一から了まで

 まばゆい光が少しずつ消え、辺りの景色がはっきりとわかるようになってきた。たどり着いた場所は…土埃が漂う薄暗い場所…洞窟だ。かなり広い洞窟で、壁には松明が燃えている。

 鷹明達が立つ足元には魔法陣、それを取り囲むように、人々が立ちすくみ、鷹明達を驚愕の目で見ていた。

「こりゃ…珍しいケースだな、人の多いところに出されるとはな…」

 東谷が苦笑いしている。橘と片岡は緊張しているのか、口をつぐんで何も言わない。

 鷹明達が黙っていると、恐る恐る陣の中に、一人男が入り、近づいてくる。

「もしやあなた達、ねこさんの言ってた“仲間”ですか?」

 ねこ、という言葉にいち早く反応したのは片岡だ。片岡は男性に近づく。

「ねこさんを知ってるんですか!?」

「はい、いつか助けに来てくれると…ここはそのために用意した場所です。あなた達がここに到着しやすいよう、“そちらの世界の形式で”魔法陣を描いておりました。こちらも準備していれば、そちらの世界との道が繋がり、ここにたどり着くはずだと…。よかった…成功した」

 男の目からボロボロと涙が落ちる。この世界のことは全く知らないが、描田が彼らにとってとてつもなく大きな存在なのはすぐにわかった。そして、噂にたがわぬ優秀な人物であることも…。

「さすが、うちの優等生はやることが違うわ」

「抜けてそうに見えて、あいつは抜け目ないからな」

 橘と東谷が笑う。


「それで!ねこさんは無事なんですか!」

 片岡が男に食いつかん勢いで尋ねる。男は後ずさった。

「は、はい、無事なのですが…」

 男はうつむいた。

「実は、半日ほど前、私達の敵から襲撃を受けました。その時、東海林と呼ばれる召喚者が連れていかれてしまい…ねこさんは東海林さんを取り戻すために、戦闘員数人と敵地に乗り込みました」

「そんな…」

 片岡は手で口を覆う。


 東海林…間違いない、東海林博信だ。

「おい、東海林っておっさん以外に、召喚者はいないのか?」

 東谷が尋ねる。

「雪野と言う親子がいます。彼らは敵の目的ではなかったらしく、今は洞窟の奥に避難してもらっています」

「二人とも生きてるんだな?」

「はい、少し体調は悪そうですが、歩くことに問題はありません」

「よし、片岡、お前は雪野さんたちを元の世界に連れていけ」

 東谷が指示すると、片岡はハッと顔を上げ、東谷を睨んだ。

「いやです!ねこさんの無事を確認するまでは帰れません!」

「バカ野郎!お前はここに何しに来たんだ!」

 東谷が怒鳴った。片岡の肩が跳ねた。

「【回収者】を連れ戻すためだろう!ねこを助けるためじゃねぇ!“生きている”なら大丈夫じゃねぇんだよ!ガキもいるんだぞ!今死ぬかもしれねぇ!精神がおかしくなって、すでに手遅れかもしれねぇ!1秒でも早く連れ戻すんだ!今ここで!安全なこの場所で!転送できるんだ!この状況を作ったねこの苦労を、水の泡にするんじゃねぇ!」

 片岡が何も言わず、顔を伏せる。

「ねこは俺たちが必ず連れ帰る。お前は必ず【回収者】を連れ戻せ」

「…どうしても、私でなきゃダメなんですか?」

「俺は経験値が一番高いから残る、向井は新人だからだめだ、橘は戦力だ。お前が適任なんだよ」

「…わかりました。今回は雪野さんたちを連れ戻す。それが私たちの仕事ですもんね」

 顔を上げた片岡の表情は、強い決意を抱いたような、凛々しい表情だった。




 片岡を一人残し、鷹明達はレンスと名乗った男に敵地までの案内を頼み、その場を後にした。

「橘」

「何?」

「向井に“まじない”かけとけ、こいつ、耐性があるんだろ?」

「確実じゃない、一度の検証で“耐性がある”とは言えないわ」

「今回はかなり危険な世界だ。向井も戦う手段を持っておいた方がいい。多少危険でも死ぬよりましだろ?」

 死…今、そういう場面に直面している。鷹明の額に汗がにじんだ。

「向井、本来ならお前も片岡と帰っても良かったんだが、戦力は多い方がいい。お前は言うこと聞かねぇが度胸はある。【回収者】のためにしっかり働け」

「は、はい!」

 なんだか意外だ。東谷から、期待ともとれる言葉を言われるなんて…。嫌われてると思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。

