お局…お前だけは絶対許さん

 はぁ、と片岡は深いため息をつきながら机に突っ伏した。

「どうしたの祥子ちゃん」

 同じ机で昼食を取っていた橘が心配そうに声を掛ける。

「っていうか橘さん…コンポタと牛丼って組み合わせ…どうなんですか?」

「あら?それを心配してくれてたの?安心して、おいしいわよ」

 橘はとてもおいしそうにコーンポタージュを飲む。

「別に心配してため息ついたわけじゃないですよ…今回の仕事、散々だったなって」

「そんなことないじゃない。【回収者】は無事見つけたし、あなたも鷹明君も怪我無く帰ってきた。とても良い仕事だったじゃないの」

「良くないですよ…悪役令嬢に目星付けてたのに大外れだし…【回収者】見つけるのに時間かかったし…向井さんに励まされたり、守ろうとしてくれたり…先輩として立つ瀬がなさすぎます」

「あなた意外と見栄っ張りで世話好きだもんね…私から見れば、先輩としてとても良いケースを見せられたと思うわ」

「私もそう思いますよ」

 目黒が片岡の隣に座る。彼女の昼食は小ぶりの弁当だ。

「向井さん、仕事終わりに言ってましたよ!「動作一つで【回収者】を見抜くなんて!片岡さんすごいですね!【回収者】の気持ちにも寄り添って、【回収者】にとって最も良い選択肢を与えた…僕もそうなれるよう頑張ります」って!」

「そもそも…向井さんが「ヨゾラに違和感がある」って報告してくれた時、ヨゾラが浜村だと気づいていれば…懇親会直前で彼女の意志も変わらないと判断してあの世界に残しましたが、ヨゾラと接触した時に説得できていれば、彼女はこっちに帰ったかもしれないのに…」

 励ましが通じない。これはダメね、と橘と目黒が肩を落とす。


 こんな時…ねこは、描田ならどう慰めるのだろう…明るい彼女は、どんな言葉をかけるのだろう。

「祥子ちゃんはよく頑張ったよ!頑張っただけで偉いんだよ!」

 片岡の脳裏に、そう励ます描田の姿が思い浮かぶ。

「祥子ちゃんはいつも!ずっと頑張ってるよ!」

 そうかな、と片岡はゆっくりと顔を上げ、天井を仰いだ。






 片岡の母親は少し変わった人だった。自分が前世、お姫様だと言っていた。歳も気にせずヒラヒラな服でキラキラなメイクをしていた。母親にぞっこんだった父親はもちろんそれをとがめることはない。片岡の両親は常に奇異な目で見られていた。片岡自身も見ていた。両親と外を歩くのが嫌だった。服を選ぶときは地味な物を選んだ。

 しかし本当は、ヒラヒラキラキラしたものが好きだった。前世がお姫様だとは思わないが、普段地味な物を選んでいたので、変身願望があった。社会人になり、一人暮らしを始めるようになってから、休日家でこっそりヒラヒラの服を着て過ごした。着るだけでは物足りず、作るようにもなった。気づいたらコスプレイヤーになっていた。ひっそりとSMSに写真を掲載してみたり、仲間と撮影会に行ったり…。会社では地味におとなしくコツコツと仕事をして、休日はコスプレをして、それなりに楽しい社会人生活を送っていた。

 ある問題を除いては…。


「片岡さん、ちょっと」

 このクソババアさえいなければ。

 クソババアこと富田。所謂お局様だ。この時代にはかなり希少価値の高い、昔ながらの嫌味タラタラで厚化粧の先輩だ。たかが先輩のくせに、上司のような素振りで色々と文句を言いに来る。

 給湯室に呼び出された片岡は、ひっそりとため息をついた。数年会社員をしてわかったことは、片岡のような地味でおとなしい性格の女性ほど、お局に目を付けられやすい。何も言い返さないお人形にでも見えているのだろうか?羨ましい目だ。お前もお姫様のつもりか?

