500歳の魔女がいる世界
姉は子供を産んだその日に亡くなった。東海林博信にとって、生涯で一番悲しい日になった。出産まで母子共に健康状態は良好だった。それでも、こういった事態は起こるらしい。
姉を失った悲しみを抱きつつ、生まれたばかりの姉の子を抱いた。とても軽かった。本当にこの腕にいるのかと疑うほどだった。こんなに小さい子を産むために、姉は命を落としたのだと思うとなお辛かった。東海林博信自身はもちろん、姉もこの日を楽しみにしていた。早く子供をこの手で抱きたいと、名前を呼びたいと、夫と3人で写真を撮りたいと。それが出来ると信じて疑わなかった。
東海林博信は、姉の子を抱きながら、ずっと泣いていた。
「それから姉の子は、姉の夫と、僕と母親で育てたんだ。すごく大変だったけど、おかげ様で今では自分の子供の様に思ってるよ。まぁ、父親なんて二人もいらないだろうから、僕はどうしたって叔父さんなんだけどね」
会社の飲み会、東海林博信は、新入社員の西ノ宮 詩織と話をしていた。
「すまないね、こんなおじさんの話、つまらないだろ?」
「いいえ、私から聞いたんですもん。なるほど、東海林さん、いい男なのに、結婚してない理由はそれですか」
「はは、ありがとう」
東海林は、ビールを口に含んだ。もうぬるくて飲める気がしない。
東海林さん、と西ノ宮が梅酒を飲みながら話す。
「考えたりはしなかったんですか?お姉さんのことは抜きとして、子供が欲しいって」
「君、すごいこと聞いてくるね」
「嫌でしたか?」
「ううん。いいよ、皆そういうこと、僕に気を使って聞いてきた人、いなかったなと思っただけだよ」
そうだね、と東海林は天井を仰ぐ。
「小さいころから子供は好きだったよ。自分の子供ももちろんほしいと思った。でも…」
姉が亡くなるまでは、結婚して子供が欲しいと思っていた。その思いはあの日に消えてなくなった。
いつか結婚しても、子供を授かっても、妻は死ぬかもしれない。最悪子供も死ぬかもしれない。子供が欲しいという希望を抱いて、妻と子供が死ぬという地獄に、耐えうる自身がなかった。
それに、姉の子を育てた経験から、子育てがいかほどに大変か、理解している。もうこんな老いぼれに、子供を育てる体力なんてあるわけもない。
姉が死んだという過去、老いた身体という事実。家族を築くことを諦めるには、十分すぎる理由だ。
「じゃあ、イメトレしませんか?」
「イメトレ?」
「実際子供を作るんじゃなくて、これから結婚して子供を作るんだったらどうするかって考えるんです」
「そんなことしたって…」
「遊びみたいなものですよ、真面目に考えなくていいんです。東海林さんはどんな奥さんがいいんですか?」
「そうだね…元気だったらそれでいいよ。…いや、出来れば僕と同じく、子供好きで、子供が欲しいと思っている人がいいかな」
「なるほど、子供は?男の子?女の子?」
「男の子がいいな。一緒に野球をやりたい」
「ほぉ、パパが子供とやりたいことランキング1位のやつですね」
「そんなランキングあるのかい?」
「私が勝手に作りました」
「ふふ、君、面白い子だね」
「はい、面白いことは大好きです」
それから、東海林と西ノ宮は、どんな家族がいいか、どんな子に育ってほしいかを具体的に話した。
その飲み会以降、東海林と西ノ宮は会社でもよく話すようになった。そうして何度も何度も話しているうちに、西ノ宮がある提案を持ちかけた。
「東海林さん、私と子供、作ってみません?」
会社帰りのホームで、東海林は一瞬、心臓が止まったように感じた。
「…なんて?」
「私と子供、作ってみません?」
西ノ宮は、とびきりいい笑顔を見せた。
