これは誰がなんと言おうと慰安旅行です
鷹明は一人、朝の新幹線、自由席に座っていた。朝食はまだ食べていない。食べてから家を出ることも考えたが、新幹線に乗ってからゆっくり食べたい気分だった。良い感じにお腹もすいてきた。とコンビニで買ったおにぎりを出した。
「向井さん、朝ごはんそれだけですか?少なくないですか?」
「まぁ、実家帰ったら死ぬほど食わされるんで、これくらいでいいんですよ。ん?」
片岡の質問に普通に返したが、なぜ片岡の声が?と首をかしげる。その間に、片岡が新幹線のシートを反転させ、鷹明の前に座った。
「いや、いやいやいや、片岡さん、なんでこんなところにいるんですか?」
「わお!奇遇だねタカっち!」
言って、片岡の隣に描田も座った。
「本当だ!偶然偶然!」
その隣に目黒も座る。
「こんなことってあるのね」
最後に、橘が鷹明の隣に座った。
いや、と鷹明はつぶやいた。
「マジで意味わからないんすけど」
「ねこさん帰還祝い&慰安旅行に、私達京都へ女子旅するんです」
片岡はスーパーの袋から弁当を取り出した。その隣で、描田がビール缶を出す。
「はぁ!朝からビールを飲める幸せ!というかお酒が飲める世界!地球最高!」
「やめてくださいよ!恥ずかしい!」
鷹明が描田を止めにはいると、描田は鷹明の目の前に、別のビール缶を差し出した。
「タカっちも飲む?」
「こんな朝っぱらから飲みませんよ!」
「向井さんほんと真面目ですよね」
言って、目黒がビール缶のプルタブに指をかけている。
「目黒さんまで…」
「京都駅までは一緒なんだし、楽しみましょうよ、鷹明君」
橘が言うと、仕方ない、と鷹明は肩を落とした。
“京都に帰る”と言った時、随分心配されている自覚はあったが…まさか女性陣が付いてくるとは思わなかった。
それは3日ほど前のことだ。
「目黒さん、しばらく有給欲しいんですけど」
「有給ですか?わざわざ消化しなくても、ケースから戻ったばかりですから、向井さんは休暇期間ですよ」
「そうなんですけど、休むわけではなく実家に帰るので、有給かなって」
目黒が、ガーンと効果音が聞こえてきそうな顔をした。
「そそそそそんな!向井さん!帰らないでください!」
「えぇ?」
「今回のケースは相当きつかったと思います!実家に帰りたくなる気持ちはわかります!でも嫌です!まともな男性社員がいなくなっちゃうの…嫌です!」
目黒が駄々をこねる。なんか可愛い。
「大袈裟ですよ、ちょっと親に顔を見せに行くだけですよ」
「実家に帰っちゃったら、戻れなくなっちゃいますよ!実家は異世界なんです!美味しいご飯に落ち着く寝床…あんな良い場所そうそうないです!何人の社員が犠牲になってきたと思ってるんですか!」
あぁなるほど、そういうこともありそうだ。この仕事は。
大丈夫ですよ、と鷹明は微笑む。
「僕、自分でも驚くほど、今回のケースはそんなに引きずってないんです。むしろ、東海林さんのような人がもっといるなら、助けたいと思っています。けどその前に、親に会っておきたいんですよ。僕もいつ死ぬかわかりません。だから、今、親と話しておきたいんです」
「そう、なんですか…」
目黒がうつむく。
「うぅ…そういうことなら止められません…けど、本当に!本当に帰ってきてくださいよ!」
顔を上げ、必死に語り掛ける。
「大丈夫ですって」
参ったな、と鷹明は頭を掻いた。
で、こうなるとは微塵も思っていなかった。
「東谷さんも誘ったんですよ。あの人も今回のケースでは大活躍でしたからね!でも“女だらけの旅行に行くわけねえだろって”相変わらず、あの人連れないですね」
描田がビールを煽りながら言う。東谷の意見は最もだが、たぶん、自分も女子の中に入れられてる気がする、と鷹明はため息をついた。
「はぁ、それにしても楽しみですね、京都、夜の先斗町を飲んで歩くのが夢だったんですよ」
目黒が目を煌めかせながらいう。
「目黒さん、結構飲むんですね」
「こう見えて私の趣味は一人飲み歩きですからね!」
本当に意外だ。
「私は祥子ちゃんと京都デート!本当に楽しみだったんだよ!」
「もう、引っ付かないでよ」
「いいじゃーん!久しぶりのデートなんだよ!」
言って、顔を真っ赤にした描田が片岡の肩に頭を乗せた。
…ん?
