理想の弟

 日野は『徳本』の墓の前で手を合わせている。辺りは真っ暗。墓地にいるのは日野だけだ。

 花を生け、日野はその場を後にする。墓地の出入り口で、ばったりと徳本秀紀と会う。参ったね、と徳本が頭を搔いている。

「この時間なら誰もいねぇと思ったのに…むしろお前に会わないためにこんな時間にしたのによ…お前も同じ考えだったか」

 笑う徳本。口をつぐむ日野。徳本を前にすると、何も言えなくなってしまう。

「あぁ、挨拶はいらねぇよ、俺たちは他人同士だ。無理に言葉を交わす必要はない」

 言われて、日野は低く頭を下げ、その場から逃げるように、走った。


 今でも何度か墓参りしたが、運良く徳本に会わなかったのだろう。しかし、今後はどうしようか…早朝ならどうだ?

 日野は足を止める。こうやって、いつまで徳本から逃げ続けなければならないのだろうか…どちらかが死ぬまで…。止まりそうな息を、無理やり吐きだした。



 いつまで、この仕事を続ければ良いのだろう。







 日野の弟、二葉が行方知れずとなって数か月後、会社の同僚に相談し、株式会社HOMEのことを教えてもらった。日野は信じていなかったが、母親は藁にも縋る思いでHOMEに依頼をした。

 それから1カ月後。顔を真っ青にした徳本紀仁が家にやってきて頭を下げた。

「申し訳ございません。日野 二葉さんを連れ戻すことが出来ませんでした」

 徳本紀仁は土下座しながら泣いた。その姿を見て母親も泣いた。日野は激怒した。

「なぜ…なぜ弟を連れ戻せなかったんですか!そもそも本当に弟は異世界なんて…あんたら嘘ついてたんだろ!」

「いいえ!そのようなことは決してありません!」

 徳本紀仁は顔を上げ、首を左右に振った。そして、テーブルに一枚の紙を出した。


 日野二葉は見つかったが、戻らないと自ら決定したこと、その旨が書かれた紙に、確かに弟の字でサインが書かれている。

 日野は絶句した。

「嘘だ…弟は、家族思い良い子だった。俺たち家族を見捨てるはずがない…」

 日野は紙を握りつぶした。


 日野二葉は日野が言うように、優しく良い子だった。いつも笑顔で、家の手伝いもよくしたし、日野とも仲が良かった。だから、日野二葉が家族を捨てるなど、考えられなかった。



 日野は息を吸う。

「俺は認めない…弟が帰らないなんて…金は用意する。だからもう一度弟の元へ行ってこい」

「そんな…彼は頑なに帰るのを嫌がっていました…帰るくらいなら死ぬとまで…」

「そんな言葉は信じない!俺も連れていけ!」

「え…」

「俺がこの目で確かめてやる…いや、連れて帰ってやる!弟を必ず…!!」




 料金は再び払うこと、日野の命の保証はしない、という条件で、日野の提案は承諾された。


 徳本に連れられ、この日、日野は初めて異世界へとやってきた。

 妖精が飛び交う美しい世界だった。信じられなかった。本当に、違う世界がこの世に会ったのだ…。

 徳本は日野二葉が住む家へ案内した。木の上にある、小さな家だ。徳本がノックすると、随分とかわいらしい少年が出てきた。妖精らしく、細い顔立ちに大きな目、薄い羽根が背に生えている美少年だ。

