どうかクソ野郎だけが不幸になりますように
それからはまさに地獄だった。毎日、代わる代わる人の観察…夜になれば名簿や学力調査…何をやっても進展を感じない。誰が浜村照美なのか全くわからない。
片岡の話では、そもそもこの世界に転生していない可能性や、この世界においても故人である可能性もあるらしい。片岡と入枝のやり取りでわかったことは、現実世界とこちらの世界の時間の進み方はほぼ一緒らしいので、調査期間最長である1年…存在しない人物を、異世界で探し続けなければならないかもしれない…胃が痛くてしかたない…でもやるしかない。自分が病んでいる場合ではないのだ。
「向井さん、朗報です」
片岡にもさすがに疲労の色が見え始めたころ、彼女は少しうれしそうに話した。
「3日後に、懇親会があるそうです」
「ほんとですか!」
思わず声が大きくなってしまった。片岡にシーっと叱責される。今は昼休憩中。人のいない教室から、ソラリを監視している最中だった。
懇親会は、年に一度開催される、学年別の催し事だ。学年の生徒同士がより仲良くなるため、パーティ形式で行われる。懇親会は小説のクライマックスである、マリアとヨゾラの婚約破棄、ヨゾラがソラリにプロポーズする日でもある。
「ストーリー通りになるにしろ、ならないにしろ、小説内において、この日は大事な転換点です。必ず何かしら起こります」
「ですね」
期待しすぎてはいけないとわかっていても、少し心に余裕が出来た気がする。ストーリー通りなら、やはりソラリの可能性が高くなるし、それ以外の結果が持たされたら、ストーリーを返還させた本人が【回収者】という結論に至る。期待しない方が無理だ。
心躍らせながらソラリの監視を続ける。学園の中庭の隅。彼女はそこに膝をつき、何か地面に話しかけている。
「あそこ…確かソラリが可愛がっていた、学園で飼っていたインコのお墓ですよね」
「老衰ということで弔われましたが、実際はマリアの手に物によって殺害された、かわいそうな子ですね」
それもストーリー通りか…。ソラリの傍らに誰かが腰かけた…ヨゾラだ。
「逢引ですかね、汚らわしい」
片岡の声がいつもより刺々しい…彼女も相当疲れているのだろう…仕方ない。
ヨゾラとソラリが何か会話したのち、ヨゾラがお墓に手を合わせた。それを見た片岡が、目を見開いた。
「そんな、まさか」
「どうしたんですか?片岡さん」
片岡が目を細める。
「見つけましたよ。浜村照美」
鷹明は何も言えず、キョトンとしている。
懇親会当日。パーティ会場はドレスアップした生徒たちであふれかえっていた。いつもの制服とは違い、華やかでにぎやかだ。
片岡と鷹明は、懇親会に向かうため、馬車を走らせていたとある生徒の前に姿を現した。
「誰だ貴様ら!」
「ヨゾラ様とお話があります」
片岡が凛々しい表情で叫ぶ。
「何者だ!ヨゾラ様に仇名すものか!」
馬車を引いていた家臣らしき男が馬から飛び降り、剣を抜く。鷹明はゴクリと唾を飲み込んだ。剣を持った人と戦うことになるか…普通生きていて、剣を持った人と戦うことなどありえない…。
しかし、鷹明はフッと息を吐き出し、片岡の前に一歩出る。
「向井さん…」
片岡の予想通りなら、戦うことすらないはずだが…それも確実ではない。【回収者】の説得が出来ない自分には、片岡を守ることしか、出来ることはない。
「剣を引け」
片岡の思惑通り、ヨゾラが馬車から出てきて、家臣を制した。内心ホッとする。片岡の予想通り、ヨゾラが仲裁に入った。
「しかしヨゾラ様」
「友人だ。ここからは彼らと一緒に懇親会に向かうよ」
「しかし…」
「大丈夫だ。問題ない」
ヨゾラが、硬い表情で、こちらに近づいてきた。
「話しながら歩こうか、タカアキ君」
鷹明はうなづいた。
「やはり、お二人とも日本から来たんですね。マリアから聞いた時、正直心臓が止まるかと思いました」
ヨゾラは歩きながら話した。顔を伏せ、今にも泣きだしそうだ。
「浜村照美さん。間違いないですね?」
片岡が聞くと、はは、とヨゾラが…浜村が笑った。
「名前まで知ってるんですね」