「え?デートって」
あぁ、でも女子って友達二人と出かける時も“デート”っていうよね。
「あれ?向井さん、言ってませんでしたっけ?私とねこさん、付き合ってるんですよ」
「うそでしょ!」
「しかも同棲中!」
いえーい、と描田はピースサインを出した。
全然知らなかった。しかしそう聞けば、片岡が描田の行方を他の異世界でも探ったり、東海林のケースに行くといって譲らなかったのも頷ける。
片岡は楽しそうにふふん、と鼻を鳴らした。
「向井さんってドジでラッキースケベ出来そうな男主人公って感じですけど、残念でしたね、女キャラに囲まれたドキドキ京都ハーレム旅行にはなりませんよ」
「ついてきてほしいと頼んだ覚えはないですけど…まぁ、びっくりはしましたけど、納得もしました」
「あっさり受け入れるんですねーさすが若者!東谷さんが知った時は気持ち悪い者見るような目で私達みてましたもんねー」
懐かしい~と描田が笑う。
「春生くんって、意外と普通の一般人よね。それがいいところなんだけど」
「やだぁ橘さん、東谷さんとフラグ立てないでくださいよ」
「そんなつもりじゃなかったんだけど」
「そりゃそうでしょうね、東谷さんでは、ないですよね」
片岡と橘が、何やら意味深な会話をしている。ん?と描田と目黒が興味ありげに目を輝かせた。
「橘さんって浮ついた話聞いたことないですよね?橘さん、彼氏いないんですか?」
「いないわよ、好きな人ならいるけど」
「おぉ!誰ですか!私達の知ってるひとですか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「もぉ!じれったい!」
やっぱりこの中に自分がいるの、不自然すぎる。と、鷹明はおにぎりを静かにかじった。
結局、鷹明は京都駅に着くまでの約3時間、女性陣に囲まれ、肩身の狭い思いをした。
片岡と描田は「京都タワー上ってくる」と、京都駅に残り、目黒はホテルで少し休憩した後、先斗町に一人で飲みに行くと言ってホテルに向かった。
「鷹明君はこれからどうやって実家に行くの?」
「僕はバスで行きますよ」
「あら奇遇ね、私も京都バス旅しようと思ってたのよ」
「あ、そっすか」
橘がニッコリ笑いながら鷹明を見る。
…。
もしかしてとは思っていたが…。橘の好きな人って、自分なのだろうか…。いや、だって、前のケースでも異世界に飛ぶ前に手つないだりしてたし。思い返せば、三好卓也のケースの時だって、鷹明のためだけに急いで会社に来たんだ。今回の京都旅行だって、片岡と描田がデートすることはわかっていただろうし、目黒が一人飲みすることだって…。橘が一人、ここに残ってる理由って…もうそれ以外思い浮かばない。
鷹明とて、女性と付き合ったことはあるが、これほどわかりやすく好意を持たれたことはない。
こういう時、どんな顔をすればいいか…本当にわかりません!