「来世では、結婚適齢期に結婚して子供作れるように、今から練習しておくんですよ」
「君、いったい何を言っているんだ…」
「私、一人っ子で、3年前に両親が事故で亡くなって、独り身なんです。もし私が子供を産むときに死んでも、面倒な親戚とかいないですし、片付ける物も少ないですし、何より若いし!自分でも結構いい物件だと思うんです!」
「そんな君、死んでもって…」
東海林が首を左右に振る。
「だめだ、そんな理由で結婚なんてできない」
「結婚なんてしなくていいんですよ。私も結婚というよりは、子供欲しいだけだし」
西ノ宮が東海林の目の前に立つ。
「それに、もし私と東海林さんの間に子供が出来て、私も子供も生き残ったら、きっと良い家族になれると思うんです。私達、そのためにいっぱい話してきたじゃないですか」
西ノ宮が東海林の手を握る。
「だから、子供、作りましょう」
それから半年後、西ノ宮が妊娠した。
「…」
「驚きすぎて言葉もでないですか?」
「あ、あぁ…すまない、なんと言っていいか…本当に、僕の子供かい?」
「東海林さん意外とはセックスしてないですよ」
「しぃ!会社でそんなこと言わないでくれ!」
すみません、と西ノ宮が苦笑いした。
東海林は、しばらく何か考えるように黙った。そして口を開いた。
「西ノ宮くん、結婚しよう」
「…え」
西ノ宮がきょとんとしている。
「僕は古い人間だから、考え方が古いかもしれないけど…。やっぱり父親と母親は結婚していた方がいいと思う」
「そんな、無理しなくていいんですよ」
「してないよ。それに私は、君となら、良い家族になれると思う」
西ノ宮が、目を輝かせて笑う。
「はい、東海林さん、私も結婚したいです」
それから二人はすぐに籍を入れ、晴れて結婚した。西ノ宮は会社を退職し、東海林の実家に移り住んだ。東海林の母親は大層喜んだ。こんな歳の息子に嫁と子供が出来るなんて、と泣いた。
母親の助けもあり、母子共に元気に臨月を迎えた。
「そろそろ出産か…つわり、大変だったね」
「あんなに辛いものだと思いませんでした…子供は一人でいいかな」
「そうだね、一人いれば充分だよ」
「でも女の子でしたね、男の子が良かったな…博信さんも男の子がいいっていってたし」
「いいんだよ、元気に生まれてくれれば、男の子でも女の子でも…」
東海林が西ノ宮のお腹を優しくなでた。
「詩織」
「はい、なんですか?」
「子供が生まれて、1年くらいたったら、結婚式を挙げよう。僕は、君の花嫁姿が見たい」
「…博信さん、やっぱりいい男ですよね。来世はもっと早く結婚して、子供いっぱい作った方がいいですよ」
「今は来世のことなんていいんだよ、だから、どうか君とこの子が無事に生まれるよう、毎日、毎日願っているよ」
詩織が東海林の手に手を重ねる。
「大丈夫、きっと、死にません」
そうだね、と東海林が小さくつぶやいた。
それからしばらくして、西ノ宮から陣痛が始まったと連絡が入った。東海林は急いで会社から近い駅のタクシー乗り場に走った。
前には老夫婦と、若い母親と男の子が並んでいた。はやる気持ちを抑え、自分の順番を待つ。
どうか、どうか二人とも、生きてくれと願いながら。
その時だった、足元が急に光った。何事かと足元を見た瞬間、足場がゆがみ、地面に膝をついた。
「なんだこれは…!」
前にいる親子と老夫婦も戸惑っている。
瞬間、目の前が真っ暗になった。
東海林が目を覚ました場所は、石で出来た部屋だった。彼の近くには、タクシー乗り場にいた老夫婦と親子もいた。
どこだここは?何が起こった?混乱していると、カン、と地面を強くたたく音が聞こえた。
「ふん、老いぼれは二人だけか…大規模な召喚をやった結果がこれか…まぁ、良いとしよう」
