無理すんな
目黒が頬を膨らませて鷹明を見ている。
「向井さん!」
「え、はい!」
「私言いましたよね?休むことも大事な仕事だって!そんな顔色で会社に来ないでください!」
そんな顔色って?鷹明は自分の頬を撫でた。撫でても自分の顔色などわからないが…。目黒が怒るくらいには悪いのだろう。
「向井さん…あなたは大事な大事な新入社員です!久しぶりに来てくれたまともな社員です!私、向井さんには辞めてほしくないんです!」
目黒が必死に訴える。訴えながら、鷹明が書いていたレポートを取り上げた。
「あ!」
「この前のケース。レポートはまた後日で大丈夫です!今日は帰ってください!」
「でも…」
「帰りなさい!」
目黒の威圧がすさまじい。これは逆らってはいけないやつだ。
「はは、熱烈な告白だな、目黒の嬢ちゃん」
聞きなれない声。鷹明は声の主を探す。会社の入口に悪そうな男が立っていた…。確か、刑事の徳本。
「徳本さん、いつの間に」
目黒がきょとんとしている。
「わりぃ、音もなく侵入するのが刑事なもんでな、つい癖で」
「かっこつけたいだけじゃないですか」
「相変わらず、目黒の嬢ちゃんは厳しいな。橘はいねぇのか?」
「今日はお休みです」
「なんだ、面白いネタ持ってきたのによ、今日は帰るか」
徳本が踵を返す。しかし歩き出さない。
「おい坊主、名前、なんつった?」
「え?僕…ですよね?向井鷹明です」
「今から帰るんだろ、ちょっと付き合えよ」
「え?」
「いいところ連れてってやるからよ」
徳本がにやりと笑いながら振り返る。
ダメ!と目黒が叫んだ。
「向井さんをどこに連れて行く気ですか!汚さないでください!」
「目黒の嬢ちゃん。男ってのは、薄汚れていって、大人になっていくんだぜ」
いったいどこ連れていかれるんだろう。向井の脳裏にはきれいなお姉さんが並んでいる。そういう場所、行ったことないんだよな…行ってみたい。
「行きます」
「ちょっと向井さん!」
「お、いいね坊主、その意気だ」
目黒の言う通り、今の自分には休養が必要だ。心も体も…きれいなお姉さんに癒されたい。
鷹明が荷物をもって徳本に近づく。徳本が鷹明の肩を持った。
「じゃあお宅の新人借りてくぜ」
「そんな…向井さん…汚されちゃダメですからね!」
前から思っていたが、ここの女性社員は僕のこと、とんでもなく純粋無垢だと思ってるんじゃないか…。そんなわけもないのに…。鷹明はため息をついた。
会社の外に、徳本の車が止められていた。勧められるままに助手席に座った。タバコ臭くて、少しむせた。
「すこしドライブに付き合ってくれ」
「はい」
運転席に座った徳本が、車を発進させる。
「お前さん、前と随分顔色が違うが、何かあったのか?」
「え?」
「お前らの事情、よくわかってる。同じ社員より、俺みたいなおっさんの方が話しやすいだろ」
もちろん、きれいなお姉さんのところに連れて行ってもらえるなんて、本気で思っていなかったが…。心配はしてくれたみたいだ。見た目より、世話焼きな人なのかもしれない。
「どうした?話したくねぇか?」
「いえ…数日前に行った仕事…真鍋千鶴さんの件なんですけど」
「あぁあれな、日野が担当したやつか」
「日野さんと意見が食い違って…喧嘩みたいに…というか、僕が一方的に怒っちゃって…間違ったことは言ってないつもりなんですけど、やっぱり先輩に失礼なことしたかなって」
「やっぱり日野か」
「やっぱりって…」
「あの会社で日野のことをよく思っていないやつは多い。けど日野の言うことも間違ってねぇ。誰も日野に論破できねぇ。【回収者】を第一に考えるか、【依頼者】を第一に考えるのか、たったそれだけの違いだ」
それだけのことで、あぁまで嫌悪感を覚えるものなのか…。いや、日野の思考というより、それを押し付けられた行為に嫌悪感を覚えたのだ。頑なまでに【依頼者】に寄り添うあの姿勢…。もしかしたら、元々自分も【依頼者】の立場だったからかもしれない。
「日野の弟の話は知ってるか?」