「鷹明君はどのバス乗るの?」
「あ、えっと、あのバスです」
「奇遇ね、私もそっち方面よ」
そうですよね、と先に歩き始めた橘の後を、鷹明はゆっくりと追った。
バスに二人で乗り込む。観光地行のバスではないので、中は比較的に空いていた。2人席に並んで座る。
好かれていると自覚すると、すごく緊張する。これから何を言われるんだろう、なんと答えたら良いのだろう?告白とかってされるの?いや、好きだからと言って付き合いたいかどうかはわからない。落ち着け、そもそも本当に橘が自分を好いているかなんて、まだわからないのだ。
「鷹明君」
「ひゃい」
変な声出た。恥ずかしい。
「右手の具合はどうなの?まだ包帯してるけど」
そんな鷹明を気に留めることなく、橘は尋ねる。
「あぁ、毎日薬塗ってる都合で巻いていますけど、痛みはもうないですよ、動かすのに不自由もないですし」
「良かった」
そういえば、と橘は続ける。
「私のこと、まだ鷹明君には話したことなかったわよね」
「橘さんのことって…もしかして異世界から来たってことですか?」
「そう、それは知ってたのね」
「緋山さんから聞きました」
「力を分け与える理由で【捜索組】はみんな知ってるから、鷹明君にも話さないとって思ってたんだけど、なかなかタイミングがなかったのよ、ごめんなさいね」
「構いませんよ。自分の出身地のことなんて、話す機会ないですしね。現に、東谷さんとか片岡さんとか、出身地知らないですし」
「ふふ、確かにそうね。でも気にならない?同じ日本ならまだしも、私は異世界出身よ」
「前は気になったかもしれないですけど、今はこんな仕事してますからね。このバスの中にだって、橘さん以外に異世界から来た人がいるかもしれませんし」
「そうね」
話の流れで“橘さんがいた世界は、どんなところだったんですか?”と聞こうと思い口を開いたが、止めた。今まで、この世界で苦しんで苦しんで、異世界転生した人たちを何人も見てきた。もしかしたら橘も、鷹明が想像も出来ない苦しみから逃げるため、この世界に転生したのかもしれない。不躾に聞いていいことではない。
「鷹明君は、確かお姉さんがいるんだっけ?」
「あ、はい。姉と言っても、歳が離れているので、母親みたいなものですけどね」
「あらそうなの」
というか、母親代わりになろうとしてくれたのかもしれない。
そんな姉を、父親の顔を思い出していた。母親の顔は、覚えていない。
京都で生まれ育った父親と、滋賀で生まれ育った母親。二人は同じ京都の大学で出会い、社会人になりそのまま結婚した。
母親にとっての地獄の始まりは、その日からだった。
京都の名家、と言うわけではないが、京都生まれ京都育ちの父親の両親、鷹明にとっての祖父母は、プライドが高い人たちだった。
特に祖母がひどかった。
「滋賀出身の子なんて、品がなくていややわ。息子も阿保やわ。なんで同じ京都出身の子を選べへんかったん?」
そう、母親の前で、父親に聞いたらしい。
それからも、実家に顔を出すたびにいびられた。父親が気を使って「来なくていいよ」と言っても、わざわざ母親から「あんたが来うへんから来たってんで」と二人の新居に顔を出しては、母親に酷いことを言っていたらしい。
それから約1年後、姉の充希が生まれた。父も母も大層喜んだ。しかし祖母は…。
「なんで女の子なん?男の子やないとあかんやろ?跡継ぎはどないすんの?」
そう、姉を産んで数時間しか経たない母親に言ったらしい。さすがにその言葉に父親も大層激怒した。
「二人とも無事なんだからいいだろ?それに、うちは名前を継ぐほど立派な家じゃないだろ?」
「何言うてるん、うちには立派な向井の家系図があるん、知ってるやろ?ご先祖さんがつないだ名前だけでも、しっかり受け継いでいかなあかん」
「いい加減にしてくれ、彼女は出産したばかりで疲れてるんだ。もう出てってくれよ」
