなんなく問題をクリアする。


 仕事中に地震の大きなゆれが起きても騒ぐことなくスマートフォンとペットボトル飲料を持ち、タイミングをみて避難路へ移動してようすをうかがい、ゆれが収まったら何事もなかったように席に戻る。そういうやつだ。


 こんな性格だから恐怖体験もコメディーに変えてしまうんだろうなあ。

 それにしてもコオロギの周りでは「非日常」がひんぱんに起きていると思うのは俺だけか?


 ホラー小説が書きたくて、アヤカシ系の話をコオロギから聞きだしているが、それ以外のストーリーも書けそうな気がしてきた。


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