デネブ・アルタイル・ベガ
『アルタイル』が星の名前だと知ったのは、真鍋千鶴が小学4年生の時だった。
「アルタイルって変な名前って思ってたけど、星の名前だったんだね」
真鍋千鶴は傍らに寝そべる柴犬の頭を撫でた。祖母が飼っている犬で、アルタイルと言う名だ。周りからは『アルちゃん』と呼ばれている。
祖母が真鍋千鶴に煎餅を渡す。ありがとうと真鍋千鶴は受け取った。アルタイルにもおやつが与えられる。
「ちぃちゃんが生まれた歳に買った子だからね。ちぃちゃんと友達になってほしくて、その名前にしたんだよ」
「アルタイルと私の名前になにか縁があるの?」
「わし座のアルタイル、こと座のベガ、そしてはくちょう座のデネブ。夏の大三角。ちぃちゃんは鶴だからデネブだろ?それにちなんで、仲良くなってほしくて、アルタイルにしたんだ」
「ばあちゃん。確かに私は鶴だけど、デネブは白鳥でしょ?」
「似たようなもんじゃないか」
「全然違うよ」
そういう無理くりなところ、おばあちゃんらしい、と真鍋千鶴は笑った。おやつを食べ終えたアルタイルが、千鶴に撫でられうっとりとしている。
祖母の思惑通り、アルタイルは真鍋千鶴にとって大事な友達だった。近所に住む祖母は、共働きの両親に代わって、良く保育園に迎えに来てくれた。だからほぼ毎日アルタイルと遊んだ。小学校に上がってからも、それが日常だった。
真鍋千鶴はアルタイルをギュッと抱きしめる。
「アルちゃん、また少しやせたね」
「犬の年齢で言えば、だいぶ高齢だからね、昔に比べれば食欲は落ちちゃったね」
ずっとお友達でいられればいいのに、と真鍋千鶴は思う。親の帰りが遅い日。友達と喧嘩した日。落ち込んだ日。いつも寄り添ってくれたのはアルタイルだ。アルタイルがいない日常が受け入れられない。けど…きっと近い将来、その日が来る。
「ずっとアルちゃんと一緒にいられればいいのにな」
少し抱きしめる力を強めると、きゃん、と嬉しそうにアルタイルが吠えた。
その日はすぐに訪れた。学校帰り、いつも通り祖母の家に寄ると、アルタイルが息を引き取っていた。アルタイルを撫でながら、真鍋千鶴は泣きわめいた。大切な子の死がこんなに辛いなんて…。もう動かないなんて、もう抱きしめられないなんて、辛くて辛くて、言葉が出ない。涙しか出ない。祖母も静かに泣きながら、真鍋千鶴の背中を優しくなでた。
後日、少し気持ちが落ち着いた真鍋千鶴は、学校に顔を出した。
「千鶴ちゃん大丈夫?急に休んでどうしたの?」
友達が千鶴を囲んで、心配そうに声を掛ける。本当は思い出すだけで泣きそうになっがた、正直に話した。
「おばあちゃん家で飼ってたアルちゃん…犬が亡くなって…」
「え、そうなの?それはつらいね」
「私も猫飼ってるから、気持ちわかるよ」
「千鶴ちゃん、大丈夫?」
友達の温かい言葉が身に染みる。目じりに涙が浮かんだ。
「じゃあまた、ワンちゃん買ったらいいじゃん!さみしくなくなるよ!」
それが、誰の言葉だったのかはわからないが、真鍋千鶴の胸に深く、深く刺さり、えぐった。
それは、アルタイルの代わりということだろうか?別の犬が、このさみしさや悲しさから解放してくれると?アルタイルは、千鶴にとって唯一無二だったのに…。
「そうだね!それがいいよ!」
「学校帰りに一緒にペットショップ見に行こうよ!」