「うちは産んですぐ家事をしとったわ」
「母さんと彼女は違うんだ」
「そんなひ弱な体で、二人目産める思うてんの?」
「まだ一人目が生まれたばかりなのに…二人目の話なんてやめてくれ」
「男の子産んでもらわな困るもの」
二人の言い合いを聞いていた母親は、ボロボロと泣き始めた。それにつられ、姉も泣き始める。
「あーいややいやや、うるさいわ、滋賀の女もその子供も」
「やめろよ!帰ってくれ!」
父親は、無理やり病室から母親を押し出した。
「ごめんよ、あんな母親で…」
「う…うん」
父親は、泣く母親と姉を一緒に抱きしめる。
「大丈夫。母さんの言うことなんて気にしなくてよいから」
「うん」
そう、父親は母親を励ましたという。
しかし、祖母の言葉は母親の心をえぐり、深い深い傷を負わせた。
生理が再開してから、すぐに二人目を産めと言った。しかし、二人目はすぐにはできなかった。一度目が上手くいった所為か、1年、2年と子供を授からないことに、母親は焦った。
「男の子どころか、二人目すら妊娠出来ひんなんて、ほんとあんたは使えん嫁やね」
「あんたんとこの娘、頭も悪けりゃ顔も悪いわ。あんたに似たんやな」
「もうええやろ?十分やろ?そろそろ離婚したってや、息子が可愛そうやわ」
「あんたんとこの娘、女やのに気も使えんし、よう食べるなぁ、下品でいややわ」
母親だけではなく、充希にも祖母は辛く当たった。
そんな日々が10年も続き、母親が疲弊しきったころ、ようやく鷹明を授かった。
これで、祖母から嫌味を言われなくなる。この子は私にとって救いだ。そう思っていた。
無事鷹明を産み、祖母と対面した。
「やっと男の子産んだんやな。ほんまとろい嫁やで、しっかり育てや」
いたわりの言葉など、出てくるはずもなかった。
鷹明は、少し成長速度が遅かったらしい。腹ばいも、寝返りも、全くやる気配はなかった。
「子供の成長はそれぞれだし、鷹明の遅れはまだ許容範囲だよ。気にすることはないよ」
「でも、やっと男の子が生まれたのに…またお義母さんに、色々言われちゃう」
「気にすることないって」
「だって、実際言われてるのよ…他の同い年の子はもう歩いてるのに、鷹明は寝返りすらしないって…障害があるんじゃないかって…そんな子供産むなんてって…」
「大丈夫だよ、鷹明はのんびり屋なんだ。そのうち出来るようになるよ」
でも、でも、でも…。
その日はすぐに訪れた。
父親が仕事に行き、姉が学校に行っていた日。
鷹明はずっと泣いていた。ミルクは飲まず、オムツも汚れていなかった。抱っこをしても、背中を撫でても、泣き止まなかった。
「大丈夫よ、鷹明、大丈夫大丈夫」
前の出産から10年。体は高齢化していた。祖母の所為で精神もボロボロだった。産後で心身ともにストレスが溜まっていた。夜泣きで寝不足だった。姉の世話もある、家事もしなくてはならない。父親は“気にするな”ばかりで助けてくれない。
その日、その時、母親は、鷹明の頬を強く打った。
充希が先に家に帰ると、母親は号泣しながら倒れていたらしい。鷹明も傍らでずっと泣いていたが、頬の腫れはなく、怪我もなかった。
母親の異常に戸惑いながらも、充希は父親が帰ってくるまで、ずっと励ましていた。
仕事から帰宅した父親も、大層戸惑った。
その日の夜、姉と鷹明は寝静まったあと、二人は膝を合わせて話をした。
「鷹明に手を上げてしまったの…頬を…あんな小さな体を…私は殴ってしまった」
母親は未だに泣いている。
「自分でも信じられない。鷹明を殴るなんて…鷹明…どうしよう、ごめんなさい、鷹明の脳に障害が出来たらどうしよう…」
「落ち着いて、鷹明は痛がってる様子もなかったし、今はぐっすり寝てる。大丈夫だよ」
「だめよ、また、手を上げてしまうかもしれない…あの子が泣いたら、私…私…うぅ…」