「はい、日野さん本人から少し聞きました」
「日野の弟のケースを担当したのは、俺の息子だった」
「え?」
「俺の息子はな、あの会社で働いて、自殺したんだ」
徳本 紀仁。徳本の息子だ。彼は常に父親の背を追っていた。刑事として働く父親を尊敬していた。いつか父のように立派な警察官になるのだと思っていた。
しかしそれは叶わなかった。何度も試験に挑んでも不合格だった。徳本は息子に失望していた。息子の夢を叶えるために、厳しく育ててきた。なのに、こんな初歩で躓くとは思わなかった。ついには年齢制限を超え、諦めざる負えなくなった。
そして就職したのが『株式会社HOME』だった。
刑事とは違えど、これも人を助ける仕事なんだと、徳本紀仁は喜んで父親に報告した。徳本は激昂した。そんなわけのわからない会社に就職して、何が人助けだ!私の面汚しだ!今すぐやめろ!そう怒鳴っても辞めなかった。
株式会社HOMEに就職してから、徳本紀仁は自分に自信を持ち始めた。今回も人が救えた。また一緒に帰ってこられた。依頼者を笑顔にすることが出来た。そう笑う息子を、徳本秀紀は認めなかった。世間のはみ出し者を連れ戻す仕事だと?ばかげている。息子は宗教にのめり込んでしまったのだと思った。
ある日、徳本紀仁は顔を真っ青にして帰ってきた。
「初めて【回収者】を連れて帰れなかった…【依頼者】は僕を許さなかった…お父さん、僕はどう償えばいいの?」
「知るかそんなもの。だからその会社は辞めろといったんだ。自分で考えろ」
そしてその日、徳本紀仁は自室で首を吊った。
鷹明は、話を聞きながら、点滅する信号を呆然と眺めている。
「お前の顔色があの日の息子と重なってな…」
鷹明はサイドミラーで自分の顔を見る。確かに…ひどい顔をしていた。
「徳本さんは…日野さんを恨んでるんですか?」
「恨んじゃいねぇよ。日野もそう思い込んで俺を避けてるみたいだがな…。息子の死は、元をたどれば俺の所為だとわかっている…。俺があいつに、もう少し優しい言葉をかけていれば…ふ、そんなこと出来るなら最初からやっていたか…。俺は威厳のある父でいたかった…。でもそうじゃねぇ、息子のために、優しい父親になるべきだったんだ…」
徳本が、この会社に肩入れする気持ちがわかった気がした。表立っては出来ないが、徳本は、息子のやってきたことを認めたいのだ。彼は確かに、誰かを救ってきたのだと…。
「なぁ向井」
「はい」
「少しでも死にたいと思ったら、仕事辞めろよ。俺の息子みたいに死ぬんじゃねぇ」
その言葉を、鷹明はかみしめる。
ついたぞ、と徳本が車を止める。会社の最寄り駅だ。随分遠回りしたような気がする。
「向井、車降りる前に、ちょっと外見てろ」
「外ですか?」
向井は外を見る。
「絶対こっちみるんじゃねぇぞ」
「はい」
「俺は、息子が死んだあと、その魂は『異世界転生』したんじゃねぇかと思っている。あいつはあの会社で働いてたからな、異世界の扉を開くのも容易かったろう。あいつは今頃、いい父親の元で、幸せに生きていると、俺は思っている」
思っている…いや、願っている。徳本がそう言っている気がする。
「話は終わりだ。そのまま車降りて、振り返らずに電車に乗りな」
「はい、あの、ありがとうございました」
「いいから、さっさと降りろ」
鷹明は車から降り、振り返らずに改札を通った。
徳本は、泣いていたのだろうか?照れていたのだろうか?それとも…。
日野が【依頼者】を強く思う理由の一つに徳本のことも含まれているのだろうと思った。残される側の気持ちだって【回収者】と同じくらい大事なのだ。
日野は電車に乗り、ガラスに映る自分の顔を見た。
死ぬんじゃねぇ。
徳本の言葉が残っている。
鷹明は両頬を叩き、気合を入れた。
「死にたいなんて、思ったこともない」
まだ、あの会社で頑張れる気がした。
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