いつかまた、どこかの異世界で

 鷹明は右腕に痛みを感じながら目を開けた。硬い天井、柔らかな布団、眩しい日差し、カーテンの影。ここが病院であることはすぐにわかった。起き上がろうと右ひじを立てる。しかし痛みで体を支えられず、ベッドから起き上がれなかった。

「向井、起きたか」

 声のする方へ顔を向ける。東谷が椅子に座って鷹明を見ていた。

「…いつの間に、こっちに戻ってきたんですか?」

「気絶したお前を、橘が引きずって戻ってきた。ねこも一緒だ」

 良かったと、鷹明は安堵のため息をついた。

「片岡も【回収者】を連れて無事に戻ってる」

「東海林さんは…」

「…奥さんと最期に会話は出来た」

「最期…」

 ぶわりと、鷹明の目に涙が浮かぶ。溢れたそれは、とめどなく落ちていく。

「お前が泣くんじゃねぇよ」

「はい…すみません」

 わかっている。でも悔しくて、悲しくて、仕方ない。

「…【回収者】の依頼人の婆さんが、お前にも礼を言っておいてくれと言伝を預かってる」

「え?」

「俺たちがいなきゃ、息子とは、行方不明のまま二度と会えなかっただろうって。あなた達がいなければ、息子が子供に会うことも、最期に奥さんと話すことも出来なかった。本当にありがとう。だとよ」

 恨み言を言われてもおかしくないのに、なんであのおばあさんは、そんなことが言えるのだろう。

「う、うぅ…」

「だから泣くなって」

「うああぁぁ」

「うるっせぇな、俺は帰るぞ」

 声を上げて泣く鷹明。東谷は耳を塞ぎ、立ち上がって病室から静かに出て行った。






 鷹明が一通り泣いた後、看護師が来て検査に行くように言われた。鷹明の右手は軽い火傷と筋肉痛だけで、動かすことに支障はなかった。検査後、もう帰っていいよ、と医師から告げられた。

 帰っていいと言われたが、鷹明は何も持っていない。スマホもないし、帰るお金もない。これどうすればいいんだろうと途方に暮れていると、病院の受付付近の椅子に、橘が座っていることに気が付いた。

「橘さん」

「あぁ、鷹明君、良かった、元気そうで」

「橘さんも、無事だったんですね」

「えぇ、あんなおばあちゃん、一捻りだったわ」

 ふふん、と誇らしげに胸を張っている。

 あんな強そうな人を一捻りとは…良かったと言うべきか、ちょっと怖いと言うべきか。

 どう言うべきか迷ったあげく、鷹明は話題を変えた。

「他の皆さんは…描田さんは大丈夫なんですか?雪野さん親子は?」

「ねこちゃんはしばらく入院が必要だけど、あの子も補助があれば歩けるくらいには元気よ。雪野さん親子も、無事旦那さんと再会したわ。みんな抱き合いながら喜んでたわよ」

「そうですか、良かった」

 あの親子だけでも先に返した東谷の判断は正しかった。あんな戦火の中、一緒に行動していたら死んでいたかもしれない…。


 鷹明がうつむいていると、橘が“帰りましょうか”と言う。

「車、病院のガレージに止めてあるの。鷹明君の荷物も会社にあるから、一旦会社に行きましょう」

「はい、お願いします」

 二人は並んでガレージに向かった。


 橘に促され、鷹明は助手席に座る。すると、先に運転席に座っていた橘が、鷹明の右手を取った。

「橘さん?」

「やっぱり、少し力が強すぎたみたいね…ごめんなさい」

 うつむく橘に、いいえ、と鷹明は首を振って見せた。

「橘さんの力がなかったら、きっと僕も東谷さんも…東海林さんも、無事じゃなかったと思います。お礼を言わなきゃいけないくらいですよ。本当にありがとうございました」

「あの化け物に勝てたのはあなたの力よ。私は少し力を出しやすいようにしただけ…。驚いたわ。ねこちゃんと洞窟に向かっていたら、気を失っているあなたと、お腹に穴の泣いた化け物がいたんですもの」