お願い、と母親は切り出した。
「私と離婚して」
「…え」
「これ以上鷹明と一緒にいられない。私は母親失格だわ」
「落ち着けって、たった一度じゃないか」
「でも、充希には一度も手を上げたことがないのよ?今までこんなことなかった…そうよ、これから充希にだって手を上げてしまうかもしれない…ダメ、もう私は、ダメなのよ。あなたと結婚してはいけなかった、子供を産んではいけなかった」
父親は知らなかった、母親が、これほどまでに追い詰められていたことを…。もう、自分の手で救うことが出来ないところまできているのだと…。
それから、二人は離婚し、母親は一人家を出て行った。
父親は実家と縁を切った。離婚した母親を、残った充希と鷹明を守るために。
母親がいない経緯については、鷹明が中学生になるころにすべて聞いた。
聞いたうえで、母親を嫌ったり、恨んだりはしなかった。こんな話を聞かされれば、誰も母親を責められないだろう。
社会人になり、今となっては、二人が離婚して良かったとすら思う。もしあのまま生活を続けていれば、母親は自殺していたかもしれない。あるいは異世界へ…。
今回、鷹明は、その母親に会うために、京都に戻ってきたのだ。
母親とは、家を出て行ったその日から会っていない。だから鷹明の記憶には全く残っていない。それでも、その日までは、愛情深く育ててくれていたことは、父親から何度も聞かされている。鷹明を笑顔で抱いている写真だって残っている。
それでも、一度手を上げたトラウマからか、鷹明に会おうとはしなかった。鷹明も会いたいと言ったことはなかった。母親にとって、自分はつらい記憶を呼び覚ます息子なのだから。
でも、会わなければいけないと思った。今会っておかなければ、母親に会うことなく死ぬかもしれない。その方が、母親にとっては辛いのではないかと鷹明は思った。
恐る恐る父親に“母さん会ってみたい”と相談すると、意外と快く承諾してくれた。
「お前が、そう言ってくれるのをずっと待ってたんだ…思ったより早くてうれしいよ」
父親はそう、電話の先で笑っていた。
ほどなくして地元のバス停に着く。鷹明と橘が一緒に下車した。
「あの、一応聞きますけど、橘さん、家までついてくるんですか?」
「まさか、私はこの辺の探索するのよ」
「何もないですよ、この辺」
「あるじゃない、地図アプリ見てるけど、小さなお寺とか、お菓子屋さんとか、やっぱり京都ってすごいのね。こんな町中にもお寺いっぱいあるわ」
それじゃ、と橘はあっさりと鷹明の元から去っていった。内心ほっとする。あんな美人を実家に連れて帰ったら、きっとパニックになる。
さて、と鷹明は深く呼吸をした。
「帰るか」
実家なのに、チャイムを押すことを躊躇してしまう。
もう一度深呼吸し、チャイムを押すと、はい、という父親の声がすぐに聞こえてきた。
「ただいま」
「あぁ、おかえり鷹明、すぐに開けるから待っててくれ」
言われた通り、玄関がすぐに空いた。その父の少し後ろに、女性が立っている。姉ではない。
「元気そうだな、鷹明。ん?その手どうした?」
「あぁ、派手に転んじゃって、もう大丈夫だよ、ほとんど治りかけ」
「それならいいんだが、それより、挨拶しろよ」
笑顔の父親は、言って、彼女と鷹明が向き合えるよう、身体を退けた。
自分の面影を感じる顔立ち、華奢な身体。
「鷹明」
小さな声で呼ばれた。
「はい、お母さん」
そう答えると、母親が、その場に膝をつき、泣き始めた。
3人はテーブルに座り向かい合う。
「鷹明、本当にごめんなさい、あなたには辛い思いをさせてしまって」
「ううん、僕は辛い思いなんてしてないよ」
こうして、生きているうちに家族として、母親と会えたことを、心の底から嬉しく思う。
「仕事はどう?上手く行ってるの?体は大丈夫?手を怪我してるみたいだけど」