「私達は異世界転生者を見つけて連れ戻す仕事を請け負う株式会社HOMEから派遣されてきました。あなたの回収を依頼したのは旦那様です」
「なるほど、そうだったんですね…主人が…そりゃそうですよね、あんなひどくボケたおばあちゃん。彼も娘も扱えるわけないですもん…私がいなくなったら困りますよね」
それにしても、とヨゾラは顔を上げずに続けた。
「どうして…ヨゾラが私だとわかったんですか?」
「数日前、インコのお墓で手を合わせているのを見ました。お墓の前で両手を合わせるのは、日本人特有の行動です」
「すごいですね、そんな小さなことでわかっちゃうんですね。それで…私は戻されるんですね」
「同行していただければ助かります」
「わかりました」
浜村が立ち止まり、夜空を見上げた。
「夢だったんですね…やっぱり。夢は、覚めなくちゃだめですもんね」
そう言う彼女は、泣いていた。
「いいえ」
そう、片岡が首を横に振った。
「え?」「え?」
鷹明と浜村の声が重なった。二人とも片岡を見る。片岡は懐から紙を一枚取り出した。
「私たちがあなたを見つけたこと。そしてあなたの意志で元の世界に帰らないこと。間違いがなければ、この書面にサインしていただければ、帰る必要はありません」
「どういうことですか?」
「確かに私達の目的はあなたを連れ戻すことです。しかしご同行いただけない場合も加味し、こういった書類を制作しておいります」
片岡は、紙とペンを浜村に差し出す。
「私はどちらでも構いません。戻るも戻らないもあなたの意志の通りに…」
浜村は目を見開いたまま動かない。と思えば、首を左右に振り、出来ませんと答える。
「私は…この世界を…違うものに塗り替えようとしていた…やってはいけないことだとわかっていたのに…あの子を…マリアを、自分の手で幸せにしようとした…」
浜村の目からボロボロと涙が落ちる。
「傷ついたあの子を…周りを傷つけることしかできなくなった彼女を…救ってあげられるのは、ヨゾラだけだと思った。もし自分がヨゾラなら、彼女を愛して、幸せにしてあげるのにと何度も思った…そして私はヨゾラになる夢を見た。だから、せめて夢の中だけでも、あの子を救おうと…この懇親会で、あの子に愛してると、結婚しようと…伝えようと…」
浜村が膝から崩れ落ちる。
「人生を自分の手で変えられる人間なんて…そんな強い人間いないのよ!誰も助けてくれない!でも、期待せずにはいられない…義母さんが早く死ぬことを期待した…旦那がいなくなることを期待した…娘が助けてくれることを期待した…けど何一つ叶わなかった…苦しい人生からは誰も救ってくれないのよ!だから…手を差し伸べる人が必要なのよ!」
片岡も彼女の前に膝をつく。
「あなたの言う通りだと思います。苦しみからは誰も救ってくれない。でもあなたは救われた。この世界に来ることで…苦しめられてきたとはいえ、一緒に生きてきた家族に情もあるでしょう。簡単に“浜村照美”を捨てることなど出来ないと思います。しかし、今、浜村照美ではありません。この世界は、あなたの知る『空色の君へ』に登場するヨゾラでもありません。この世界を必死に生きる一人の人間です。情を捨てたらきっと後悔します。でもマリアを捨ててもきっと後悔します。私はあなたがどちらを選んでも責めたりしません。あなたがどのような人生を歩んでも責めたりしません」
片岡は、もう一度浜村の前に紙とペンを差し出した。
「あなたは、自分が選びたい方を、もうわかっているはずです」
浜村がサインした書類を受け取った。
「では私たちは帰ります。どうかマリアとお幸せに」
「ありがとうございます」
浜村は深々と頭を下げた。
「あと、少し調査にご協力ただきたいのです。質問してもよろしいですか?」
「えぇ、なんでも聞いてください」
「この世界に、ほかに転生者がいると聞いたことはありますか?」
「いいえ、私自身以外は知りません」
「では“ねこ”と呼ばれている人を知りませんか?」
ねこ、と鷹明は思わず繰り返す。行方不明になっている描田のことか?