 あのあと、そんなことになっていたのか…技を出した直後に気を失ったので、全然知らなかった。


 あ、と鷹明は何かに気が付いた。

「手」

「え?」

「あの世界に行く前、橘さん、僕の手、握りませんでした?」

 橘が顔を上げ、目を見開く。

「…どうしてわかったの?」

「なんとなく、あの時も僕に力をくれてたんですか?」

 尋ねると、橘がふふ、と笑い、鷹明の右手を離した。

「私があげてたんじゃなくて、もらってたの、あなたから」

「え?僕にそんな能力ないですよ」

「あるわよ、もうこの話はいいでしょ、帰りましょう」

 言って、橘はアクセルを踏んだ。









 とある病院の霊安室に、東海林の遺体を挟んで東海林の母親と、妻の詩織が子供を抱いて立っている。

「お義母さん…ごめんなさい。最期に、私ばかりが話をしてしまって…」

「いいのよ、博信が幸せだったと聞けただけで、私は満足よ」

 東海林は息子を見下ろす。

「でも、やっぱり堪えるわね…まさか子供が二人共、先に逝ってしまうなんて…」

 東海林の目から涙が落ちる。

「やだ…博信の前で泣くつもりなかったのに」

「お義母さん…」

「子供たちの幸せを見守りながら、私が先に死ぬんだろうなって思ってたのに…人生上手くいかないものね、私も、あなたも…」

 東海林は涙をぬぐいながら、顔を上げた。

「もうこうなったら、幸子がお嫁さんに行くまで絶対生きるわ。元気に長生きして、あなた達の幸せを見届けながらぽっくり逝くわ。だから、一人で無茶しないでね?しんどくなったら私が幸子の面倒を見るし、お金だって幾らでも…はもう無理だけど、出来る限りあなた達を助けるわ」

「…」


 詩織が返答に困っていると、霊安室の戸を誰かがノックした。どうぞ、という東海林の返事を聞き、戸を開いたのは、中年の男性だ。

「お邪魔します」

「ひろおじさん!」

 男性の後ろから、制服を着た女の子が飛び出してくる。

「由比乃!大きな声を出すな!」

「だって…おじさん…おじさん…」

「哲也さん、由比乃ちゃん」

 哲也は、東海林博信の姉の旦那、由比乃は姉夫婦の娘だ。

 由比乃は東海林博信の遺体の前で大泣きする。

「…まさか、博信さんがこんな…」

 哲也も顔をしかめ、今にも泣きそうなのを堪えている。

「由比乃を一緒に育ててくれたこと、まだちゃんとお礼出来てなかったのに…」

 哲也は、しかめた顔を綻ばせ、詩織を見た。

「詩織さん…僕と由比乃は、博信さんにたくさん助けていただきました。今度は僕たちの番です。何かあれば頼ってください」

「私も」

 由比乃が涙をぬぐいながら詩織を見る。

「ひろおじさんは、私にとっては二人目のお父さんだった。ひろおじさんが大好きだった。ひろおじさんが私にたくさんのことをしてくれたみたいに、今度は私が幸子ちゃんにたくさんのことをやってあげたい」



 詩織の目に涙があふれる。

 博信さん。聞こえてる?あなたが残した私と幸子への愛は、こんなに、溢れるほど、感じられるよ。


「みなさん、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

 頭を下げる詩織の腕で、幸子が嬉しそうに笑っていた。








 それから数か月後、詩織はウエディングドレスに身を包んでいた。その姿を、東海林の母親が幸子と手を繋ぎながら、哲也と由比乃も嬉しそうに見ていた。

「皆さん。私の我儘に付き合ってくださってありがとうございます」

「いいのよ、詩織さんの花嫁姿が見られて嬉しいわ」

「詩織さん!すっごい綺麗!」

「きっと博信さんも、天国で見惚れてますよ」

 そう、博信が言っていた。君の花嫁姿が見たいと。

「でもいいの?私達も一緒に写真に写って」

「はい、私と幸子だけじゃさみしいですから」


 では皆さん並んでください、とカメラマンが言う。




 博信さん。あなたに言えなかったことがあります。実は、私入社当時から、ずっと博信さん狙ってました。かっこいいおじさまだと思っていました。私は最初から、結婚するなら絶対博信さんが良いと思っていました。

 だから、大好きな人と結婚して、子供が出来て、私もとても幸せです。



 出来るなら、来世…いいえ、異世界転生でも構いません。もしまた会えたら、また一緒になりたいです。

 その時は、私とあなたと、幸子の3人で一緒に生きましょう。

 今はこの世界で、幸子と目いっぱい幸せに生きます。

 あなたも、次の世界で、生まれたその瞬間から、どうか幸せでありますように。

 そして、この写真があなたの元に届きますように。

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