 その少年が、ヒッと悲鳴を上げた。

「なんで…兄さんがここに…」

「え、お前…二葉なのか?」

 少年…元の世界にいたころの面影は全くない、日野二葉が勢いよく戸を閉めた。日野はかじりつくようにその戸をノックした。


「二葉!本当に二葉なのか?!どうしたんだ!なんで帰ってこないんだ!」

 返事はない。

「二葉…なんで…俺も母さんもこんなに心配して…母さんが泣いてたぞ!父さんだって心配してる!かえって来いよ二葉!」

 それでも、返事はない。

「お前…この世界の住人に何かされたんじゃないか…見た目も全然違うし…そうだ、脅されてるんだろ!大丈夫だ!兄ちゃんが絶対に守ってやるから!」


 その言葉を聞いた日野二葉が、勢いよく戸を開けた。怒りに顔をしかめ、涙を流している。

「二葉…?」

「あんたのそういうところが大嫌いだった!何かと『母さんが』『母さんが』って!あんた一人が母さんを大事にしてればいいだろ!なんでいつも俺を巻き込むんだよ!」

「だって俺たち…家族だろ」

「そうやって兄さんはいつも俺を言葉でしばりつけてた…『母さん』『家族』『俺の弟』『優しい良い子』そういって俺の自由を奪った…友達と休日遊びたいって言っても『家族と過ごそう』って言った…。ボクシングをやってみたいって言った時も『危ないから絶対だめだ』って言った…。県外の大学に進学したいって言った時も『金がかかって母さんと父さんが大変だろ?近くの大学がいい』って言った…。あんたはそうやって、周りを巻き込んで俺の自由を奪った…。あんたは…この世界にきてまでして、俺から自由を奪うのか!」

 日野二葉が手を振りかざした。瞬間、徳本が日野の前に出る。何か強い衝撃と共に、徳本と日野は吹っ飛ばされた。そのまま下に落ち、二人は地面に身体を打ち付けた。徳本が痛みにもがいている横で、日野は家を見上げた。

「やっと自由に…あんたから、家族から逃げられたと思ったのに…二度とここへ来るな!」

 日野二葉は、兄を拒絶するように、ドアを閉めた。




 落とされた木の下で、二人は呆然と座り込んでいる。

「…弟は、頭がおかしくなったんでしょうか?」

「…はい?」

 突然の日野からの問い、徳本は思わず聞き返した。

「この世界の住人に、弟は洗脳されたんだ…あんなこと言う子じゃない」

 それは違うと、徳本は言えない。徳本は日野二葉を探す短い間、この世界を渡り歩いたが、とても平和でいい世界だった。誰もが優しく、他人を思い、いつも笑顔で…日野二葉がずっとここにいたいと言う気持ちが、徳本にはわかった。

 それだけではない、この兄を見ていればわかる。強制された“家族思いで良い弟”。日野の家族であれば、それを強制せずとも、自然になりえた姿だ。だが日野は強制した。押し付けた。日野二葉はそれにずっと苦しめられた来た。



「あなたが…」

 日野の視線を感じ、徳本は日野を見る。彼が、顔をゆがませ、徳本を睨んでいる。

「あなたがもっと早く見つけていれば…弟はあぁならずに済んだんじゃないですか?」

「そんなことは…」

「…そうですね、他人に任せた俺がバカだったんです…最初から俺が来ればよかったんだ…」

 日野は唇をかみしめ、泣き始める。くそ、くそ、と、何度もつぶやきながら…。









 日野が弟を連れ戻せなかった旨を母親に伝えると、彼女は再び泣き崩れた。もはや二度と立ち上がることが出来ないのでは、と思うほどに。

 それからしばらく、日野は家にこもっていた。何も考えたくないのに、頭に弟の顔がずっと浮かんでいた。家にいた頃の笑顔、異世界での憎悪に満ちた顔。本当に…後者が彼の本性だったのだろうか?


 日野は数日ぶりに家を出た。気づけば、株式会社HOMEに来ていた。対応したのは目黒だ。

「あの…徳本さん、いらっしゃいますか?」

 聞くと、目黒の顔が一気に真っ青になった。

「どうしたんですか?」



「大変申し上げにくいのですが…徳本は、亡くなりました」



 え、と声に出ない声が、漏れる。

「徳本さんが亡くなったって…どうしてですか!?まさか異世界で…!」

「なんだその坊主は…紀仁の知り合いか?」

 目黒の後ろから声がする。目黒はビクリと体を震わせた。

「徳本さん…どうして…」

「“徳本”って聞こえてきたからよ…そいつは誰だ?」

 目黒の後ろからふらりと現れたのは、土気色で、頬がやつれた男だ。徳本と、呼ばれている…。まさか…!