「橘さん、お願いします」

 鷹明は歩きながら、橘に手を差し出した。

「…本当に危ない時だけ使って。極力、この力は使わないでね」

「わかりました」

 橘の暖かな手が、鷹明の掌と重なった。





 洞窟を出て、敵地に向かいながら、鷹明達はこの世界についての説明を受けた。

「なるほど、東海林さんだけが連れていかれた理由に納得がいきました」

 言いながら、急がなくては、と鷹明は思う。彼らの話が本当ならば、ユーバートリーは東海林を食らうために連れ去ったはずだ。描田もそう判断し、すぐに助けに出たのだろう。

「あの城か!」

 足早に歩を進め、見えてきたのは薄暗い空気に包まれた石造りの城だ。その城から、煙が上がっている。

「おそらく城の中は、すでに戦場となっているのでしょう。これを機に、我々もユーバートリーを打つべく、精鋭を送り込みました。召喚は1度やると、そのあと数年行われないのです。召喚魔法を使うには、それほどの力と年月が必要なのでしょう。召喚を行っておよそ一か月。老人を食う行為は、力をつけても魔力を回復することはない。やつを打つなら今しかないのです!」

 男の言葉にも力がこもる。

 それだけの戦力が城にいるなら、東海林も描田も無事でいる可能性が高い。とはいえ、この目で確認するまでは油断ならない。

 早く早くと、城に向かう鷹明達の足並みは、徐々にスピードを増していく。




 城に近づけば近づくほど、焼け焦げた臭いが強くなり、煙が目に染みて痛くなる。これが戦場…。もちろん、鷹明にとっては初めての戦場だ。本当に、自分の住んでいる世界…日本は、平和な国なのだなと思い知らされる。

 石城を囲んでいた塀は粉々に崩れている。鷹明達はそこから堂々と城に入る。所々から爆音が鳴り響き、火の粉が飛んでいる。

 各々が周りを見渡していると、一際大きな爆音が聞こえる。壁が瓦礫となり、崩れ落ちてくる。その中に、人が一人紛れていることに鷹明はすぐ気が付いた。若い女性、日本人を思わせる肌色と体形。描田であると直感で鷹明は理解する。鷹明はそちらに向かって踵を翻し、走り出した。

「鷹明君!?」

「向井!」

 東谷と橘の声に答える余裕はない。

 鷹明が走りつく前に、描田の身体は地面に叩きつけられた。上から無数の瓦礫が降り注ぐ。鷹明は走りながら、足元に落ちている小さな瓦礫を適当に拾い上げ投げた。鷹明が投げた瓦礫は火をまといながら、描田に降り注ぐ瓦礫にぶつかり、粉々になった。前と同じだ。コントロールは適当でも当たるし威力がある。とりあえず描田を瓦礫から守れたことに安堵した。


 ほどなくして鷹明は描田の元にたどり着く。

「大丈夫ですか!?」

 う、と描田がうめき声をあげながら目をうっすらと開ける。

「…だれ?」

「僕は…」


 ドシン、と、鷹明の横に何かが落ちてきた。描田が先に落ちてきて気づかなかった…瓦礫の中に、もう一人いたのだ。瞬間、焼け焦げた臭いが鷹明の鼻に突き刺さる。

 あ、と、描田が目を見開きながら落ちてきたそれを見る。彼女の目は涙であふれている。

「東海林さん」

 鷹明は、ゆっくりと、振り返った。



 スーツを着た50代の男性が倒れている。

 無数の傷と火傷を見て、彼がもう長く生きられないことを、その瞬間悟った。


「あ、あ」


 止まりそうな息を、鷹明は必死に吐き出した。

 東海林と呼ばれたその身体は、本当に、今にも朽ちてしまいそうだ。

 鷹明の目に、彼の祖母の顔が浮かんだ。

 まだ見たことない、泣き叫ぶ、彼女の顔が…。




 事実を殴りつけられた鷹明は、上から降り注ぐ火の粉に気が付かなかった。

 しかしそれは全て吹き飛ばされた。

「ねこ!」

 後から駆けつけてきた東谷が描田の前に膝をつく。

 鷹明達の前に、橘とレンスが立つ。レンスが武器を構え、前方に立つ少女を睨んだ。


「ユーバートリー」

「まさかお前ら如きが全勢力をもってこの城に攻め込むとは…ちょうどいい、今日こそお前らを全員殺してやる」


 少女が、ただの少女ではないことは誰もがすぐ理解した。赤く、鈍く光る彼女の目は、少女と呼ぶにふさわしくない。濁り切ったそれは、とてつもなく長い時間を生きてきたことを証明している。