奥歯をかみしめた。この場から逃げたしたかった。
みんなは友達が死んだ時、変わりを探しに行こうと言われたら、どんな気持ちになる?悲しくなったり、怒ったりするよね?なんでそんなこと言うの?人じゃないから?ペットだから?私にとっては、大事な友達でだったのに…。
我慢が出来ず、真鍋千鶴はその場で大声をあげて泣いた。
それから、友達とは上辺で付き合うようになった。本心は見せない。本心を聞かない。会話は適当に相槌して、遊び付き合いも適当にやった。どんな人とも壁を作った。自分の心に踏み込まないでほしい。触れないでほしい。アルタイルとの大事な思いでに、土足で踏み込まないでほしい。だからアルタイルが亡くなって以降。誰にもアルタイルの話をしなくなった。その話をしたら、また心無い言葉を言われるような気がした。
それで友達を失うこともあったが、高校生になるころには、一定の距離を保ちながら友達と付き合えるようになっていた。
「千鶴!あんたもやってみなよ!ボイドラ!」
「何それ?」
友達の誘いでダウンロードしたゲーム『VOICE‐ドラゴンの国‐』。もともとゲーム興味はなかったが、周りの友達がみなやっていたので、やらざるおえなかった。
ドラゴンを育て、ダンジョンを攻略するゲーム。最初はドラゴンの卵を選び、ふ化させるところから始まる。真鍋千鶴が選んだ卵から、銀色のドラゴンが生まれた。名前を設定するよう求められる。
ふと、祖母と話していたことを思い出した。デネブとアルタイル…。
「千鶴、名前何にしたの?」
「ベガ」
「何それ、変な名前」
友達が笑うが気にしない。まぁやり込むつもりもないし、適当に数日やったらゲームは消そうと、真鍋千鶴は思っていた。
しかし、思いのほかこのゲームが楽しかった。日々成長するベガが可愛く思えてきた。おいしそうにご飯食べるし、撫でるととても喜ぶ。アルタイルとの日々を思い出した。
「千鶴もそろそろダンジョン挑戦したら?」
ゲームを始めて1ヵ月ほどたったころ、友達にそう言われ、特に何も考えずダンジョンに挑戦した。
「あ、負けた」
「嘘、はや、ステージ9とかうける」
友達が笑う。まぁ、勝つ気など微塵もなかったのでどうでもよいが。
「あれ?ベガ?動かない」
LOSEと表示される画面で、ベガが蹲って動かない。
「あれ?千鶴知らなかったの?ダンジョンで負けると、死んじゃうんだよ、ドラゴン」
「え」
千鶴が絶句する。
「まぁ次のドラゴン育てればいいんだけど、次はちゃんとレベル上げないと~」
ははは、と友達が、笑っていた。
帰宅した真鍋千鶴は、自室で涙を流した。アルタイルの時と同じ…いや、あの時よりひどいかもしれない。
たしかにゲームの、空想上のドラゴンだ…。だが、すごく愛着がわいていた…いや、友達だと思っていた。それをまた、別の子を育てればいいなんて…。
「ごめんねベガ…私が無知だったばっかりに…死なせちゃった…ごめんなさい」
泣きながら、ゲーム画面を開いた。
「え?何、これ…ボーナス?」
ベガが横たわる画面に『クエストクリアボーナス』と書かれたボタンがある。真鍋千鶴はそれをタップした。
「ステージ10以下でダンジョン失敗したユーザーのみに与えられるクエストクリアボーナス…『復活の卵』ダンジョンに一緒に挑戦したドラゴンを…卵から生き返らせることが出来る!」
ベガを生き返らせることが出来る!
