掌の幸せ

 くそ、くそ!どいつもこいつも俺をコケにしやがって!


 俺の自転車がぶつかったわけじゃない。軽く当たっただけじゃねぇか!それを大袈裟にしやがって!

 あの子連れの方が悪い!子供を自転車に乗せてるくせに、安全確認しない母親が一番悪いに決まってる!母親は多少怪我したみたいだが、子供は無傷だったらしいじゃねぇか!子供が無事ならいいだろ!これだから女は、少し怪我しただけで“金”“金”だ!どうせシングルマザーで金に困ってるから、事件を大きくして俺から金を巻き上げる気だ!くそ!

 それに警察も俺をバカにしている!俺を見た瞬間顔をゆがめやがった!見た目で人を判断しやがって!お前が悪いの一点張りだ!俺の主張なんざ聞きもしねぇ!家に帰ったらSMSで拡散してやる!ここの警察は最悪だってな!

 それにしても…あのババア、いつになったら迎えに来るんだ!おっせぇんだよ!飯を作るのもおせぇんだから、迎えくらいとっととこいよクソババア!母親のくせに何もできやしねぇ!いつまでこんな何もない狭い部屋にいなきゃならないんだ!



 くそ!くそ!こんな国は…こんな世界はクソだ!誰も俺に優しくしない!誰も俺に手を差し伸べない!誰も俺の話を聞かない!バカばっかりだ!


 みんな、いなくなっちまえばいい!!













 鷹明は久しぶりに会社に顔を出した。

「良かった、思ったより元気そうで」

 出迎えてくれた目黒が安堵の様子を見せる。

「今回は長くお休みいただきましたからね」

 自分でも、詰め込みすぎだったと思う。そう教えてくれたのは、目黒や徳本だ。感謝しなければならない。おかげで、心も体もすっきりした。良い心地で仕事に挑めそうだ。



「今何か仕事あるんですか?」

「う~ん、あるにはあるんだけど…今回はちょっと特殊なのよね」

「特殊?」

「うん、ちょっと【回収者】に問題ありなのよね」

「というと?」

「今回の【回収者】三好 卓也、32歳。自転車事故で収容中に行方不明になったのよ」

「収容中って…もしかして犯罪者ですか?」

 うんと目黒は頷いた。



 三好 卓也。写真の男は、小太りで髪がぼさぼさで、汚れたメガネをかけている。

 3日前、親子が乗る自転車に、三好卓也の自転車が衝突した。親子が乗った自転車が青信号で渡ろうとしたところ、信号無視で三好卓也が横から突っ込んだ。三好は「信号は青だった」「スピードは出ていなかった」と主調しているが、近くの監視カメラを確認しても、猛スピードで赤信号に突っ込んでいたことがわかっている。



「母親は全治1か月の怪我を負ったんですけど、子供は無傷だったんです。で『怪我したのは母親だけで、子供は怪我してないんだからいいじゃないか』って言ったらしいですよ!最低でしょ!子供が無傷だったのは、お母さんが子供にシートベルトとヘルメットちゃんとつけてたからなのに!っていうか、子供に怪我がなくてもお母さんが辛い目にあってるんです!ちゃんと償ってもらわないと!」

 いつだったか、片岡もこんな風に話していたなと鷹明は思った。まぁ無理もない。話を聞いているだけで、鷹明もイラついていた。なんでそんな奴を探しに行かなければならないのか…。


 目黒がそれに答えるように、説明する。

「今回の依頼者は【回収者】の祖母です。三好卓也には両親と姉がいますが、捜索願を出していないそうです。三好卓也は家庭内においてかなり横暴な態度を取っていたらしく、両親と姉共々距離を置かれていたそうです。お婆様が大変お怒りでした。『昔は可愛くて素直な子だったんです。学校でいじめられたり、会社で酷い扱いをされ、家族にも見放され、あぁなったんです。可哀そうな子なんです』って言ってました。本当にそうだとしても、事故起こしといて自分は悪くないって…やっぱり最低です!」