「母さん、そんなに矢継ぎ早に聞いたら鷹明が困るよ」
「ごめんなさい。ふふ、こんな歳なのに、はしゃいじゃってみっともない」
「お母さんこそ、元気そうで安心したよ」
「お陰様で」
「…鷹明、実は一つ、謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「何?父さん」
父親は、少し照れくさそうに頬を掻いた。
「実はな、お前がこの家を出てしばらくしてから、僕と母さん、再婚したんだ」
えーという言葉すら出ないくらい、驚愕した。
「母さんと決めてたんだよ、お前が無事に独り立ちしたら、その時はまた一緒になろうって」
「私は早く言った方がいいんじゃないかって言ったんだけど、お父さんが“直接話そう”っていうから…だから内心、早く会えて良かったと思ってるのよ。あと20年、30年先だったら、ずっとだましてることになっちゃうからね」
見えないが、テーブルの下で二人が手を繋いでいることが、なんとなくわかる。
「もちろん、僕の実家には報告してないけどね、まぁもう縁を切ってるし。…ずっと思ってたんだ。母さんがあんなに追い込まれたのは、僕が母親から母さんを守ってあげられなかったからだって。“大丈夫”とか“ほっておけばいい”なんて言って、良いことを言っているようで、結局は母さんを見放してた…先に母さんの手を離したのは僕だったんだ。だから、必ず母さんを幸せにしようって決めてたんだ」
自分の知らぬ間に、そんなことを考えていたのか…。わが父ながら、誇らしく思う、本当にすごい人だ。
「姉さんはこのこと知ってるの?」
「えぇ、鷹明には内緒にしといてって、言いたくてうずうずしていたけどね」
思い出したのか、母親が笑う。
母親の笑顔が、とてもかわいらしく思う。良かった、この人は今、幸せなんだ。
「お前はどうなんだ?紹介したい人とかいないのか?」
「あ~」
橘の顔が頭をよぎる。いやいや、恋人じゃないし。
「あら?思い当たる人がいるの?」
母親も父親も、目を輝かせている。
「いや、いないけど」
「そうなの?我が息子ながら、良い男だと思うんだけど」
「そういうのやめてよ」
鷹明は苦笑した。
それから、父親が注文した寿司を食べながら、色々話した。話すことは山ほどある。仕事内容については少しごまかした。必要以上に心配させたくない。
実家で2時間ほど過ごした後、鷹明は一人、実家を出た。本当は泊まる予定だったが、ほぼ初めて会ったに等しい母と、仲良く話すことが出来たとは言え、さすがに一晩同じ家に泊まる気にはなれなかった。
実家を出て歩きながら鷹明は迷う。このまま日帰りするか、ホテルを探すか…。
あ、と橘のことを思い出した。確かこの辺りをうろうろすると言っていた。まだいるのだろうか?彼女の連絡先が分からない。交換しておけばよかったと後悔する。
神社を回ると言っていた。近くの神社から探していけば見つかるだろうか?
実家から少し離れた神社に来てみると、いた。橘はベンチに腰掛け、何をするわけでもなく、ボーっとしている。
「橘さん」
「あら、鷹明君。驚いた。今日は実家に泊まるのかと思ってたわ」
「そのつもりだったんですけど、予定変更で…」
「そうなの。この町はいいわね。人があまりいなくて、静かで、穏やかで」
「そうですね。ここが京都だと聞かれたら、全然京都感ないですけど、僕は結構好きですよ」
「あなたが穏やかな理由がわかるわ。この町で育ったからね」
「そうかもしれませんね」
久しぶりに来たついでだ。鷹明は財布を取り出し、賽銭箱の前に立ち、賽銭と礼をして、手を合わせる。
どうか、この町で、父親と母親が幸せに暮らせますように。
二人で一緒に鳥居を潜って外に出る。神社に一礼し、さて、と顔を合わせた。
「橘さんはこれからどうするんですか?」