「だが面白いやつらが来たな、小娘の仲間か?まぁいい、その男を渡せ。全く、大人しくしていれば、苦しむことなく丸焼きになっていたのに」

 その男、と言って、ユーバートリーは杖で東海林を指した。

「大人しく渡すと思ったの?」

 橘がユーバートリーを睨む。

「ん?お前、面白いな。お前も魔女か?」

「あら、よくわかったわね」

 橘がにやりと笑う。



 その後ろで、東谷が鷹明の肩を揺する。

「しっかりしろ向井!」

「う…うぅ…」

 鷹明は東海林の横で蹲り、うめき声をあげている。

「向井!いいかよく聞け!【回収者】は必ず連れ戻す。それが俺たちの仕事だ。お前は依頼を受けた。【回収者】はまだ生きてる」

 鷹明がゆっくりと顔をあげる。東海林の胸は、確かに、かすかだが上下している。

「連れて帰るぞ」

「…はい」

 鷹明はかみしめた唇を開き、頷いた。


 それを見た東谷は、胸ポケットから小さなお守りを取り出した。

「橘の力が込められたお守りだ。俺はこいつのおかげで、男一人なら軽々担いで走れる。俺が【回収者】を担いであの洞窟まで走る。お前は追手から俺と【回収者】を守れ」

「でも、ねこさんと橘さんを置いていくわけには…」

「ねこは橘がいりゃ大丈夫だ」

 東谷が全信頼を置くほど、橘は強いのか。だが、東谷の提案を拒否するような余裕はない。鷹明は頷く。

 よし、と言った東谷が、東海林を担ぎ上げた。

「向井!走れ!」

「はい!」

 東谷は、人ひとり担いでいるとは思えないほどのスピードで走り出す。鷹明も必死に食らいついた。



 おやおや、とユーバートリーはため息をつく。

「仲間に置いて行かれたぞ、いいのか?」

「むしろ、これで戦いやすくなったわ」

 東谷と橘は作戦を立てていたわけではない。しかし東谷なら、東海林を鷹明を連れて洞窟に戻るだろうと、橘は読んでいた。

「あなたこそ、追いかけなくていいの?」

「わしが行かずとも、下っ端で十分処理できよう。それに、あの男よりお前の方が旨そうだ」

 ユーバートリーは零れ落ちそうなよだれをじゅるりと吸い上げた。

「レンスさん、ねこちゃんを担いでここから離れて」

「しかし…」

「私、とっても強いのよ、わかるでしょ?」

 橘がレンスにウインクする。レンスは少し迷うが、頷いて描田を抱き上げ走り出した。

「ふん、まぁ良い。お前を食べれば相当力が付きそうだ」

 ユーバートリーが笑う。橘も笑った。




「たかが500年生きたお婆ちゃんが、40億の人々を殺した私に勝てるかしら?」

 











 東谷はただただ走り、鷹明は時より振り返る。城を出た途端。カラスのような鳥がこちらに向かって幾羽も飛んできた。それらに砂利を投げつけると煙のように消えていく。あの程度なら鷹明でもなんとかなる。

「もうすぐ洞窟だ!急げ!」

「はい!」

 

 突如、背中を大きな岩で殴られたような感覚に陥る。東谷もそれを感じたのか、おもむろに足を止める。

 二人がゆっくりと振り返ると、後ろから、クマのような、オオカミのような、トラのような、見たこともない獣がにじり寄っていた。

「なんだありゃ」

 東谷が目を見開く。

 やばい、と鷹明も肌で感じる。あれとは、戦えない。

「くっそぉ!向井は知れ!」

「はい!」

 再び二人は走り出した。が、振り返らずともわかる。その化け物は、ものすごいスピードで二人と距離を詰めてい来る。

「あぁクソ!」

 もうすぐなのに!