真鍋千鶴はすぐにボーナスを取得し、『復活の卵』を使用した。
気が付くと、見知らぬ土地で倒れていた。腕には卵があった。
最初はわけがわからず彷徨ったが、しばらくしてここが『ボイドラ』の世界であることに気が付いた。なぜアプリゲームの世界に…あれは仮想の世界なのに…。
疑問に思ったが、そんなことより…自分が持つ卵。この世界に来る直前の記憶では、『復活の卵』を使ったのが最後だ。ならばもしかして…。
抱えていた卵が割れる。銀色の毛並みが見える。真鍋千鶴は、泣いて喜んだ。
「ベガ…」
腕の中で、ベガが嬉しそうに鳴いた。
ゲームの設定どおり、ドラゴンを扱う者として住まいを与えられた。街で働いて稼ぎながら、ベガを育てた。ベガはすくすくと元気に育っていった。
ベガが真鍋千鶴より少し大きくなったころ、ベガと一緒に出来る仕事を探した。
「郵便配達とか楽しそう!観光案内とかも!あとは…デュエルか…デュエルは嫌だな…ベガを戦わせたくない」
真鍋千鶴は、ふと外を見た。ダンジョンが見える。
ダンジョンは、真鍋千鶴たちが暮らす村から見える場所にある。けどダンジョンに挑戦するつもりはなかった。もうベガを死なせたくない。このまま、二人で楽しく幸せに暮らせれば、それでいい。
しかし…。
「ベガ?」
ベガはいつも、ダンジョンを眺めている。まるであそこに行きたい、とでもいうように。
真鍋千鶴はベガを抱きしめる。
「もうベガは戦わなくていいんだよ…もう辛い思いさせないから…」
そう何度も声を掛けたが、ベガはダンジョンを見ることをやめなかった。成長すればするほど、ダンジョンに向かおうとする。
「ベガ!ダメだって帰ろう!」
ダンジョンに向かうベガの前に、真鍋千鶴は立ちはだかる。
「どうして、なんで…あんなところ行かなくていいんだよ…」
ベガが咆哮する。どれほど真鍋千鶴に止められても、それでもやめない。その意志の強さに、真鍋千鶴が折れた。
「…わかった。でも今はまだだめ、もっと強くならないと、絶対に生きてダンジョンを攻略するのよ」
それから2人の厳しい訓練が始まった。怪我もした、嘔吐もした。それでもやめなかった。来る日も来る日も、二人は強くなることを目指した。
そして、2人はついにダンジョンに挑戦し始める。
ステージ65あたりまでは余裕でクリアできた。それを超えたあたりから、クリアが困難になってきた。
ステージ80に達した頃、ついにベガが大けがをした。
「ベガ!」
かろうじて勝利はしたが、ベガの呼吸は荒く、体は傷だらけだ。
「もうやめよう…ここまでよく頑張ったよ…これ以上はベガが死んじゃう。やだよ…ベガ、ずっと一緒にいてよ」
真鍋千鶴はベガを抱きしめる。一瞬、ベガも真鍋千鶴に寄り添ったが、すぐに体を動かし、立ち上がる。
「ベガ!やめて!もう無理だよ!」
真鍋千鶴が叫ぶ、泣く。それでもベガは歩みをやめない。
「……っ」
ベガに言葉が届かない。
「死ぬまで戦うしかないの…わかったよベガ」
真鍋千鶴は涙をぬぐった。
「最期まで、ずっと一緒だからね」
一夜明け、鷹明と日野はダンジョンの前に立っていた。交渉した男とドラゴンも到着する。
男がドラゴンにアイテムを身に着けると、ドラゴンに翼が生えた。
「おぉ、本物だったんですねぇ。半信半疑でしたけど」
「僕たちもドラゴンに乗せていただけますか?」
「この子は大型だから、3人ならギリ乗せられますよぉ、どうぞ」
男と、鷹明と日野がドラゴンに飛び乗る。そして、飛び出した。
ドラゴンはダンジョンに沿って、グングン高く飛んでいく。
「うわぁ!すごい!」
男は楽しそうだが、鷹明は必死だった。振り落とされそうだ。馬にも乗ったことないのにドラゴンに乗れるはずもなかった…。死ぬほど怖い。
ドラゴンは一気にダンジョンの最上階まで到達する。ステージの屋上を見下ろすように停滞する。
「お!すごい!ちょうどステージ100に挑んでるドラゴンがいますねぇ」