「あの、すみません、お客様のことは言えないくて…」

 目黒がうつむき、目を泳がせる。

 そんな目黒の前に、日野が立った。

「日野一色といいます。徳本さんには弟がお世話になりました」

「日野さん」

 目黒が止めようとするが、そんな彼女を制し、日野は徳本と向かい合う。

「あんたもしかして…息子が担当したって話してたやつか」

 徳本が日野を睨む。

「俺はよ、息子がやっていた仕事について何も知らなかった、最低な親父だ。死にそうな面してるときに助けてやれなかった…。助けてやればよかったと後悔している…」

 徳本が拳を握り締め、奥歯をかみしめた。

「息子が首つってまだ数日しか経ってねぇんだよ…。息子の死について、自分以外を恨む気はないが…それでも、てめぇの弟を…てめぇを、ぶち殺してやりたくなる」

 あまりの剣幕に、日野は一歩引いた。言葉通り、日野にとびかかって殺しそうだ。


 徳本が、日野から目をそらし、舌打ちをする。

「恨み言みてぇなこと言って悪かったな…あんたを責める気はねぇんだ…もう帰るぜ」

「でも…まだお話が終わってないじゃないですか」

 目黒が徳本を止めようとするが、それを制し、徳本は株式会社HOMEを後にする。振り返らないその背は、泣いているように見えた。




 応接間に案内された日野の前に、お茶が出される。テーブルをはさんで向かいに社長の平山が座っている。

「この度は日野二葉さんを連れ戻すことが出来ず、本当に申し訳ありませんでした」

「今はそんな謝罪いりません」

 日野はきっぱりと言った。

「徳本さん…本当に自殺、したんですか?」

「…徳本は、人一倍、正義感と責任感が強い男でした。入社当初から仕事に打ち込み、覚えや対応も早く、常に努力していました。しかし残念ながら、その強すぎる正義感と責任感故、この仕事は向いていないと思っていました。この仕事は、そういう強い信念を持つ人ほど、苦しめられます。彼にはサポート側として働くことを提案しましたが、彼はそれを断り、『人を助けたい』と異世界に飛びました」

 平山の目に、涙が浮かんでいる。

「私が恐れていたのは、仕事を完遂出来なかった時です。…彼が一人で仕事を始めてから、完遂出来なかったのは今回が初めてでした…たった一度の失敗を、彼は受け入れられなかったのです」

 平山が、両手を握っている。手の甲には欠陥が浮いていた。


「日野二葉さんを連れ戻せなかったことは、私が責任を負います。ですから…徳本を許してはいただけないでしょうか?」


 平山の言葉が頭に入ってこない。


 弟は帰ってこなかった。徳本は死んだ。その父は自分を恨んでいる。


 どうやって許せばいい?どうやって許してもらえばいい?


 どうしたら…どうしたら…。





「…俺も、ここで働かせていただけないでしょうか?」


 平山が目を見開く。

「ここで働いてたら、いつか徳本さんを許せるかもしれない…。徳本さんのお父さんに許してもらえるかもしれない…。弟を連れ戻す方法も見つかるかもしれない…」

 そうだ、と日野は頷く。



「ここで、働かせてください」












 徳本紀仁の墓参りから逃げかえった日野は、家につきベッドに倒れ込んだ。

 未だに、許せないし、許してもらえない…永遠と続く螺旋階段をグルグル上っている気分だ。


 それに…弟を連れ戻す言葉すら、見つからない。どれだけ異世界を経験しても、弟にかける言葉が見当たらない。どれだけ他人を説得できても、家族を連れて帰れないなんて…情けない話だと日野は思う。


 日野はスマホを点け、銀行のアプリを開いた。

 日野二葉の捜索依頼、2度目の依頼金はまだ支払いが終わっていない。給料から天引きされる形で少しずつ会社に返済している。

 貯金はなかなかたまらない。せめて500万円は欲しい。それだけあれば、3度目の依頼が…自分で弟の元に行くことが出来る。早く貯めたいと思う反面、弟に会いに行くのが怖いと思っている。



 鷹明の言葉が頭をよぎる。



『違う。あんたは、そうやって自分の思想を相手に押し付けた。何時間も何日も何年もかけて…ねじ込んで、そうやって相手の気持ちを押さえつけて、無理やり連れ戻してく来たんだ。そんなもん、拷問と一緒だ』



「拷問か…二葉、お前は、ずっと俺の拷問に耐えながら、生きていたのか?」




 その問いに答える人は、いない。

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