「そうね…祥子ちゃんとねこちゃんのデートを邪魔するわけにはいかないし、雛ちゃんは一人飲みがいいっていうし…私も一人で京都巡りしようかしら。鷹明君、おすすめある?」
「ここからなら嵐山が近いですよ」
「あらいいわね。一緒に行く?」
すごくサラッとデートに誘われた。
これって、これってやっぱり…額に汗がにじむ。
「ぼ、僕は少し疲れたんで、ホテルに行って休みますね」
適当な嘘をついてしまった。いや、普通に考えて無理だ。そんな突然、意識されてるかもしれない人とデートなんて、ハードル高いこと出来ない。
「そうなの?残念ね。じゃあ、これ、先に渡しとこうかしら」
言って、橘はポケットからお守りを取り出した。
「これって、緋山さんが持ってたのと同じやつですか?」
「そう、それ、実はねこちゃんのお手製なの。ねこちゃんがずっといなかったから、鷹明君に渡すの遅れちゃって、ねこちゃんに頼んで作ってもらったのよ。私の力がこもったお守り。今までみたいな強力な力はないけど、あなたを傷つけることはないわ。仕事の時はそれを持っていて」
「うわぁ、ありがとうございます」
なんか、素直にうれしい。
そうだ、と鷹明は閃く。
「ちょっと待っててください!」
「え、鷹明君、どこいくの?」
「すぐ戻ります」
言って、鷹明は神社の隣にある家のチャイムを鳴らした。
言った通り、鷹明はすぐ戻ってくる。
「はいこれ」
「これ、お守り?」
「僕には特別な力ないですけど…神社のお守りなら効力あるかなって?」
橘は両手でそれを受け取った。
受け取って、涙を流した。
「え、えぇ?橘さん!?」
「ありがとう。本当にうれしい。お守り、もらったのは初めてよ」
右手で大事そうにお守りを持ちながら、左手で涙をぬぐう。
「ありがとう。本当にありがとう。大事にするわね」
「ええぇあああぁぁ。あの、お守りって言っても、ここ町中にある小さな神社ですし!有名じゃないですし!本当に効力あるかわからないですし!」
「あるわよ。あなたから貰ったことに意味があるのよ。ふふ、本当にあなったって、そういうことがサラッと出来てしまうところ、かっこいいわ」
やばい、やばいやばい!体中の血液が沸騰しそう。めっちゃ恥ずかしいことした!
「鷹明君。ありがとう、私はあなたが…」
一瞬、時間が止まったように感じた。
その言葉の続きは、出てこなかった。
「…橘さん?」
声を掛けられ、ハッと橘が顔を上げる。顔が真っ赤だ。
「や、やだ私ったら!感動のあまりこんなに泣いちゃって…私も疲れてるのかしら?私もホテルに戻ろうかな?鷹明君はどこのホテルなの?」
「え、あ、実はまだ決まってなくて、これから探そうかなって」
「そ、そうなの、じゃあ、私達が泊まるホテルに問い合わせてみましょうか?」
「本当ですか!とても助かります!」
なんだか、会話のテンポが悪くて、くすぐったかった。
というか。
「告白されるかと思ったぁ…」
問い合わせたホテルで部屋が取れ、橘と鷹明はタクシーでホテルまで向かった。その間、終始無言だった。
ドッと疲れた鷹明は、ホテルの部屋について早々、ベッドに倒れ込んだ。
なんだか、母親との再会以上にドキドキした。
「っていうか、迂闊すぎるだろ…どう考えたって、告白する雰囲気作ったの僕だし…」
鷹明は、ため息をつきながら外を見た。ホテルは京都河原町駅から少し歩いた小さな宿だ。外は茜色に染まり、そろそろ日が沈みそうだ。目黒が先斗町に繰り出してるころだろうか?
心臓の鼓動が、ゆっくりになっていく。心と体が落ち着いていく。
本当に、母親と話せてよかったと思い返す。
「東海林さん、あなたが生きていたら…お礼を言いたかった」
一言も会話を交わさなかった東海林博信。それでも、家族と最期の言葉を交わすまで必死に生きた彼のことは、鷹明のまだ短い人生において、大事な記憶となった。
僕も、あんな風に、歳を重ねられるだろうか?