 社会人なりたての頃は、この時間が怖くていやで辛かったが、今は面倒の一言に尽きる。

「あなたの後輩の伊藤さん、ちゃんと仕事出来てないわよ。あなたちゃんと教育してるの?」

「私、直接教育してないんで、教育係はリーダーの田村さんですよ」

「だけどあなたは先輩でしょ、あなたがちゃんと教えないから、私にも田村さんにも迷惑がかかるのよ」

「はいわかりました。忙しいので仕事に戻ります」

 ちょっと、と背中に声を掛けられたが、聞こえないふりをした。反論すると話が長くなる。適当に返事して適当に逃げるのが一番いい。こうして何度かのらりくらりと交わしているうちに、クソババアに呼び出される回数もだいぶ減ってきた。代わりに…。

 デスクに戻ると、今度は後輩の伊藤が声を掛けられていた。伊藤は明らかにおびえる様子を見せながら立ち上がり、富田の後についていった。可哀そうとは思うけど助けない。助けに入ったら標的を片岡に変える。面倒この上ない。きっと伊藤も1カ月そこそこで辞めるだろう。こうして何人、富田の所為で辞めてきたのだろう…。富田がいなければ、新人が育って「この部署は新人が育たなくて常に忙しい」状態が緩和していただろうに。その事実に誰もが気づいているが、長年勤めているため、まぁまぁ仕事の出来る富田を除け者にすることも出来ず、みな沈黙を保っている。気づけクソババア、皆お前が可愛そうで、放っておいてあげてるんだ。お前の“教育”と言う名の“甘え”に応えてやってるんだ。

 クソババアの言葉が刺さることはなくなったが、ふと思い出して腹が立つことはある。私もそろそろ辞め時かな、と片岡は思っていた。


 一息つくために、ポーチを持ってトイレに立つ。トイレの鏡の前で、ポーチからコンパクトを取り出した。薄ピンクのキラキラしたコンパクト。最近買った物だ。コスプレは好きだが化粧は苦手なので、化粧品は安物ばかりだったが、今回はちょっと奮発した。これは、幼少時代ヒットした『魔女姫 アクリル』と化粧メーカーがコラボして作った商品だ。実際、主人公のアクリルが使用していたコンパクトと同じデザインになっている。これを使えばアクリルになれる…わけではない。けど、持っているだけで心が躍る。使うと高揚する。化粧がこんなに楽しいのは初めてだった。

 軽く化粧を直してデスクに戻る。化粧直しをするようになったのも、このコンパクトを買ってからだ。

 片岡さん、と隣のデスクに座っている田村が声を掛けてくる。彼女は富田と同期だが、彼女と違って、とても良い先輩だ。

「最近、片岡さん化粧頑張ってるね」

「え?そうですか?」

「うん、前より肌色明るくて、すごく似合ってるわ」

 少しニヤけてしまう。幼少期憧れたアニメキャラのコンパクトを持つだけで、こんなに嬉しくて、こんなに楽しくなるものなのか…。人の創造物とはいえ、すごいな、と思う。こんな小さなことで、違う世界に来た気分になる。自分が変わったように思える。地味に過ごしているが、本当は可愛い物やキラキラした物が大好きな自分が、可愛くてキラキラした物を持っていいんだと思える。今の片岡にとって、大事なものだった。


 なのに…数日後、ポーチを見たら無くなっていた。トイレで使ったときに忘れたのか…落としたのか…。限定品だったのでもう販売していない。販売期間中は大量生産されたので、フリマアプリを見れば原価でも販売されていたが、自分が使っていたものに愛着を感じていたので、買う気にもなれなかった。

 コンパクトを無くして、またいつもの世界に戻ってしまった。もともと変わりない世界だったが…富田の叱責もいつもに増して鬱陶しく感じる。日々が楽しくなくなる。何もしたくなくなる…。


 あのコンパクトが、片岡にとって異世界の扉だった。




 それから数カ月後、案の定、伊藤は来なくなった。新人が来なくなるのはいつも通りだったが、今回は少しわけが違った。始業時間になっても彼女が出社せず、上司が電話してもつながらない。緊急連絡先の彼女の母親に連絡を取ると、仕事に行ったっきり戻ってないと、大層心配していた。それから、会社にも実家にも彼女は現れず、行方不明として警察が捜索することになった。

 会社では「富田にいじめられた末、姿を消したのでは?」と噂が流れた。その噂が富田にも届くと、さらに彼女の性格は悪くなった。片岡への当たりも強くなった。片岡は最低限の挨拶と会話以外は無視を決め込んだ。しかし無視しても罵倒叱責が飛んでくる。自分も消えてやろうかと思った。消えて、違う世界に行けたらと思う。