「いいえ、知りません」
「そうですか、失礼いたしました。では」
片岡が深々と頭を下げているのを見て、鷹明も頭を下げた。そして二人は、静かにヨゾラの元を去っていった。
「…マリアと浜村…ヨゾラは、幸せになれるんですかね?」
「さぁ…小説ではそのような展開はなかったので、幸せになれると断言はできませんが…マリアにとって、ヨゾラがかけがえのない人とのなるのは確かでしょう」
「というか…【回収者】の意志で残ることも出来るんですね。知りませんでした」
「前のケースで聞かなかったんですか?あ、そうか東谷さんだからか…。東谷さんは書類があることすら【回収者】に言わないでしょうね。【回収者】を連れて帰れなかった場合『回収費』は受け取れませんからね。回収した方が給料はいいんですよ」
それに、と片岡は続ける。
「回収に失敗したら、その旨を依頼者に報告しなければなりません。ほとんどの依頼者は「はいそうですか」と納得していただけませんので、給料が上がらないうえに、本当に大変なのはこれからですよ」
「え?僕もその場に同行するんですか?」
「当たり前でしょう?研修とは言え、あなたも回収に行った【捜索組】の一員なんですから」
「うぅ…心臓が痛いです」
「これも経験ですよ、さて、この辺で帰りましょうか」
学校から少し離れた茂みに、片岡が真っ白なシートを広げた。
「ここへ飛び込みますよ」
「はい」
鷹明は頷き、シートに飛び込んだ。
「以上が調査報告となります」
片岡は浜村宅にて、浜村照美の夫である浜村修司と、娘である浜村一美に調査報告をした。報告中、浜村修司が怒りで震えているのは誰の目から見ても明らかだった。
「ふざけるな!連れ戻せなかっただと!この調査にいくら金をかけたと思ってるんだ!」
浜村修司が怒鳴りながら立ち上がった。浜村一美は顔をしかめながらスマホをずっと触っている。片岡は全く動じない。鷹明は少し震えている。
「【回収者】を連れ戻せないケースもご説明いたしましたが」
「お前らの失態だろ!今から無理やりにでも連れ戻してこい!でなければ一銭も払わん!そもそもこの同意書も偽物だろう!妻の筆跡を真似てお前らが作ったんだ!」
「では筆跡鑑定を依頼しますか?」
「そうやってまた俺から金を巻き上げる気だな!ぼったくりだ!訴えてやる」
「どうぞご自由に、その場合、私達も弁護士を立てます。【回収者】を連れ戻せない場合でもお支払いしていただくことは、契約前にちゃんと説明しましたし、同意もいただいております」
「黙れ!お前ら!今ここで土下座しろ!「浜村照美を連れ戻すことが出来ず、申し訳ございませんでした」と!俺が今どれだけ苦労してると思ってるんだ!照美がいなくなって、母の世話をしながら仕事して…俺がどれほど苦しんでると思ってる!どいつもこいつも!クズばっかりか!何してる!早く土下座しろと言っている!」
怖い…めちゃくちゃ怖い…。鷹明は何も言い出せなかった。言葉でここまで威圧されるのは人生で初めてだ。こんなに恐ろしい物なのか…。相手が言っていることはめちゃくちゃなのに、何も反論できない。早く逃げたい。さっさと土下座してこの家を飛び出したい。
「マジむり」
その言葉と、ため息が、リビングに静かに広がった。今まで何も発してこなかった浜村一美が、しゃべった。
「何苦労してるみたいなこと言ってんの?お母さんいなくなってから、おばあちゃんの世話、私にほぼほぼ押し付けてるくせに…こういうのは女がやるものだって。お父さんがそんなんだから、お母さん帰ってこなかったんでしょ?少し考えたらわかるじゃん。クズはどっちだよ」
娘を見下ろす浜岡修司の顔が真っ赤になる。これは…やばい!少しも動かなかった鷹明の身体が、バネで押し出されるように動いた。浜村修司が振り上げた腕を、掴んでいた。
「やめてください!」
「うるさい黙れ!お前には関係ないだろ!」
浜村修司はその腕を振り払おうとする。鷹明も必死にしがみついた。
殴られそうになっていたことに気づいた浜村一美が、スマホを投げ出し、立ち上がって浜村修司と向き合う。
「何よ偉そうに!あたし知ってんだからね!うちの生活費!おばあちゃんの年金使ってるの!偉そうな顔してるけど!あんたのひっくい給料少しももらわずに!お母さんどれだけ苦労したと思ってんの!お父さんが生活費ちゃんと家に入れてたら!おばあちゃんの年金でデイサービスとかも使えたのに!」
「あんなものは金の無駄使いだ!」
「じゃあお母さんのやってきたことって無駄だったの?あんたの母親を介護するのが無駄だったの?自分の母親の世話が無駄って、あんたほんと最低じゃん!」
「うるさい!お前だって俺がいなきゃ生きていけないんだぞ!」
