召喚者

 とある喫茶店に、老婆と若い男性が向かい合って座っている。他者から見て、その二人は親と子にも、セールスマンと顧客にも見えなかった。重苦しい空気をまとう二人は異様だった。

 老婆がコーヒーを一口飲むと、口を開いた。

「雪野さん、急にお呼び立てして申し訳ありません」

「いえ、東海林さん。僕は少し安心しているくらいですよ、東海林さんが元気そうで」

「元気ですか…そうですね、こうして、動ける身体で、食事が出来ているのですから、お互い元気、なんでしょうね」

 雪野と呼ばれた男も、コーヒーを啜った。


 雪野さん、と言いながら、東海林と呼ばれた老婆が喫茶店の外を見た。

「あれから、もう1年と3ヵ月年が経つんですね」

「えぇ…とても長い1年3ヵ月でした…僕にとっては」

「そうですね、私にとっても…生涯で一番長い1年と3ヵ月でした」

 コーヒーカップを持つ雪野の手が震えた。

「…やっぱりだめだ…ごめんなさい、涙が」

 雪野がうつむき、泣き始める。そんな雪野に、東海林がハンカチを差し出した。雪野はそれを手に取り涙をぬぐう。

「お気持ちはよくわかります。私にも眠れぬ夜が何度もありました…。だからこそ、今日はあなたにお願いがあってきました」

 東海林は懐から一枚の名刺を差し出した。



「あなたは、株式会社HOMEをご存じですか?」











 鷹明が株式会社HOMEに入社して半年が経った。色んな事があったが、なんとか半年、乗り越えることが出来た。死に物狂いで就活をしていたのが遠い昔のようだ。

 鷹明は少し上機嫌に、会社の戸を開けた。

「おはようございます!」

 いつもなら誰か返事を返してくれるが…いつもと雰囲気が違う。会社全体がどんよりとしていることに鷹明はすぐに気が付いた。ハイテンションで会社に入ったことを後悔する。

「向井さん、おはようございます」

 いつもより声のトーンが低い目黒の挨拶だけが帰ってくる。他にいるのは、橘と片岡、珍しく東谷も暇そうに外を眺めていた。

 一体何があったというのだろう?


 静かなフロアに電話音が鳴る。目黒がすぐに受話器を取った。

「はい、株式会社HOMEです。…え?東海林様!」

 しょうじ?聞いたことのない名だ。あたらしい依頼だろうか?