部屋の隅に、10歳くらいの少女が立っていた。黒い服を身にまとい、長い髪を二つにくくっている。少女の身丈より長い杖を、軽々と持っている。彼女の傍らには大型犬のような生き物が鎮座している。
「き、君は誰かね、ここはいったいどこなんだ?」
聞いたのは、老父だ。尋ねられた少女は、カッカと笑った。
「ここに召喚されるものは、みな同じことを尋ねるのぉ、愉快愉快」
少女は両手を広げた。
「主らは私がこの世界に召喚した、私の大事な客人だ。ゆっくりしていきたまえ」
「なんなの…わけがわからないわ…ここはどこなのよ!」
親子の母親が今にも泣きそうになりながら怒鳴った。彼女の腕の中で、子供は震えていた。
「慌てるでない、役目が来れば元の世界に返してやる」
東海林も、口を開く。
「元の世界ってなんですか…僕は今すぐ行かなきゃならないところがある!返してくれ!」
「うるさいのぉ、ん?よく見ればお主も、老いた身体をしておるの、お主、歳はいくつじゃ?」
「なんで急に僕の年齢なんか…」
少女が、チッと舌打ちする。少女は東海林に近づき、杖で東海林の肩を殴った。
「いっ…!」
「きゃー!」
「うるさい、そこの女も殴られたくなければ黙っていろ」
悲鳴を上げた母親に、少女は叱責する。
「もう一度聞くぞ、貴様、歳はいくつじゃ?」
「…53歳です」
「ほぉ、悪くない…良い年頃じゃ、よし、まずはそこの年寄り二人、私についてこい」
少女はニヤリと笑うと、老夫婦にそう命じた。老夫婦は互いに手を取り合いながら立ち上がる。
「先ほど申した通り、貴様らが役目を果たせばすぐに返してやる。残りの者はここで待て」
「そんな…待ってください、僕には、僕には妻と子供が…」
今、死んでしまうかもしれない命が、生まれようとしているのに…。こんなわけのわからないところで、僕はいったい何をしているんだろう?
殴られた肩が重くて、身体が動かない。
少女は、そのまま老夫婦だけをつれ、石造りの部屋から出て行ってしまった。
それから7日ほどが経った。
石造りの部屋に一つだけある扉は、常にカギがかかっている。小窓から食事が与えられたが、大人二人と子供一人では到底足りない量だった。まるで監獄だ。
「ママ、ママ」
男の子が母親の腕の中ですすり泣きをしている。あの日から、目を覚ませばずっと泣いている。母親はその子をしっかりと抱きしめている。
「…あの」
東海林は母親に声を掛けた。母親は、うつろな目で東海林を見た。
「今更ですが、名前を教えてください。こうしてずっと一緒にいるんです、名前を知っていた方がいいでしょう?私は東海林博信と申します」
「…雪野歩美です…この子は直哉といいます」
「雪野さん…直哉君ですね。直哉君、よろしくね」
そう出来るだけ優しく声を掛けるが、雪野直哉は顔を上げようとしない。
「…私達、どうなるんでしょうね」
唐突に、雪野歩美が尋ねた。
「連れていかれた二人は、どうなったのでしょうか」
「わかりません…どうしたら、良いのでしょうね」
再び訪れる沈黙。耐え切れず、東海林が尋ねる。
「直哉君はお幾つなんですか?」
「5歳です」
「5歳ですか、可愛いですね。私にもね、娘がいるんですよ。と言っても、まだ抱いたことはないんですが」
「え、どういうことですか」
「あの日…タクシー乗り場にいた日、私は病院に行くためにあそこにいました。妻が、産気づいていたんです」
「そんな…」
雪野が口を手で覆った。
「じゃあ、お子さんが生まれた日に、あなたはここに…」
「はい。いやはや本当に困りましたよ…どうしたら、良いんでしょうね」
一分一秒でも早く、妻の元に行きたいのに…。
生きているのか?子供は無事か?
早く…早く…!