「なるほど、そういうことですね。祖母って、そういうところありますよね。孫は可愛い、何しても悪くないって」

「みんながみんなそうだとは思いませんけど、孫息子に甘いイメージありますよね」

 ふん、と目黒が鼻を鳴らした。



 それで、と目黒が続ける。

「こういう【回収者】が危険人物である可能性が高い場合、非常勤の【回収組】の方に依頼するんです」

「非常勤とかあるんですね」

「【回収者】が危険人物だと確定している時だけ、お世話になってる方なんです。そろそろ会社に着くころだと思うんですけど」

 そんな噂を聞きつけたのか、ちょうど良いタイミングで会社の戸が開いた。「こんにちは」と軽快な挨拶が聞こえてくる。





 会社のドアが塞がるのではと思うほどの大柄な男が立っていた。タンクトップから伸びる腕はたくましく、ドラゴンやら桜やらの刺青が描かれている。その腕や顔は傷だらけで…どう考えても裏社会の方です怖いです。




「緋山さん。お久しぶりです。よろしくお願いします」

 目黒が一般人と話すように、ごく普通に挨拶した。

「こちら、新人の向井さんです」

「初めまして、緋山 虎之助です。よろしくお願いします」

 差し出された手は巨人かと思うほどでかい。しかし手を重ねると、とてもやさしく握ってくれた。

「向井鷹明です。よろしくお願いします」

「おぉ、名前に“鷹”がいますね。僕も“虎”がいます。動物同士、良い関係を結べそうですね」

 コメントは社会人として100点なんじゃないかな!見た目怖すぎるけどすごく良い人!鷹明は関心のあまり目を輝かせている。

「あ、一応言っておきますけど、見た目通り元ヤクザですから」

 やっぱり怖い。




 緋山と一緒に行くかかなり迷ったが、鷹明は一緒に行くことにした。内面の人の好さはすでにわかっている。それに…見た目の強さで言えば、今までの先輩の中では圧倒的だ。何かあったら守ってくれそう。そう考えれば、一番安心して同行できる人かもしれない。

「僕の準備は出来てます。向井くんはどうですか?」

「僕はいつでもいいですけど、緋山さん、仕事の内容、全然聞いてないですけど、いいんですか?もしかして事前に聞いてます?」

「僕の仕事はワンパターンですから、【回収者】はすぐに見つかるんですよ」

「へぇ…なんかすごいですね」

「一緒に行けばすぐわかりますよ」


 では行きましょうと、緋山が描いた魔法陣の中に、二人で飛び込もうとした。

「待って!」

 呼び止められて、足を止めた。作業部屋の戸を乱暴に開いたのは、橘だ。いつも余裕な表情を浮かべているイメージがある橘だが、かなり慌てていたのか、髪を乱し、額に汗をにじませている。

「橘さん、どうしたんですか?」

「もう鷹明君たちが出るって聞いたから、急いできたのよ…今回は危ないケースになるだろうから。間に合ってよかった。虎之助君、お守り持ってる?」

「はい」

 緋山はポケットから小さなお守りを出した。におい袋のような形をしたそれは、何やら見たことのない刺繍文字が描かれていた。

 橘はそれに掌を乗せる。

「なんですかそれ?」

「おまじないみたいなものかな…鷹明君も、手出して」

 ん?僕も?と鷹明は両手を出した。

 その両手に、橘の手が重なる。細くてとても暖かい手だ。

「本当はお守りの方がいいんだけど…予備がなくて…だから鷹明君には直接、無事に帰れるおまじないよ」

 橘が優しく、鷹明の手を握った。なんだか、随分かわいらしいことをしてくれる…なんだかちょっと嬉しくなる。

「ありがとうございます。橘さん」

 これだけのために来てくれたのか。なんて優しい人なんだろう。鷹明は微笑んだ。




「あれで動じないって、向井さん、意外と鋼のハートですね」

「僕でも最初は照れたのにな、すごいね彼」

 その光景を、入枝と緋山はぼんやりと眺めていた。









 橘と入枝に「行ってきます」とあいさつした二人は、早々に異世界に移動し、周りに何もないことを確認してから、しばらく歩いてみる。近くの村にはすぐについた。

 まず驚いたのは、見た限り女性しかいないことだ。しかも金髪で肌が白く、耳がとがっている…これって…。

「あ~エルフか、定番中の定番ですね」

「エルフって…ファンタジー映画でよく出てきますね。なんで定番なんですか?」

「ごめん、僕そういうことよくわかんなくて…でもだいたい僕の担当する【回収者】のいる異世界って、やたら美人でスタイルがいい人が多いんだよ。【回収者】の好みなんだろうね」