鷹明と日野が顔を見合わせ、下を見る。人より少し大きなドラゴンが、5~6倍はありそうなドラゴンと戦っている。
「銀色のドラゴン!ベガですね!」
ベガの攻撃をカバーするように、ベガの背に乗っている少女が技を繰り出している。
「あれが真鍋千鶴だ!写真でみた彼女に似てる。間違いない!」
「ダンジョンに降りられますか?」
「今は無理ですよぉ、この子ダンジョン攻略できるほどレベル高くないし、あんな激しい攻防の中降りたら、皆死んじゃいますよぉ」
ということは、ここで戦いが終わるまで見てるしかないのか…。鷹明は唇をかみしめる。
ベガの疲弊がひどい。このままでは力尽きて負けてしまう。
「ベガ!回復するよ!」
真鍋千鶴が回復薬をベガに使う。しかし敵の猛攻ですぐHPを減らされてしまう。
「ダメだ…一回止まって全快しないと…でも止まったら負ける…!」
どうすればいい…!真鍋千鶴は苦悶の表情を浮かべる。回復できないなら、ベガを援護するしか出来ない。真鍋千鶴は剣を抜く。ステージ95で出たボーナス『フロッティの剣』だ。敵の硬い鱗を打ち砕くことが出来る。
「ベガ!高く跳びあがって!敵は真上からの攻撃を諸に食らってる!私が上から降りて敵に攻撃を加えるから、そのすきにベガが炎の攻撃を出して」
ベガが首を左右に振る。否定の意味だ。
「ベガ!私なら大丈夫!回復薬はまだある!死ななければ回復出来る!」
真鍋千鶴がベガを撫でる。
「ここまで来たんだよベガ…いっぱい頑張ってきた…私だってもう、覚悟は出来てる。勝って、一緒にダンジョンを降りよう」
それでもベガは首を縦に振らない。
「私の我儘も聞いてよ。大丈夫。私はあなたを信じてダンジョンに挑んだ。あなたも私を信じて」
ベガが小さく唸る。
「ありがとう…勝つよ!ベガ!」
ベガが敵に向け全力で走る。敵の攻撃を素早くかわし、どんどん距離を詰めていく。そして、高く跳びあがった。真鍋千鶴がベガの背から飛び降り、敵の背に攻撃を食らわす。
「ベガ!」
真鍋千鶴の合図で、ベガは全身全力の攻撃を繰り出した。
辺りが煙で覆われる。下が何も見えない。
「いったい…どうなったんだ…」
鷹明が息をのむ。
徐々に煙が晴れる。ベガよりはるかに大きいシルエットが立っている…まだ倒れていない。
「そんな…」
敵が、咆哮する。
「うおおおぉぉぉ!!!」
少女の声が空に響いた。
敵の背に乗っていた真鍋千鶴が、剣を敵の首に振り下ろす。刃が首に少し食い込んでいる。
敵が痛みに悶えながら首を振舞わす。真鍋千鶴は剣にしがみつき、放そうとしない。
「負けない!絶対に負けない!」
真鍋千鶴の肌は真っ赤に爛れ、酷い火傷を全身に覆っている。彼女ももう限界のはずだ。しかし、剣の柄を放そうとしない。最後の力を振り絞り、敵の首にねじ込んでいく。
煙の中から、ベガが全速力で走ってくる。一気に敵の足元まで行くと、その体をよじ登り、真鍋千鶴の傍らに来る。そして、ベガは柄の上に飛び乗り、全体重を乗せる。
敵は明らかに苦しんでいる。
「がんばれ…がんばってくれ…」
鷹明が小さくつぶやく。
しかし、力尽きたのか、真鍋千鶴がついに振り払われ、その体はダンジョンの外へ放り投げられた。
「やばい!彼女が落ちる!」
「俺たちはダンジョンに飛び降ります!だからあなたが彼女を助けてください!」
日野が男に頼むと、わかりました、と男は鷹明と日野が自力で飛び降りられる距離まで降下する。二人が下りたのを確認すると、男は落ちていく真鍋千鶴を追いかけた。
「グガアアアア!!」
ベガが叫んだ。二人はベガを見る。
「…泣いてる」
ベガが涙を振りまきながら、剣を力任せに押し込んだ。剣は首を貫通し、そこにベガが炎を吹き込んだ。炎は首から全身に広がり、敵が雄たけびを上げながらゆっくりと倒れた。
ダンジョン全体が熱い…肌がヒリヒリと痛い。吸い込む空気が熱い。今にも気絶しそうだ。真鍋千鶴は、こんなステージで、長時間あんな化け物と戦っていたのか?