「…っ!!」

 鷹明が立ち止まった。

「向井!」

 東谷も足を止める。

「東谷さん行って!」

「バカが!」

「行けや!」

 言われて、迷うが、東谷は再び走り出した。


 走りくる化け物に、恐怖を感じるが、なぜか逃げようとは思わない。

 橘の力を信じているからか。

 死が目前まで迫って諦めているからか。


 鷹明は目をつむる。橘とつないだ掌が温かい。目を開けて手を見ると、炎に包まれていた。

「…あなたを信じます」

 襲い来る化け物に、鷹明は拳を振り上げた。






 くそ!くそ!向井の馬鹿野郎が!

 あんな化け物、一人で相手出来るわけないだろうが!

 一人で残ってかっこつけやがって!

 だからお前は嫌いなんだ!

 新人のくせに!新社会人のくせに!

 てめぇは先輩の後ろでヘコヘコしてりゃいいんだよ!

 化け物見たら一人で逃げだしゃいんだよ!

 普通あんなの見たら一人で残らねぇだろ!

 くそ!くそ!


 なんで俺は、一人で、逃げてんだよ!

















 体中が痛い。それしか感じない。東海林は真っ暗闇にいた。

 突如奇襲を仕掛けてきたユーバートリーにさらわれ、描田と命からがら逃げだしたが、全身にやけどを負わされた。もう死ぬんだろうと思った。

 身体がずっと揺れている。なんだろう?黄泉の国にでも連れて行かれているのだろうか?



 あぁ、せめて最後に…妻子の顔を見たかった…。





「やだ、絶対やだ」

「いい名前だと思うんだけど」

「いい名前だとは思うけど、今時じゃない、もっと今っぽい名前にしましょうよ」

「そうだね、じゃあ名前は詩織が考えてくれ、女の子の名前は、やっぱりお母さんが考えた方がいい」

「そうやって私に名付け責任を押し付けないでください」

「でも、僕はこの名前しか思いつかないんだよ」

「なんでですか?」

「“子”という字はね、“一”と“了”という漢字で出来ているだろう?“子”という漢字には、初めから終わりまで、という意味があるんだよ」

「へぇ、知らなかったです。子供の“子”っていうイメージしかありませんでした。うん、それ聞いたら、いいかもって思えてきました」

「そうだろ?」

「でも、やっぱり嫌です。“子”は許しますけど、もっと可愛い名前がいいです」

「若い子にはかなわないな…でもどうしようかな」




 なんで、子供の名前の相談をしたときのことを、今思い出すのだろう?

 やっぱり、詩織と、まだ名前も知らない子に会いたいからだろうな…。


 光が身体を包んだ。あぁ、死んでしまうのか…。










「博信さん!」



 呼ばれて、目を、開いた。

「博信さん!」

 詩織の声だ。

「しお…り…」

「博信さん…博信さん…」

 泣いている。詩織が泣いている。

「博信さん…子供、産まれたんだよ、元気な女の子、見て」

 そういって、彼女は腕に抱く赤ちゃんを見せてくれた。


 あ、あぁ…この子が…。


「そうか、よく、頑張ったね…よかった…君も、子供も、生きて…っ…」

「うん、博信さんが、ずっと無事を祈ってくれていたから、産まれたんだよ」

 なんて小さくて、可愛いんだろう。

 小さな瞳がこちらを見た。ビー玉みたいにキラキラした目。柔らかそうな肌。思わずその頬に触れる。

「可愛い、可愛いねぇ…」

「うん、うん」

 詩織は、とめどなく泣いている。


「博信さん、ごめんなさい、先にこの子の名前決めちゃった…幸せな子。幸子(ゆきこ)って名前にしたんだよ」



 そう、この子が、産まれたその瞬間から、死ぬ時まで、ただただ、幸せでいられますように。



「よかったのかい?もっと可愛い名前にしなくて」

「あなたがこの子を幸せを願って考えた名前よ。これ以上の名前なんて私には思い浮かばなかった…あ、でも博信さんは“さちこ”にしようって言ってたっけ。響きだけでも今っぽくしようと思って“ゆきこ”にしたの。私とあなたで決めた名前よ。呼んであげて」

「そうか、うん、幸子」


 あぁ、なんて幸せなんだろう。君は、君達は、最後の最後に、僕をこんなにも幸せにしてくれた。


「詩織、愛しているよ」

「…うん」

「ありがとう、君が、僕をこんなにも幸せにしてくれた…」

「…うん、うん」



「君も、最期のその時まで、幸せでいてほしい…僕は、ずっと祈り続けているよ」

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