 緋山は申し訳なさそうに髪を掻いた。本当に、何の前情報もなく来たことがわかる。少し不安になってきた。


 とりあえず、近くを歩いていたエルフに声を掛ける。

「あの、すみません」

「ひっ!」

 彼女は声をかけた向井の姿を見ると、小さな悲鳴を上げて後ずさった。

「え、あ、驚かせてすみません…そんなつもりはなかったんですけど…」

 そう声を掛けたが、彼女はそそくさと逃げてしまった。


 その後、何人かに声を掛けたが、みな同じリアクションだった。話すどころか、話を聞いてすらもらえない。

「緋山さん…これ本当に大丈夫なんですか?」

「大丈夫です。むしろ確信に近づいてますよ。ここからは若い女性ではなく、年配の女性に声を掛けましょう」


 緋山のアドバイス通り、露店を開いている老婆に声を掛ける。

「おやまぁ…勇者と同じ黒髪の…どこの国からいらっしゃったんですか?」

「えっと」

 どう答えるか迷い、緋山に助けを求めるため、目線を向ける。緋山はにっこりと笑い、老婆を見た。

「勇者様の噂を聞いて、東の国から来ました。大変ご苦労なさっているようですね」

 緋山が言うと、老婆がうつむき、深いため息をついた。

「本当に…あいつは疫病神だよ」

「あいつって…僕と同じ黒髪の、勇者様のことですか?」

「“様”付けするのも正直嫌なんだよ…」

 老婆は再びため息をつき、説明を始めてくれた。





 勇者は1年ほど前に突如現れた。黒髪、細身の端正な顔つき、強くたくましい彼は、あらゆる女性のエルフを虜にした。

 森にはびこる魔物を次々と倒し、権力と財力を意のままに手にした彼は、いつしか王位にも劣らぬ実権を握っていた。

 勇者は魔物討伐と銘打って、男性のエルフを徴収した。そのまま村に返すことはないらしい。男手が無くなることで、村の生活水準は著しく落ちていった。もちろん、子孫を増やすことも不可能となった。

 子が欲しい女性エルフは、勇者に嘆願しなければならない。嘆願し、勇者のお眼鏡に敵った物だけが、エルフの男性と関係を持つことが出来る。もちろん、男性エルフと関係を持つ前に、勇者の手によって汚されるのだが…。


「村の女共がどれほど苦しんでいるか…私の娘も婚約者を連れていかれた。娘は婚約者に会いたいがために、勇者を前に額を地面につけ…そして…うぅ…ただ婚約者に会いたいだけだったのに…あのクズは…」

 老婆の額に欠陥が浮かんでいる。

「だが勇者様には誰も逆らえない。国を救った事実があるかぎり、王ですらひれ伏す始末…。反乱がおきても、誰も勇者様に勝つことは出来ない…こんなことなら…国など救われなければよかった…」



 緋山は顔を伏せる。鷹明は絶句する。



「…勇者は、どこにいるんですか?」

 沈黙を破り、緋山は老婆に尋ねる。

「王宮の離に居座っているらしいよ」

「嫌なことを思い出させてしまって、申し訳ありませんでした」

「いや、話を聞いてもらえて少しスッキリしたよ。礼を言うのは私の方さ」

 

 そんな…この老婆に、自分たちが礼を言われる筋合いなどない。

 他人だ、血の繋がらない、顔も名前もさっき知ったばかりの男だ…なのに…申し訳なさで吐きそうだ。自分と同じ世界に、国に、都市に住んでいた人物が、傍若無人の限りを尽くし、人々を苦しめている…。元の世界では出来なかった所業を、元の国では罰せられることを、三好卓也は悪意もなくやりつくているのだ。


 何とかしなければいけない。そのために、ここへ来たのだから。





 王宮は村からすぐのところにあった。大きな門。周りを見渡すが、兵士が一人もいない。

「妙ですね。こんなに立派な王宮なら、門兵がいてもおかしくないのに」

「徹底して男性を管理したいようですね。門兵ですら、関係を持つ可能性があるならいらないと…。それとも、勇者様がいる王宮を襲う人物など、この国にはいないと高をくくっているのかもしれませんね。どちらにせよ、体力を使わなくていいのは助かります。離を探しましょう」