 片岡が本気で退職を決めたころ、伊藤がひょっこりと戻ってきた。

「皆さん、本当にご迷惑をおかけしました」

 久しぶりに出社した伊藤が社員に深々と頭を下げる。

「いいのよ、無事でよかった」

 田村が安堵のため息をつきながら、頭を下げる彼女の肩を優しく手を置いた。それを見た他の社員も頷いた。責める者は誰もいなかった。新社会人で、何もわからず大変な時期に、罵詈雑言を浴びせられれば誰でも消えたくなる。その気持ちは誰もが理解していたからだ。たった一人を除いては…。

 案の定、謝罪を終えた伊藤に、富田が声を掛けた。さすがに助け舟を出した方が良いだろうか…。片岡がそう思っていると、伊藤がおもむろに富田のデスクに向かった。

「あなた!何してるの!私の話聞いてるの!?」

 富田の言葉を無視し、富田のデスクの一番下の引き出しを引っ張り出した。デスクを壊さん勢いで…。その引き出しを高々と持ち上げ、ひっくり返した。

「ちょっと!やめなさいよ!」

 富田が血相を変えて止めようとするが、それより早く、引き出しに入っていたものが床に転がった。転がったのは、大量の化粧品だ。

「え、なにこれ…」

 騒ぎを聞き、駆け付けた女性社員がしゃがんで化粧品を見る。

「これ…私のリップ!無くしたと思ってたのに!」

 その一言をきっかけに、他の女性社員も集まってきた。これ私の!私の物もある!と、みなが化粧品を拾っていく。そして、みなの視線が富田に集まった。

「な、何するのよ伊藤さん!人のデスクの中身を暴くなんて!社会人として以前に、人としてどうかしてるわ!」

「揚げ足取らないでくださいよ、いい歳してみっともない」

 富田が絶句する。周りの社員も絶句した。当たり前だ、以前の彼女なら、あんな風に富田に言い返すことなんて、できなかったのだから。

「気づいてる人は気づいてましたよ。でも怖くて誰も言えなかったんですよ。あなたが、こっそり女性社員の化粧品盗んでたこと。なんでこんなことするか知らない…というか興味ないですけど、立派な犯罪ですよ。みんなに謝ってください」

「何言ってるの…知らないわよ!濡れ衣よ!誰かが私のデスクに入れたのよ!」

「誰がそんなことするんですか?」

「知らないわよ!とにかく私はやってないわよ!」

「だから、気づいたのは私だけじゃないですよ、盗んでるところ見た人だっているし、ここに化粧品が入ってることを知ってる人だっていた。みんな言わなかったんですよ。あなたが怖くて、あなたが哀れで。でもね、いい加減やめてくださいよ。もう一度いいますけど、犯罪ですよ?」

「証拠がないじゃない!」

 二人のやり取りを、片岡はぼんやりと聞きながら、富田の足元を見る。彼女の足元に転がっているコンパクトは、片岡が愛用していた『魔法姫 アクリル』のコンパクトだ。間違いない、片岡が使っていたものだ。彼女が…盗んでいたのか。私の大事なもの。私の、世界を変えてくれいた大事なもの。


 伊藤との言い争いに、とうとう返す言葉もなくなってきた富田は、歯ぎしりをしながら踵を上げた。

「こんなもの!」

 そして、偶然足元にあった片岡のコンパクトを踏みつぶした。パリン、とコンパクトが割れた。

「やめてください!誰の大事なものかわからないんですよ!」

「仕事も出来ない癖に化粧ばかりするやつの物なんて大したものじゃないわよ!こんなもの!化粧する時間があったら仕事しなさいよ!」

「自分は厚化粧しといてよく言いますよ!その化粧取ったら何も言えなくなるくせに!足をどけてください!」

「こんなもの!こんなもの!」

 何度も何度も踏みつける。痛い、自分が踏まれているようだった。痛い…痛い痛い痛い痛い!


 片岡の頭がカッと熱くなった。

 大股で富田に近寄り、彼女が踏んでいたコンパクトを取り上げた。ふらりとよろめいた富田に、壊れたコンパクトを握った、その拳で彼女の頬を殴った。

「え、片岡さん?」

 周りが絶句するなか、伊藤だけが声を出した。その声に応えることなく、殴られて倒れた富田の頬を、もう一度殴りつけた。

「あんたに!何がわかるのよ!」

「や、やめ…」

 もう一度殴る。コンパクトの破片が掌に刺さり、片岡の手から血が流れ落ちていたが、それにも全く気付いていない。

「あんたの言葉にどれほど傷ついたと思ってんの!どれだけの子が泣いたと思ってんの!私がどれだけ苦しんだと思ってるの!どれだけみんながあんたの行為を許してやったと思ってんの!何も知らない癖に!」