「よく言うよ!おばあちゃんの介護始まるまではお母さんがパートで働いて、あたしの学費とかお小遣いとかくれてたのだって!全部知ってるんだから!あんたはただ自分のためだけに金使って、あたしたちに何もしてこなかったくせに虚勢張って!ほんとクズだよ!」
痛い…浜村一美の言葉一つ一つが重くて痛い。浜村照美は、今までどれだけ苦しい思いをしてきたのだろう…。愛情だけで、ここまで家族を支えられるものなのか?たった一人の愛情が、これほど重い物を背負い続けて…潰されてすり減らされて…。義母や夫を恨んでも…娘に見放されても…愛情と言う気持ちだけで、必死に立って歩いて生きて…。この世界に戻らなかった彼女を、誰が責められるわけもない。
パン、と手を叩く音がリビングに響く。一瞬、みな何も言わず、シンとなった。片岡が咳払いする。
「とりあえず、今日は失礼いたします。今後どうするか、また後日ご連絡ください。向井さん、帰りましょう」
「え、でもこのまま帰るのは…」
「浜村一美さん、駅の近くまでお見送りしていただけませんか?」
「…いいけど」
クソ、と浜村修司は悪態をつきながら、鷹明から腕を振りほどいた。
3人で家を出る。
「あの、マジですみませんでした」
浜村一美が頭を下げる。
「お金、お父さんが払わなかったら、私が払います…時間かかるかもしんないけど、バイトして稼ぎます」
「ご心配なく、今回の依頼人は浜村修司です。彼に支払い義務がありますので、支払われない場合、給料の天引きや財産の差し押さえも可能ですので…浜村照美が戻らなかったのは、どう考えてもあのクソ夫の所為ですから、あなたが負う責務はありませんよ」
「クソ夫…あはは!それあいつの前で言えばよかったのに!マジクソだよね!」
浜村一美が笑っている…。そして、泣いている。
「あたし…お父さんにあんなに文句言ったの初めて…お父さん小さい時からめっちゃ怖くて…何も言えなくて…お母さんが大変なのわかってたけど…お父さんに何か言われるのが嫌で、何もしなかった…お母さん、帰ってこなくて当たり前ですよね…こんなことになるんだったら…お母さんと一緒にどこかに逃げちゃえばよかった…」
手で乱暴に、何度も涙を拭いている。
「あのようなクソ親父です。あなたが何も出来ないのは仕方のないことです」
「あの…お母さん…別の世界にいるんですよね?そっちでは幸せになれそうでしたか?」
「…はい、運命の人と出会って、プロポーズしようとしていました。お幸せになることでしょう」
「そっか、ならいっか。あーあ!でも私はどうしよっかな~あの家に帰りたくないなー私も異世界転生したいなー」
「児童虐待をでっち上げて、クソ親父を警察に突き出すのはどうでしょう?」
「あ、それいいかも!現にお父さんにあたしの私物何個か壊されてるし、今日も殴られそうになったし」
「でっち上げではなく既成事実があるじゃないですか、今から警察に飛び込みますか?」
「賛成!話長くなりそうだからジュース買ってく!」
「そんなカフェ行くのりでいいんですか?」
「いいの!あ、お兄さん!さっきはありがとうね!守ってくれて」
目を真っ赤にしながらも、浜村一美はキラリと輝くような笑顔を見せた。
浜村一美を交番に送り届け、片岡と鷹明は会社へと向かう。
「あの一家、どうなるんですかね」
「さあ、個人的には、浜村一美には幸せになってほしいですけどね」
「同感です」
鷹明は足元を見ながら歩く。顔があがらない。
「どうしました?向井さん」
「いえ…僕たちは、あの家族を不幸にしてしまったのではないかと思って」
浜村照美の回収をあきらめなければ…一度転生し、違う人生を歩んだ彼女なら、あの父親をどうにか出来たかもしれない。あの父親さえ何とか出来れば、義母の介護から解放され、娘と幸せに暮らしていたかもしれない。そう思わずにはいられない。
「…浜村照美は、トラック事故ですでに死んでいます。私達の介入があったにしろ、なかったにしろ、あの家族の運命は、浜村照美の死によって大きく変化しました。私達の行動で運命が変わることはありません。どのような結果が突きつけられても、私達は見守ることしか出来ません。それでも私は、この仕事で誰かの心を救えると信じています」
片岡が向井の背中をポン、と叩いた。
「頑張ってください、あなたはねこさん以来の、期待の新人です」
「ありがとう…ございます」
地面に涙が落ちる。これから、もっと多くの人の涙をみることになるのだろう。そのたびに苦しむことになるのだろう。それが、この世界で…いや、どこの世界に行っても、それが生きるということなのだろう。なら、一人でも多くの【回収者】を救いたいと、鷹明は思った。
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