 その離もすぐに見つかる。王宮の庭を除くと、小さな屋敷があった。たぶんあそこだ。


「では向井さん、さっさと済ませて帰りましょう」

「はい…………え?」


 これから勇者様とどう交渉していくのだろうと考える間もなく、緋山が走り出し、離れの扉を拳でぶっ飛ばしていた。




 わーわーと人々の混乱した声が聞こえる。そして轟音が何度も響いている。

 ぶっ飛ばされた扉から飛んでくる、人、瓦礫、人、瓦礫、人、瓦礫…。それは緋山の圧倒的な強さを物語っていた。

「向井さん?どうしたんですか?行きましょう」

 土煙と共に、扉から緋山がひょっこり顔を出した。

「大丈夫ですよ、俺が全部蹴散らすんで」

 ニッコリたくましい笑顔を見せた。


 怖くないけど。怖い。




 緋山の後ろにつきながら、前に進む。

 さすがに屋敷内に兵がいたが、全部緋山が殴り飛ばした。元ヤクザとはいえ、こんなに壁や人をボコボコに出来るものなんだろうか?映画みたいだ。手は大丈夫なんだろうか?

 向井の足元には大けがを負い、血を流す男性エルフがゴロゴロと転がっている。目の前で起こっていることなのに、なぜか実感がわかない。画面を通してみている気分だ。

 しばらくそうしていると、とても立派な扉が現れる。多分ここに勇者様がいる。緋山は躊躇なくその扉もぶっ飛ばした。案の定、とても高そうなソファに、黒髪の男がのけぞって座っていた。

「なんだあんたら?反乱分子のエルフじゃないな」

 男は目をカッと開いてこちらを睨んだ。

「いかにも、僕たちはあなたを元の世界に戻しに来ました」

 うん、もう回りくどい言い方する必要ないよね。絶対こいつが三好卓也だよ。

 男がカカッと笑う。

「お前ら元居た世界のやつらか?わざわざ俺を連れ戻しに?ハハ!バカじゃねぇの?前の世界とは違うんだよ!」

 男…三好が立ち上がり、傍らにあった剣を手に取った。

「いいか?ここには法律も秩序もない、傷つけても殺しても誰も何も言わない!俺のための世界なんだよ!お前らが今から俺に殺されたって、正義の味方の警察はいないんだよ!誰も助けない!誰も俺を責めない!この世界で、俺は神同然なんだよ!」

 三好が地面を蹴る。緋山との距離を一気に詰めた。

 やばい。緋山の強さを短時間でも目の当たりしてきたとはいえ、あんな大剣を前に無傷でいられるわけがない。どうにかしなければ…しかしどうやって?自分には緋山のような腕っぷしはもちろんない!出来ることがあるとすれば…。



「ははは!死ね!」



 三好が剣を振りかざす。その剣に、拳サイズの石がぶつかった。火をまとったその石は、剣を燃やし、真っ二つに折った。


「何!?」


 三好が目を見開き、剣を見つめる。緋山も唖然としている。そして二人は、石が飛んできた方を見る。そこには鷹明が立っていた。もちろん石を投げたのは鷹明当人だが、鷹明自身も驚いて固まっている。


 いや、いやいやいや、いやいやいやいや!

「何今の!?」

 近くに落ちていた瓦礫を拾って投げた。それが燃えて剣を折った。いやもちろん、緋山を助けるつもりで、三好に当たればラッキー。そうでなくても気を逸らせればと投げたが…まさか剣に当たって折ってしまうとは思わなかった。

「貴様…!」

 三好が鷹明を睨みつける。

「転生したわけでもないのに、なぜそんな能力がある…!この国で魔法はエルフしか使えないはずだ!」

「え、そうなんですか、あの、正直自分でもびっくりしてて、何が起こってるかわけわからなくて…」

 三好は舌打ちしながら剣を投げ捨てた。そして懐にさしてあった短剣を抜く。

 やばい、今度は俺が危ない。鷹明の背に汗がにじむ。


 三好が一歩、鷹明に近づいた瞬間、緋山が三好の首根っこを掴んだ。そして、三好の身体を軽々と持ち上げた。三好が抵抗する前に、その体は壁に投げつけられた。壁はもろく崩れ、三好の身体に幾重にも落ちてくる。

「カッ…!」

「僕には株式会社HOMEの社員を守る仕事もあるんですよ、だから、向井さんには手を出させませんよ」

 痛みに顔をゆがめながら、なぜだ、と三好がつぶやいた。


「僕には…魔法を無効化するスキルがある…物理攻撃を自動でガードするスキルも…なのになぜお前らには効かない…」

 三好は先ほど、エルフしか魔法が使えないと言っていた。その魔法を無効化できるということは、エルフにとって三好は逆らうことのできない、まさに恐怖の対象だっただろう。そのうえ物理攻撃まで防ぐとは…。