鷹明は、瞼をゆっくりと閉じた。
チャイムが鳴って目を覚ます。あのまま寝てしまったらしい。手元にあるスマホを見れば、23時を指していた。
「何だよ…こんな時間に…」
ドンドンと戸を叩く音が聞こえる。しぶしぶ起き上がり、はい、と言いながら戸を開けた。
「タカっちーーーーーー!マジでこのホテルにいるーうけるーーーー!」
描田が部屋に飛び込んできた。
「うわ!くっさ!!」
酒臭さが鼻を刺す。
「ごめんね鷹明君。鷹明君もこのホテルに泊まるってねこちゃんに行ったら、会いたいっていうもんだから」
描田の後ろから、橘と片岡がひょっこり顔を出す。
「だってぇ、私まだタカっちのこと全然知らないんだもーん。祥子ちゃんのお気に入りみたいだし、気になるじゃないですかぁ」
「お気に入りなんて言ってないでしょ?よくできる後輩だとは言ったけど」
「祥子ちゃん今までそんなこという後輩いなかったじゃん!まぁ確かに、タカっち可愛い顔してるもんねー」
可愛い可愛いと、描田が頭を撫でる。
「祥子ちゃんはこういう時嫉妬しないの?」
「ねこさんは酔っぱらうと誰にでもあぁなりますし、あれくらいじゃ嫉妬しないくらい愛されてますよ」
「あらすごい愛情ね」
「はぁい!私は祥子ちゃんにメロメロでーす!」
描田が騒いでいると、さらに後ろから目黒が顔を出した。
「もう皆さん集まってるんですね、お酒とおつまみ買ってきましたよ」
「あれ?目黒さん先斗町で飲んでるんじゃ…」
「17時からいっぱい飲んで食べてきましたよ。私はこれから皆さんと2次会です」
目黒はいつもと顔色一つ変わってない。きっとザルだ。
「新幹線では飲ませられませんでしたけど!タカっちにも今から飲んでもらいますからね!色々吐かせちゃうんだから!」
「何を!」
めちゃくちゃ怖い!
「というかこの部屋で飲んでいいなんて一言も言ってません!」
「え?じゃあ私と祥子ちゃんの部屋で飲む?」
「そういう問題じゃなくて!」
「あ、もしかして下戸?」
「そうでもなくて!」
「じゃあちょっと付き合ってよ!ちょっとだけでいいから!」
だめだ、この人に絡まれたら終わりだ。
女性陣がぞろぞろと鷹明の部屋に入ってくる。
「それでは!タカっちの歓迎会と!私の帰還祝いと!日頃頑張ってる皆さんを労わって!かんぱーい!」
女性陣が高々と酒を天高く上げる。
鷹明も、しぶしぶ上げた。
翌日、体中に疲労感が漂う中、鷹明は新幹線に乗っていた。
後ろの席では、目黒と片岡と描田が肩を乗せ合って寝ている。
「ふふ、楽しい夜だったわね」
「そっすね」
隣に座り、ケロっとしている橘に、元気よく返事する余裕はない。
結局、そのまま鷹明の部屋で朝まで飲んで食って騒いで、昼前の新幹線にみんなで乗り込んだ。
予定とはだいぶ違う帰郷になったが…確かに楽しかったと言えば楽しかったのか…。
鷹明はひっそりとほほ笑んだ。
「また京都行きましょうね」
「今度は東谷さんも引きずっていきましょう。やっぱり男一人はしんどいです」
「あら、二人で行こうってってるの」
ギョッと目を見開きながら橘を見る。
わかってるでしょ?と言わんばかりの笑顔。そういえば…知らぬ間に隣に座ってるし!この人こわ!
わかってます。わかってますよ!もう!これからどうしたらいいんですか!
「そ、そういえばさっきからすごいニュースが流れてきてますよね!」
「え?知らないわ。どんなニュース」
良かった、話題を逸らせた。
「東京にあるコンビニで、男性がナイフを振り回して、従業員と客を死傷させたって…」
「え、そんなことが…」
橘がスマホを取り出し、ニュースを調べた。
本日9時頃、東京在住の男が、勤め先の会社で社員を複数人ナイフで刺した。死傷者が多数出る大事件が起こっていた。
橘が目を見開く。
「え…」
「どうしたんですか?」
「この男…一色君がこの前まで担当してたケースの【回収者】よ」
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