 …いや違う。多分違う。フロアの空気が一気に張り詰めた。何者かはわからないが、しょうじと呼ばれたその人が、会社にとって大きな存在であることはわかる。

「はい、え、今からですか?もちろん大丈夫ですけど、はい、お待ちしております」

 目黒が電話を切る。

「雛ちゃん。東海林って…東海林 博信の母親?」

「はい、今からここにいらっしゃるそうです」

 そう、と橘がうつむいた。


 聞こうか迷うが、鷹明は意を決して尋ねる。

「あの、東海林って誰ですか?」

「お前も知ってるだろ?社員が一人行方不明になってること」

 その問いに答えたのは、以外にも東谷だった。

「行方不明って…たしか“ねこ”って呼ばれてる人でしたっけ?」

「そいつが担当してるケースの依頼人だ」


 あ、と鷹明は声を漏らした。

 自分がこの会社に来て半年。入社した頃、ねこ、描田が行方不明になって半年だと言っていた。


 この世界の時間軸で1年が捜索期間となる。

 つまり、描田の捜索期間が、終わってしまったのだ。






 しばらくして東海林が会社を訪ねてきた。若い男性と一緒に。

「単刀直入にお伺いします。息子の博信は見つからなかったのですね」

 対応しているのは橘と目黒だ。目黒は小さく頷いた。

「申し訳ございません。担当者とも連絡を取ることができず…安否すらご報告できませんでした」

「いいのです。そういう条件であることは、私も最初に承諾していました。そうですか…博信は見つからなかったのですね」

 東海林が膝の上でこぶしを握り締める。


「ですが、もう少しあがいても良いでしょうか?」


 いいながら、東海林が隣の男を見る。

「彼は雪野 徹さん。私の息子と同じ日、同じ場所で行方知れずとなった、奥様とお子さんのご主人です」

 え、と驚く一面を他所に、雪野は深く頭を下げた。

「東海林さんから聞いて驚きました。妻と子供が消えた理由が異世界転生なんて…正直まだ信じられません。でも、僕は東海林さんを信じることにしました」

 雪野が頭を下げる。

「お金は東海林さんが少し工面してくださることになりました…なので、依頼させてください。妻の雪野 歩美と息子の直哉を探してください」

 東海林も頭を下げた。

「そちらの社員さんが戻らないということは、とても危険な仕事だと理解しています。でもお願いします。どうか、どうかもし息子と雪野さんのご家族が一緒にいたら、息子も連れ戻してください。どうか、どうか…!」

 頭を下げる東海林が泣いている。

 この一年。どんな思いで息子の帰りを待ち続けてきたのだろう…。今の鷹明には計り知れない苦しみだ。


 橘と目黒が目を合わせる。どうしようか迷っている様子だ。


「いいぜ、俺が行く」


 そう、東谷が手を挙げた。


「私も行きます」


 片岡も手を挙げた。


 それなら、と橘と目黒が頷いた。

「わかりました。雪野さんのご依頼。引き受けます」

 ありがとうございます、と雪野と東海林が泣きながら礼を言った。






 東海林博信、53歳。雪野歩美、32歳。雪野直哉、5歳。1年3ヵ月前。とある駅のタクシー乗り場から忽然と姿を消した。その場居合わせた老夫婦も消えたらしく、計5名がいなくなるという怪奇。一時世間を騒がせていたことを鷹明は思い出した。

「一気に5人も異世界転生することがあるんですね」

 鷹明は資料を読んで驚愕する。自分が担当したケースや、過去のレポートを読んでも、そんなケースは一つもなかった。

「いや、これは異世界転生じゃない。召喚だ」

 間髪入れず、東谷が言う。

「召喚ですか?異世界転生とどう違うんですか?」

「簡単に言えば、自分から異世界に行くか、強制的に連れていかれるかだ」

「異世界転生は、転生者の強い意志により行われます。しかし召喚は、例えるなら宇宙人に連れ去られる感じですかね…」

 片岡が説明を付け加える。

「そんなことも起こるんですか」

「異世界転生より厄介なんですよ、召喚は。召喚者が何かの意図で呼び寄せたわけですから。一番多いのは戦争の道具として使うパターンですね」

「そんな…」

 片岡の言うことが本当なら、【回収者】が今も生きているかどうか…。

 資料を見ると、東海林博信には妻と娘…しかも娘は捜索当時まだ0歳だ。家族を残して、自分の意志とは関係なく異世界に飛ばされた。生きていたとしても、東海林博信の心労は計り知れない。


「それでも依頼があったんだ。探しに行くしかねぇ」

 東谷が言う。

「…っていうか意外でした。こんな面倒くさそうなケース。東谷さんはパスするかと」

 片岡が意外そうに東谷に言う。ふん、と東谷が鼻を鳴らした。

「一応後輩の命がかかってんだ。正直【回収者】が生きているかわからねぇが、ねこは生きている可能性が高い」

「ふぅん。ねこさん目当てですか…」

「あ?なんだその言い方。お前も内心ホッとしてんじゃねぇのか?追加の依頼があってよ」

「そうですよ、悪いですか?っていうか、東谷さんより私の方がねこさん心配してますし」

「どっちの方が心配してるとか、意外と小さいことに拘るんだな、お前」

「東谷さんこそ、ずいぶんねちっこい言い方するじゃないですか」


「二人ともやめてくださいよ」


 目黒が二人の間に割って入る。

「召喚の場合、転生先を探すのにかなり時間がかかるんですが、幸い、今回はねこさんが先行してくださってるので、すぐに扉は開けます。東谷さんも片岡さんも、準備が必要なんじゃないですか?」