「…ベガか勝ったんですか?」
「おそらくね」
「真鍋千鶴は…!」
鷹明はダンジョンの下を見下ろす。ちょうど、男が真鍋千鶴をドラゴンに乗せて戻ってきていた。鷹明はほッとする。
男のドラゴンが静かにダンジョンに降り立った。真鍋千鶴がいることに気づいたのが、ベガが敵から飛び降り、傷だらけの身体を引きずりながら近づいてくる。
男がゆっくりと、真鍋千鶴の身体を地面に降ろした。
「だめだ、この子…息をしてないよ」
鷹明と日野が絶句する。
ベガが、少しずつ、少しずつ近づいてくる。涙を流して、身体を震わせて。
ふわりふわりと、雪が降り始める。
「チヅル…チヅルちゃん…」
誰が言ったのか、誰が彼女の名前を呼んだのか…。鷹明は反射的にベガを見る。
「チヅルちゃん…嫌だ、死なないで」
小さな、とても小さな、か細い女の子の声は、確かにベガから発せられていた。
ベガがようやく、真鍋千鶴の傍らにたどり着く。
「チヅルちゃん…やっと、チヅルちゃんとお話しできるのに…」
ベガが真鍋千鶴の頬に口先を摺り寄せる。
「チヅルちゃん…私、あなたに『ありがとう』を伝えたくて…戦ったの…私、弱くて…前世で負けちゃって…だから、チヅルちゃんが私を生き返らせてくれたのがすごくうれしかった…。またチヅルちゃんと一緒に過ごせる時間がすごく楽しくて…。だから、あなたに届く『声』が欲しくて…ここまで来たのに…チヅルちゃん。お願い死なないで。チヅルちゃん」
鷹明の目に涙が浮かぶ。この二人の関係性を、聞かずともわかる。互いが互いを大事に思っていた。
「ごめんなさい。あなたの言う通り、ダンジョンに挑まなければよかった…チヅルちゃんを失うくらいなら『声』なんていらなかった…。私を引き留めようとしたあなたの気持ちが、ようやくわかった…ごめんなさい、ごめんなさい」
ついに、鷹明の目から涙が落ちた。
「ごめんなさいは、違うと思う」
また知らない声。男が自分のドラゴンを見る。
「お前…しゃべってるのか?」
男が驚愕している。
「そうか、ダンジョン攻略のユーザー全てに与えらえる得点が、ドラゴンの声…まさにVOICEだな」
日野が冷静に言い放つ。
男のドラゴンが、ベガに優しく声を掛ける。
「やっと手に入れた『声』なんだ。ありがとうをもっと言わないと、ダメだと思う」
ベガが頷く。
「チヅルちゃん。ありがとう。私を選んでくれてありがとう。一緒に生きてくれてありがとう。一緒に戦ってくれてありがとう。生まれ変わらせてくれてありがとう。チヅルちゃん。大好きだよ」
真鍋千鶴は答えない。
日野がベガの傍らに歩み寄る。
「彼女を元の世界に戻れば、生き返らせることが出来るかもしれない」
日野の言葉に、ベガが、鷹明が驚愕する。
「この世界では死んだけど、元の世界で彼女は死なずにこっちに来た。だから、元の世界に戻るとき、元の体の状態に戻るかもしれない…それがなくても、元の世界の方が医療技術は進んでる。今すぐ戻れば、彼女を助けられるかもしれない」
そうか、その可能性があった…!
「それって、チヅルちゃんを違う世界に連れていくっていうこと?もうチヅルちゃんとは会えないの?」
「そうなるかもしれない」
「嫌だ!チヅルちゃんと離れたくない!」
ベガが真鍋千鶴の襟首をつかみ、引っ張る。
「ベガ!ダメだ!今動かしたら傷がひどくなる!」
「連れて行かないで!チヅルちゃんは私の大事な友達なの!」
「それでも連れていく。俺たちはこの子を元の世界に戻さなきゃいけない」
「嫌だ!チヅルちゃん!お願い目を覚まして!チヅルちゃん!チヅルちゃん!」
真鍋千鶴に近づこうとした日野に、ベガは尻尾を振り回せて牽制する。
「くそ…その子が本当に死んでもいいのか!」
「嫌だ!でも連れて行かないで!」
「今ここで死ぬより、永遠の別れでも生きている方が大事だろ!」
「永遠の別れも嫌だ!私はずっとチヅルちゃんと一緒にいるの!チヅルちゃんから離れて!」
日野が舌打ちをする。
「まるで駄々をこねる子供だな…とにかく、真鍋千鶴を回収するぞ」
日野がスマホを取り出し、入枝に連絡を入れる。