 もう一度殴ろうと手を振り上げると、その手を伊藤が止めた。

「やめてください片岡さん!」

 止められて、体の力を抜いた。ふぅふぅと息が荒くなっていたことに気づく。手が痛いことに気づく。

「うぅ…許さない…」

 富田が殴られた頬を抑えながら片岡を睨んだ。微塵も怖くなかった。全てを暴かれ、信頼も威厳もなくなった彼女が、とても哀れに見えた。




 その場で片岡は上司に会社を辞める旨を伝えた。上司は頷いた。このまま有給全部消化します、と帰り支度をした。彼女に背に「訴えてやる!絶対許さない!」と叫ぶ富田を無視して、片岡は会社を出て行った。

 翌日、伊藤から連絡があった。田村に頼み込んで片岡の連絡先を聞いたらしい。片岡の住むマンション近くのカフェで少し話すことになった。

 カフェにはすでに伊藤と…知らない女性が椅子に座っていた。

「片岡さん、手、大丈夫ですか?」

 包帯でグルグル巻きにされた手を見て、伊藤が心配そうに声を掛ける。片岡は頷いた。

「伊藤さん…ごめんなさい」

「え?」

「あなたが富田さんに苦しめられてるの…知ってたけど助けなかった…どっかに逃げるほど、苦しんでるなんて思わなかった」

「いいんです。気にしないでください。消えたのは私の都合です。私も片岡さんの立場だったら、何もしなかったと思います。それに…片岡さんが昨日代弁してくれたじゃないですか。片岡さんがやらなかったら、他の誰かが叫んでたし、殴ってたかもしれない。あの後、富田さんはずっとブツブツ言ってましたけど、皆すっきりした顔してましたよ」

「私、訴えられるのかな」

「それはないと思いますよ。あなたを訴えるってことは、富田さんが化粧品盗んでたことも暴かれるし、そもそもそんなこと出来ないと思います。富田さん、家では旦那さんにひどい扱い受けてたらしくて…、富田さんのために、弁護士を雇うような人ではないと思います。多分その腹いせで会社であんな態度になってたんだと思います。ま、家でどんな扱い受けてても、被害を受けた私達には関係ないことですけど」

「ほんとそれ!自分がやられたからって他人に酷いことしていいわけないですよ!」

 伊藤の隣に座っていた謎の女が頷いた。

「で、その人誰ですか?」

「私を助けてくれた人です。描田 雫さん」

「ねこちゃんって呼んでください!」

「ふぅん、で、ねこちゃんはなんなんですか?」

「おう…ほんとに初対面でねこちゃんって呼ばれたの初めてです」

「自分で言ったんじゃないですか」

 そうですけど、と描田は笑った。


 描田が怪我をしている片岡の手を指さした。

「あなたが大事にしてたコンパクト、私も同じの持ってます。『魔女姫 アクリル』私も好きでした!」

「私も好きでした。私たちの世代の女の子、たぶんみんなアニメ見てましたよね」

 伊藤も同意する。

「だから、片岡さんもアニメとか漫画とかも好きなのかなって」

「まぁ、それなりには」

「さらに!片岡さん無職なんですよね!」

「まぁ、有給消化したら、無職ですね」

「じゃあ私の働いてる会社に就職しませんか?」

「へ?」

 描田が自信満々に名刺を差し出した。

「株式会社HOME。私が働いてる会社は、異世界転生した人を連れ戻すことを仕事にしています」

「異世界転生?いや怪しすぎるでしょ?もしかして私宗教勧誘されてる?」

 いいえ、と伊藤が首を振った。

「片岡さん。私は、描田さんに連れ戻されたんです」

「連れ戻された…まさか伊藤さん、あなたが行方不明になったのって…異世界転生してたからって言いませんよね?」

「まさにその通りです」

 伊藤が苦笑いした。


「富田さんに毎日嫌がらせを受けて…辛くて辛くて、会社の屋上から飛び降りたんです。私」

 知らなかった…自分の働いてた会社から、この子が…人が死のうとしていたこと…。もし、そのままこの子が死んでいたらどうなっていたのだろう…ぞっとする。

「気づいたら…魔法を使える世界に転生してました。まさに『魔法姫 アクリル』みたいな世界に…。それから毎日楽しくて…ずっとこの世界にいたいと思いました。でもずっと、こっちに残してきた両親のことを思っていました。心配してるのかなって、お母さん泣いてないかなって、お父さん必死に探してるのかなって…そんな時、描田さんが迎えに来てくれたんです。戻っても必ず私が支えになるって…辛いこと、嫌なことは嫌だってちゃんと言っていいんだって…殴りたい人は殴っていいんだって…だから、もし両親が心残りなら帰りましょうって…。あの世界は本当の楽しくて幸せで…正直帰りたくないって思ってたけど…戻ってきました。富田さんを殴るために…まぁ、片岡さんに先越されちゃいましたけど。でもそれ以上に、両親が泣いて喜んでくれて…戻ってきてよかったって思いました」