その時、外から轟音が聞こえた。
「なんだ!」
東海林が叫び、雪野歩美が息子をギュッと抱きしめた。それを見て、東海林は二人を守るように傍らに近づいた。
ほどなくして、部屋の扉が乱暴に開いた。
「おい!生存者がいるぞ!」
「良かった…ねこちゃんの言う通りだったね!」
フードを深くかぶった人々が一気に部屋に流れ込んでくる、そして東海林たちを取り囲んだ。
「な、なんなんだ君たちは!」
「私達はあなたたちを助けに来ました。一緒に外に出てください」
一人、女性がフードを脱いだ。
「私は日本からあなた達を助けに来ました。ねこって呼んでください」
女性はそう言って、笑った瞬間、全身から力が抜け、涙が出た。
ねこと呼ばれた彼女たちに連れられ、東海林達は部屋を飛び出した。
「とりあえずこの城から出ます!説明はそれからゆっくりしますね!」
東海林達はフードの人々に囲まれ、力の限り走った。襲い来る兵士たちは、フードの人々が薙ぎ払ってくれた。
しばらく走り、外に出た。ちらりと振り返ると、石造りの大きな城にいたことが分かった。
「ねこさん!後ろからユーバートリーが追いかけてきます」
「なんとか振り切りましょう!逃げるが勝ちです!」
そうねこが言った時、東海林達が走る先に、少女が飛び降りてきた。少女は、この世界で最初に東海林達があった子供だ。
「愚か者ども!私から逃げられると思ったのか!」
「逃げられる算段があるから来たんすよ!」
「ふん、そこの女の入れ知恵か…お前も別世界から来た人間だな」
「ちなみに、私はピチピチの23歳ですから!お求めの商品じゃありませんよ!」
「元から貴様などに様はないわ。その男だけおいていけ、そしたらここにいるやつら全員逃してやる」
そう言って、少女が杖で指したのは、東海林だ。
「え…僕?」
「絶対渡しませんよ!皆さん!準備できてますか!」
「はい!」
フードの男たちが、東海林達を囲む。すると、足元から光があふれ出てきた。
「転移魔法を仕込んでいたのか!くそ!」
少女が顔を歪めたのを最後に、東海林の意識がなくなった。
「大丈夫ですか?東海林博信さん」
声を掛けられ、目を覚ます。
「ここは…」
「安心してください、どこかって説明は長くなりますけど、あの城よりかは安全な場所です」
ねこと呼ばれた彼女は、笑顔でそういった。
この部屋はとても暖かい、どうやら洞窟の様だ。松明の炎が揺れているのをみると少し落ち着く。
「そうかい…良かった、あの親子は?」
「無事ですよ、男の子は緊張の糸が切れたのか、さっきからもりもりご飯食べてます」
東海林は寝そべっていることに気が付き、ゆっくりと起き上がった。少し離れたところで親子がご飯を食べている。よかった、みんな無事だ。
「東海林さんも食べてください、顔色すっごいわるいです」
言って、ねこは東海林にシチューのような食べ物を差し出した。ありがとう、と東海林はそれを受け取った。
さて、とねこは立ち上がる。
「東海林さん。そして雪野さん。しばらく私の話を聞いてください。何が起こったか全て説明します」
ねこと自称した彼女は、株式会社HOMEの社員、描田 澪と名乗った。東海林達が召喚されたこと、東海林を助けるために彼女が来たことを説明した。
この世界は、城の少女、ユーバートリーがすべてを管理している。彼女は500年生きる最強の魔女だ。この世界では、彼女の血を分け与えてもらうことで、寿命を延ばすことが出来る。彼女の血がなければ、長くても30年しか生きられない。
そんな世界でなぜ彼女は500年生きているのか、それは異世界から呼び寄せた老人を食べているからだ。老人の身体を食べることで、長命の遺伝子を体に組み込み、生きながらえている。
「そんな…じゃあ、あの老夫婦は…」
「おそらくは、すでに亡くなっていると思います」
東海林は愕然とし、母親は震えている。
「ここにいる人たちは、ユーバートリーから血を分け与えられていない、レディオンと呼ばれる人たちです。魔女の血を分け与えらえることを拒絶し、短い人生を、自分たちらしく生きる人々です」
「他の世界の人々を食らって分け与えられる血なんて、私達には必要ありません。たとえ短い命でも…」
「あの非道な魔女を、俺たちは必ず打ち倒す。そのために何百年も、多くの犠牲を払いながら戦ってきました。今が最大の好機なんだ…」
レディオンの人々がそう語るなか、描田は東海林達と向き合った。
「実は、私がこの世界に来た瞬間、私の襲来を察知したユーバートリーが、転生装置を壊してしまいました。今、私たちが元の世界に戻る方法はありません」
「そんな…」
「でも私は諦めませんでした。なんとかユーバートリーから逃れ、偶然にもこのレディオンの人たちに出会いました。彼らを説得し、あなたたちを救い出すことに成功した」
描田が微笑む。
「待ちましょう。私は、同じ会社の仲間が助けに来てくれると信じています」
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