 以前東谷が話していた、この世界は三好にとって優位な立場に出来上がってる世界だったのだ。三好にとって、天国と言っても過言ではない世界なのだろう。


「僕たちはこの世界において“例外”なんですよ」

 緋山が三好を睨みあげながら言う。

「僕、そして向井くんの力は、この世界の外側から来たもの、確かにあなたのスキルはすごいのかもしれないが、それはこの世界においてのみ有効なスキル。だから僕たちには無効なんですよ」



 三好が、くそぉぉ!と叫びながら、三好は緋山の手を振り払い、立ち上がる。


「俺がこの世界で負けるはずがない!俺が!」

 三好が短剣を振り上げるが、その懐に緋山が素早く入り込み、顔を殴りつけた。

「かっ!」

 三好が頬を抑えながら倒れ込む。その後頭部に、緋山がもう一撃食らわせた。見ているだけで痛い。三好は声も上げず、気絶した。

「向井さん」

「なん、すか?」

 緋山が顔を上げ、鷹明を見る。その顔は、とてもさわやかな笑顔になっていた。

「さっきの投球、すごかったですね。助けてくださって、ありがとうございました」

 そう礼を言われたが、絶対助けいらなかったよね。あなた…。




 騒ぎを聞きつけたエルフたちが集まってくる。

「勇者様が負けたなんて…そんな…」

 ひそかに喜ぶ者もいれば、これからどうすれば、と悲しむ者もいる。

「これから魔物とどう戦えば…」

 震える一人の男を、別の男が慰める。

「大丈夫だ。前は俺たちが戦ってきた。元に戻るだけだ」

「う、うぅ…」

 そうおびえるエルフに、緋山が近づく。そして懐から、橘から貰ったらしいお守りを差し出した。

「これには強力な魔力が込められています。きっと何かの役に立てるはずです。どうぞ受け取ってください」

 エルフは、恐る恐るお守りに触れる。すると、その力がわかったのか、ハッと緋山を見る。

「このような高価なもの…いただいても良いのですか?」

「私たちはこの城をめちゃくちゃにしました。せめてものお詫びです」

 エルフたちはホッと胸を撫でおろした。


 これで一件落着か、と思った時だった、突如、部屋に転がり込んできたエルフの男が、気を失ってる三好に棍棒を振り上げた。

「ああぁぁぁぁ!」

 そう叫びながら、泣きながら。三好を殺そうとしていることは、目に見えてわかった。


 助けなきゃ、と思うが、足が動かない。

 この世界でも、元の世界でも、あの男の行いは、文字通り最低だった。

 この男を、助ける価値があるのだろうか?


 棍棒を振り上げたエルフの手を、緋山が止める。

「…っ…。離せ!こいつは!こいつは俺の許嫁を…!」

 エルフの男が涙を流し、奥歯をかみしめ、手を震わせている。そうか、彼が老婆の言っていた…。


 緋山は手を離さない。

「僕の身体を見てください」

 言って、緋山はエルフの腕を持つ反対の手で、傷だらけの自分の身体を撫でた。

「僕も多くの人を恨み、傷つけてきました。そのたびに、愛する人が離れていきました。助けるために殴ってきた。救うために殺してきた。なのに、僕を救う人はいませんでした。僕に手を差し伸べる人はいませんでした。人を殺めるとはそういうことです。誰だけあなたが正しいと思う行為でも、他人から見ればただの罪びとです。あなたが勇者を殺せば、あなたの愛する人は、あなたの手から離れていきます。だから、殺さないでください」