 涙ぐむ伊藤の背中を、描田がなでた。


 描田が片岡をまっすぐに見つめる。

「昨日のこと、伊藤さんから聞いて、片岡さんに会いたいって思ったんです。直観ですけど、片岡さん、絶対この仕事に向いてるって思ったんです!だから伊藤さんを介してこうして会いに来ました!」

 描田が立ち上がる。


「片岡さんは傷ついた人を助けられる人です!だからぜひ!一緒に働きましょう!」


 そういう、目をきらめかせる彼女の言葉は、濁り一つ感じない、嘘偽りが微塵もない、あまりに清らかな言葉が、片岡の心を動かした。







 突如駆け巡った走馬灯を、片岡は首を左右に振って振り払った。まるでもう、描田に会えないみたいではないか。

 彼女は必ず帰ってくる。いつもみたいに、笑顔で「今回めっちゃ時間かかっちゃいました」と笑いながら【回収者】と一緒に…。


 おはようございます、とさわやかな声がフロアに響いた。向井だ。

「おはよう鷹明くん」

「おはようございます橘さん。レポート持ってきました」

「お疲れ様」

「あ、片岡さんも来てたんですね。目黒さんも、おはようございます」

「おはようございます向井さん、体調はどうですか?」

「はい、問題ありません」

 目黒の言葉に、鷹明は笑顔で返した。


 そして、片岡に目を向けた。笑顔が消え、申し訳なさそうに眉を寄せている。

「あの、片岡さん…すみませんでした!」

 鷹明が頭を下げる、え、と片岡は目を見開いた。

「なんですか?謝罪されるようなことされた覚えありませんけど」

「レポート書いてて気づいたんですけど…ヨゾラと接触したのは俺だけなのに、ヨゾラが浜村照美だと気づけませんでした…あの時気づいてたらあんな苦労しなかったかもしれないのに…」

 え?そこ謝るとこ?と片岡は首をかしげる。

「謝ることないですよ、あなたまだこの仕事2回しかやってないんですよ?気づけなくて当たり前です」

「でも…」

「新人とは、先輩や上司のミスを見て学ぶものです。自分が同じミスをしないように。だから謝らず、学んでください」

 鷹明が頭を上げ、今度は笑顔で「はい!」と答える。


 ふふ、と橘が笑う。

「鷹明くんも祥子ちゃんもすごいわね」

 あのクソババアを見てきたから、新人にやってはいけないことはなんとなくわかっている。無駄に怒らない責めない泣かせない。そう思えば、少しばかりはあのクソババアも役には立っているのか…。いや、あのクソババアがいなければ、普通に楽しい生活送ってた気がする。やっぱり許さない。

 しかし…鷹明も確かにすごい。本当に新社会人なのだろうか?理解が早くて感も良い。もしかしたら見た目より、苦労してきているのかもしれない。鷹明は…描田を彷彿とさせる、優秀な新人だ…。だからこそ。

「向井さん、無理しないでくださいね」

「え?」

「無理して、先走って一人で仕事するなんて言い出さないでくださいね。ゆっくりじっくり学んでください。必要なら、私がいくらでも付き合います」

「…はい、ありがとうございます」


 二人のやり取りを見ながら、目黒が橘の隣に移動した。

「あの二人、すごくいい先輩後輩になりそうですね」

「そうね、ねこちゃんが嫉妬しそう」

「確かに」

 橘と目黒がクスリと笑った。




 片岡は席を立ち、トイレに向かった。ポーチからコンパクトを取り出す。描田から譲り受けたものだ。

「それ、私が持ってるより、祥子ちゃんが持ってる方がいいかなって、あ、これから祥子ちゃんって呼ぶね!」

 そう言って渡してきた日のことを思い出す。

「…いつまでふらついてるんですか…早く、帰ってきてよ」

 片岡は静かに、泣いた。

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