「今ここで転送できるか?真鍋千鶴が重症なんだ…うん、わかった、数分後だな」
「日野さん待ってください!このままベガと真鍋千鶴を引き離すなんて!」
「俺たちの仕事は彼女を連れ戻すことなんだ!元の世界に戻れば彼女は幸せに暮らせる!」
日野が鷹明の肩を持ち叫んだ。
違う、と鷹明は首を振る。
「それじゃあベガが死ぬまで苦しむことになります!そんなこと彼女は望んでない!」
「なんでそんなことが言える!」
「考えなくたってわかるでしょ!」
鷹明は日野の手を振り払い、ベガに近づく。
「ベガ!僕も彼女を死なせたくない…彼女は必ず助ける!そしたらきっとまた会える!」
「嘘だ!」
「嘘じゃない!彼女は自らこの世界の扉を開いた!自分の意志じゃなかったにしろ…彼女はまたここに来られるはずだ!君に会うために…君と話すために!」
ベガが動きを止める。ボロボロ落ちる涙が、真鍋千鶴の頬を濡らす。
「また…チヅルちゃんと会える?」
「うん、彼女も、君に『ありがとう』を伝えたいはずだ」
「絶対助けてくれる?」
「必ず助ける」
ベガが、泣きながら、ゆっくりと真鍋千鶴の身体を横たえた。
「あなたの名前を教えて」
「鷹明だ」
「鷹明…あなたを信じる…チヅルちゃんを、死なせないで」
「わかった」
日野が鷹明の肩を引く。
「時間だ」
「…わかりました、ベガ、彼女に『声』を」
ベガは頷いた。
「チヅルちゃん。私ずっと待ってる…うんうん、ありがとう。大好き」
目が覚めると、作業部屋に寝転がっていた。鷹明はすぐに起き上がり、辺りを見渡す。
傍らに、制服を着た真鍋千鶴が横たわっている。
「真鍋さん!真鍋さん起きて!」
鷹明は必死に彼女の身体をゆすった。表立った外傷はなさそうだ。日野の予想通り、元の世界にいた時の状態で戻ってこられた。
「真鍋さん!」
真鍋千鶴が、小さなうなり声を上げながら、目を覚ました。
「…ここは…」
「良かった…目を覚ました…」
鷹明の肩の力が抜ける。真鍋千鶴は飛び起きた。
「ベガ!ここはどこ!?ベガは…どうなったの!?」
「落ち着いてください、真鍋千鶴さん」
日野も、彼女の傍らに腰を下ろした。
「あなたは異世界に飛んで一度死にました。病院に行って検査してもらう必要があるでしょう」
「何それ…どういうこと」
「日野さん待ってください。彼女はまだ」
「彼女の身の安全が第一だ」
日野が鷹明を睨みつけた。
「何言ってるの…それよりベガはどうしたのよ!あの子はどこ!?」
「真鍋さん。ここは元居た世界です。ベガがいた世界から戻ってきました」
真鍋千鶴が鷹明を見る。
「何、どういうことなの?」
「ベガとあなたはダンジョンのステージ100に挑んで攻略した。けどあなたは死んでしまった…あなたを救うために、僕たちはあなたを強制的に連れ戻しました」
「何よそれ…私は…あの子とずっと一緒にいたかったのに…約束したのに!勝って一緒にダンジョンを降りようって!あの戦いが終われば、ようやくあの子と平和に過ごせる日々が待っていたのに!なんで勝手に連れ戻したりなんかするのよ!」
真鍋千鶴が泣き始める。日野が優しく彼女に声を掛ける。
「真鍋千鶴さん、ご両親が心配していますよ、一度ご両親に会ってください」
「うるさい…」
「向こうで過ごした日々も大事だと思いますが、こちらにいるご両親やお友達も大事なはずです。またこちらで日々を過ごせば、ベガのことを忘れられるでしょう」
「…っ!!あんたみたいなやつ!昔から大っ嫌いなのよ!」
傍らに立つ日野を、真鍋千鶴は振り払う。
「私がどれだけあの子を…あの子達を大事に思ってたか知らない癖に!なに?人じゃなかったら、命なんてどうでもいいわけ?代わりなんていない!忘れられるはずがない!なんでそんなことが言えるのよ!」
「ベガはゲームのキャラクター、空想上の生き物です」
「違う、あの子には確かに意志があった!」
「プログラム上、あなたに愛着が沸くよう、設定されていただけです」
真鍋千鶴が口を閉ざし、涙をボロボロと流す。
「やめてください日野さん」