 エルフの男は、泣きながらその場に膝をつく。

「この男には僕たちが必ず制裁を与えます。この世界に二度と来られないように…安心して、愛する人と生きてください」

 その言葉に返事はなく、男は、泣き続けた。







 三好卓也を連れ、異世界から戻る。三好卓也は、こちらの世界にいた頃に姿に戻っていた。

「お、奴さん、戻ってきたか」

「あれ?なんで徳本さんがこんなところに?」

 作業部屋の椅子に、徳本がどっしりと座っていた。なんでってお前、と少し笑っている。

「そいつは傷害罪で豚箱にいたんだぜ?連れていくやつが必要だろ?」

 そういえばそうだった。


 三好がうめき声をあげながら目を開ける。

「ここは…」

「元の世界ですよ」

 言ったのは緋山だ。声を掛けられ、緋山を見て、三好が悲鳴を上げながら後ずさった。後ずさりながら、自分の身体の変化を感じたのか、止まって自分の身体を隅々まで見た。

「元に戻ってる」

 その声が絶望に満ちていることは、誰が聞いても明らかだった。


「なんで…なんでこんなくだらない世界に連れ戻した!」

 三浦が絶叫する。

「依頼があったんですよ、あなたをこの世界に連れ戻してほしいって」

「くそ!余計な真似しやがって!俺はあの世界で幸せに暮らしていたのに!あの世界で俺をバカにするやつはいなかったのに!金も女も権力も!全部俺の者だったのに!」

 今の三好の姿を見る限り、向こうの世界で“幸せ”だったとは到底思えない。以前のケース、遠野や浜村、真鍋を思い返すと、どのケースも【回収者】が異世界の人々に愛されていた、もしくは愛していた。だが三好が帰ることを惜しむ人は、誰一人としていなかった。三好は、異世界でも爪弾きにされていたのだ。それを、当の本人は気づいていない。

 同情はしないが、三好は三好で、苦しい人生を歩んできたことは鷹明にも分かった。それゆえの転生だった。



「たっくん!いるのかい!」



 作業部屋の外から聞こえてくる、女性の声。

「その声は…ばあちゃんか?」

 三好が言うと、作業部屋の戸が開いた。三好の祖母が立っていた。

「たっくん…たっくん!良かった、無事だったんだね!」

 祖母が、三好に近づき、抱きしめる。肥満体系を抱きしめる腕は細く頼りなく、しかししっかりと彼の身体を抱きしめていた。

「怪我はないかい?本当に良かった…ばあちゃん本当に心配で心配で…」

 祖母は三好から手を離し、彼の肩に両手を置いた。

「色々あって大変だったね…大丈夫、お前の両親がお前を捨てても、私がずっと傍にいてあげるからね。たっくんが寝泊まりできるよう、私の家にベッドを増やしたんだ。いつでも、帰っておいで」

 祖母が泣いている。そしてまた、何度も何度も、良かった良かった、と繰り返している。

 三好は何も言わず、うつむいている。




 徳本が三好と祖母を連れて警察署に向かった。

「正直、僕は三好の言う通り、力があることは幸せだと思います」

 緋山が突然、鷹明に語り掛けた。

「でも、手に余る幸せは取りこぼしてしまう。手にある幸せだけ大切にしたらいいのに、人は取りこぼした幸せまで全部拾おうとして、全部落としてしまうんです」

「三好にとって、掌の幸せって、きっとあのおばあさんと一緒にいることなんですね」

「そういうことだね、彼がそれに気づければいいけど…まずは自分の罪を償ないとね」

「…三好が異世界で行った悪行は、償えるんですか?」

「無理だろうね。そもそも三好にあれが悪行だったという自覚があったかさせ怪しいよ」

「確かに…」

 緋山もエルフたちにあぁいったが、三好に償う意志がなければ、償いなど出来るわけもない。三好がいなくなった世界で、彼らが幸せになることを願うことしか出来ない。この仕事には、こんな苦悩もあるのか…鷹明は奥歯をかみしめた。




 そういえば、と緋山が話題を変える。

「向井くん、身体、大丈夫かい?」

「大丈夫って?何がですか?どこも怪我してませんけど」

「いや、橘さんのおまじない、身体に直接受けてただろ?俺はお守りを介してたからあまり影響はないけど…。君もおまじないの力を使っただろ?」

 おまじないの力…あぁ、あの投げた石か…。

 確かにあれば自分でも驚いた。確かに中高と野球をやっていたが、大会に出場すらしない、ほぼお遊び部活だったし、ポジションはセカンドで、コントロールもスピードも平均以下だった。まさかあんなピンポイントに、しかも火を噴きながら剣にあたるなんて…。

「橘さんのおまじないって、そんなに効力あるんですか?」

 まぁ、あんな美人に両手握られたら、確かにやる気が出るし強くなった気にもなれるけど。



 あれ?と緋山が首を傾げた。

「もしかして聞いてない?」

「何を?」

「橘さん、異世界人なんだよ。魔法使いなんだ」



 なるほど、そりゃ、美人なわけだ。

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