「俺は少し準備がある、30分程度待ってもらうぞ」

「…私はいつでもいいですよ、今回は衣装作りしてる時間もないですし。…心の準備だけしてきます。少し一人にしてください」

 片岡は踵を返し、フロアから出て行った。


「雛ちゃん。今回は私も行くわ」

 そういったのは、橘だ。目黒が驚きながら橘を見る。

「え?橘さんが!今まで一度も異世界行ったことないじゃないですか!」

「今回は特に危ないケースだと思うの。一度に5人も召喚する人物がいる世界よ?私も必ず力になれる」

「でも…」

「好きにさせろよ、足引っ張らなければ俺はどっちでもいいぜ」

 で、と東谷が鷹明を見る。

「お前はどうすんだよ?正直、新人が来るようなケースじゃないと思うぜ」

 いきなり話を振られて、鷹明は動揺する。


 聞くだけで恐ろしいケースだ。正直、自分が言っても足手纏いにしかならないと思う。でも…。



「行きます。僕も、目を背けちゃいけないケースだと思います」



 しばらく黙っていた東谷だったが、お前も好きにしろ、とつぶやいた。


 東谷が目黒に近づく。

「目黒、東海林博信には奥さんと子供がいるんだよな?」

「はい」

「今すぐ婆さんに呼び出してもらえ」

「え?なんでですか?」

「感だ」

「…わかりました。東谷さんの感だけは信じられますもんね」

「ほんとお前は、余計な言葉が多すぎる」

 東谷が舌打ちした。









 念のため、緋山にも連絡を取ったが、今回はスケジュールが合わなかったらしい。日野は他のケースで今この世界にはいない。鷹明、東谷、片岡、橘の4人で行くこととなった。

「とはいえ、社員が4人も一度に異世界へ飛ぶのは異例中の異例っすよ」

 入枝がげっそりとした顔つきで言う。

「すみません入枝さん。急に無茶言って」

 目黒が謝ると、いや、と入枝は首を振った。

「ま、僕は扉開けば後は待つだけなんでいいんですけど」

 言いながら、入枝が皆を連れて会社の屋上へ上る。


「今回は人数が人数ですから、屋上からでかい扉を開いて移動してもらいます。これで大人数の移動も可能です。難点としては、転移先からこちらに戻るとき、場所を選べないということです。これまでは、連絡が入ればその場でこちらに戻せましたが、これだけの人数となると広い場所も必要ですし、扉を開いておくのも大変なので、決まった場所でしか扉を開けません。それだけは頭に入れておいてください」



 入枝が説明しながら、屋上の扉を開いた。そこには、屋上の隅々まで魔法陣が描かれている。

「というか、ちゃんと皆さん帰ってきてくださいよ。急に4人も社員減ったら、さすがに困りますからね」

「心配してんのか?珍しいな入枝」

 東谷が言うと、まぁ、と入枝が返した。

「こんな仕事やってくれる人、あんまりいないんで、あなた達いないと会社潰れますし、俺、ここ以外で働ける気しないんで、心配くらいはしますよ」

「はぁ、うちの会社の男性陣は素直じゃない人ばっかりですね。あ、向井さんは除きますけど」

 片岡の言った言葉は、誉め言葉なんだろうか?鷹明は首を傾げた。




 4人は魔法陣の中に足を踏み入れる。

「じゃあ行くぞ」

 東谷が言うと、鷹明と橘が頷き、片岡が目を伏せた。



 足元がふわりと浮く。異世界へ飛ぶ。鷹明は身を引き締める。


 その瞬間、誰かが鷹明の手を握った。誰が握ったか確認する前に、その体は異世界へと飛ばされた。

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