鷹明が日野を睨む。
「あなたも見たでしょう?ベガど真鍋さんが、どれだけ互いを思い合っていたか」
「それもそうプログラムされていたんだよ。ゲームキャラクターより、生きている人間、家族の方がよっぽど大事だ」
真鍋千鶴が日野の頬を叩いた。
「あんたなんかには、私の気持ちなんて一生わからない…」
「俺もわかりませんよ、家族より大事なものなんてないでしょう」
真鍋千鶴が、もう一発殴ろうと、日野に手を挙げた。
その真鍋千鶴の肩を、入枝が叩いた。
「真鍋さん、これ見てください」
その肩を無理やり引き、持っていたスマホの画面を真鍋千鶴に見せる。
「触らないで!」
「あなたをこっちに戻すため、スマホを拝借しました。これはあなたのスマホです。見てください」
スマホの画面には、ボイドラのトップ画面が写っている。その画面が切り替わった。
「…ベガ!」
真鍋千鶴が入枝からスマホを取り上げる。
スマホ画面に、文字が浮かんでいる。
「会話のやり取りが残っています。ここに、ベガがあなたに伝えたかったこと、全てが残っています」
真鍋千鶴はそれを読み、さらに涙を流す。
「ベガ…こっちのセリフだよ…ありがとう…私も、大好きだよ」
目黒が真鍋千鶴を病院へ送っていった。
「日野さん、面倒なんで介入するつもりなかったですけど、さすがの俺もドン引きっすよ」
残された鷹明、日野、入枝が、作業室で向かい合っている。入枝はため息をつきながらそう言い放った。
「事実を言っただけだよ。生きている人間より大事な者なんてないんだ」
「日野さん、そんなんだから、弟さん、帰ってこなかったんじゃないですか?」
そういった鷹明を、日野が睨んだ。
「日野さんが異世界をどう思おうと勝手ですけど、それを相手に押し付けて…最低ですよ」
「…向井君は片岡からは優秀だってきいてたけど、やっぱり東谷さんの言う通り、先輩である俺の言うことを聞かず、勝手なことばかり…君はこの仕事、向いてないんじゃないかな?空想上の世界の者に感情移入してたら、身が持たないよ?」
「…僕はあなたがすごい人だと思っていました…何年かかろうと、【回収者】を説得して、戻った後もちゃんとフォローするって聞いてたから…」
「するさ、今回は急を要したから無理だったけど、時間があれば何年でも彼女を説得したさ」
「違う。あんたは、そうやって自分の思想を相手に押し付けた。何時間も何日も何年もかけて…ねじ込んで、そうやって相手の気持ちを押さえつけて、無理やり連れ戻して来たんだ。そんなもん、拷問と一緒だ」
東谷の時とは違う。東谷の時はこんなに嫌悪感を抱かなかったのに…日野は、嫌いだ。
日野は、ふん、と鼻を鳴らしながら立ち上がった。
「君とはもう、一緒に仕事をすることはないだろうね。僕は疲れたから、もう帰るよ」
日野は一人、部屋を出て行った。
入枝が鷹明の背を撫でた。
「僕は向井さんと同じ考えですよ。例え想像上の世界だろうと、生まれたからには意志がある。よく聞くじゃないっすか、作家さんが話を書いてて、想像通りにキャラクターが動いてくれないって。それって、作家さんが思い描くこととは別に、意志があるってことですよ。ベガは、確かに、今も生きています」
鷹明は乱暴に涙をぬぐった。
「気分転換に、向井さんも食べますか?甘い物」
入枝が差し出したのは、京菓子だ。賞味期限切れの。
「それ…僕が持ってきた差し入れっすよ」
「わかってます、ボケたんすよ」
鷹明が、笑った。
その日、『ボイドラ』のダンジョンクリアボーナスとして、ユーザー全員が所有しているドラゴンに『声』が宿った。エンドクレジットに、ダンジョンクリアした“チヅル&ベガ”の名が書き加えられていた。
真鍋千鶴は、スマホに写るベガをは優しくなでた。ベガは嬉しそうに「くすぐったい」と言った。
真鍋千鶴は、スマホを、ベガを抱きしめる。
「ありがとうベガ。またいつか、一緒におしゃべりしようね」
ベガが、うん、と答えた。
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