第4章 病院にて 【4】

 ふっと気が付くと、俺は男子トイレの前に立っていた。

……よっしゃ、ラッキー……と思った瞬間、一段と強い感覚が膀胱ぼうこうを襲い、俺は慌ててトイレへと駆け込んだ。


 間一髪用を足し終えた俺は、トイレから飛び出ると一目散にフロアマップを探した。

フロアマップ自体は見つからなかったものの、近くに設置されていた消毒液のボトルの側面に、『東2F』と書かれていたので、ここは東館2階だと分かった。

……あれ? さっきさくらがいた515号室って、何だったんだ?……

とりあえず、東館の2階なら、さくらの母親の待つ控え室にもすぐに戻れるだろう。俺は急ぎ廊下を戻ることにした。


 どうにかこうにか、『手術部』の看板が見えるところまで戻って来れた時、俺はホッと一息いた。

……今回は謎迷子なしで済んだな……

とはいえ、たかだか小用ひとつに大分時間を喰われてしまった。さて、何て言い訳しようかな……。

 俺は目的の部屋と思われる扉の前に立つと、戸板を軽くノックした。すぐに「はい」と声がして、ドアが開く。

ドアを開けたのは、ハ七三はなみ警部補だった。

「すみません、ハ七三警部補。この並びのドアがみんな同じなので、ここの部屋でよかったのか自信がなくて……」

「手当たり次第に開けないのは、礼儀がきちんとしている証拠だから、問題はないと思います。それより、最初の案内板、気付きました?」

「あぁ、あの蛍光灯が切れてるやつですよね?」

 俺は警部補の質問に答えつつ、壁の時計に目をやった。

時計の針は俺が席を立ってから5分ほどしか経っていなかった。

……あれ? 今までの時間は何だったんだ?……

 いぶかしみながらも席に戻る。

……またトイレに行きたくなるまで、延々待ちかなぁ……

所在なげに壁に視線をやったその時。

白石しらいしさくらさんのお母様、お話があります」と看護士さんが入って来た。

「あの、さくらは、娘は!」さくらの母親は、矢も盾もたまらない、という勢いだ。

「白石さん、落ち着いてください。娘さん、よく頑張りましたよ。手術は無事成功ですよ。これから、先生のお話がありますので、もうしばらくお待ちくださいね」それだけ言うと看護士さんは退室して行った。

 ……良かった……

俺は椅子の上から崩れ落ちそうになった。

……これで、最悪の未来は回避された……

「良かったですね、白石さん」

「はい。……安心したら、涙が……」とさくらの母親はまた泣き出してしまった。

西浦にしうらさん、白石さんのこと、頼みます。私は報告事があるので、しばし失礼します」

そう言って一礼すると、ハ七三警部補は部屋から出て行った。

「良かったですね、小母さん」俺は言った。「さくらの手術が無事に終わって」

「はい。……たくみさん、付き添ってくださってありがとうございます……」

「いえ、僕だって、白石家の一員のようなものじゃないですか」

 その時、ドアがノックされた。

「はい」俺は返事をした。

すると、ドアが開いて、白衣をまとった、いかにも医者です、という見た目の男性が入って来た。歳の頃は、ハ七三警部補より2~3歳上だろうか。

「白石さん、さくらさんのお母様と、そちらはさくらさんの……お兄さん? 弟さん?」

「あ、いえ、僕は、白石さくらの交際相手の西浦匠と申します」俺は名乗った。

「さくらさんの彼氏さんでしたか。……分かりました。私は、さくらさんの担当になりました、主治医の大春療治おおはるりょうじです」と医師は挨拶あいさつをした。

「では単刀直入にさくらさんの状態をご説明しますね。さくらさんは交通事故に遭われて……外傷……打撲と骨折……これらの怪我は交通事故ではよくあるものです。……ただ……」そこで大春医師は急に言いよどんだ。

「……ただ、なんですか?」俺は尋ねた。

さくらの身に何かあるのなら、何でもいいから聞いておきたかった。

「……ただ、骨折箇所が良くない。さくらさんの骨折は脊椎せきつい、……要するに背骨にもあるんですね」

そう言って、大春医師は1枚のレントゲン写真を見せた。そこには、明らかに線の入った背骨が映し出されていた。

「……この位置に骨折があることからすると、もしかするとさくらさんは、首から下を動かせなくなるかもしれません……」

俺は奈落の底まで叩き落とされた。

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