悪役令嬢は結婚しない
鷹明が初仕事を終えて10日ほど経った。鷹明は久しぶりに会社に顔を出し、目黒と話している。
「え?もう仕事いけるんですか?」
「はい、今はとにかく、いろいろ経験したくて」
日野達が前に話していたが、確かにここは給料がいい。というより『一度の仕事が長期にわたる』ため、一度の仕事に対し、かなり多めに給料が出ているのだ。クルーズ船の仕事と近いかもしれない。もちろん、東谷主体のケースだったため、他社員に比べて給料は少なめだったが、贅沢をしなければ1~2か月は食うに困らないほどはもらっていた。だが、鷹明はたった10日で戻ってきた。
目黒は心配そうに鷹明をみる。
「向井さん。休暇も大事な仕事のうちですよ。心身ともに健康でなければ仕事はできません。特にこの仕事は…。だから無理しなくていいんですよ」
「無理してるつもりはないんですけど…」
身体に疲れが残っている感じはない。気持ちも落ち着いている。目黒が心配するほどではないと思うのだが…。それに、目黒に言った通り、今は色々経験したい。自分はこの世界についてあまりにも知らなさすぎる。この会社に入社しなければ、知りもしなかった世界だ。多くの経験を積まなければ、自分がこの会社でどう働くべきなのか、答えが見つからない気がした。自分が【回収者】に何が出来るのか…もっと知って、もっと考える必要がある。
「単に若さゆえの回復の速さですよ、目黒さん」
突如、二人の前に見知らぬ女性が現れた。
「片岡さん」
「向井さんの回復が間に合えば、今回は私のケースに同行していただくことになります。よろしくお願いします。向井 鷹明さん。私は片岡 洋子と申します」
片岡祥子。黒髪おかっぱに細身、ださいジャージ姿。そしてよくお似合いの丸いメガネをくいっと持ち上げた。
「は、はい、よろしくお願いします」
「早速ですが向井さん。寸法を測ります」
「はい?」
「失敬」
片岡はどこから出したのか、メジャーで鷹明の寸法を細かく測り始める。
「何するんですか!」
「私のケースに同行するなら必要なことです。あ、今回の【回収者】は女性ですので、ご自宅訪問はご遠慮いただきました。なので詳細を私から説明いたします」
『浜村 照美、48歳』今回の回収者の名前だ。彼女は半月ほど前、トラック事故後、行方が分からなくなっている。
「え?待ってください。トラック事故って、それ即死じゃないですか」
「私が話し終えるまで黙って聞きなさい」
言っている彼女は、ちょうど鷹明の前に膝をつき、下半身の寸歩を測っている最中だ。彼女の鋭い眼光が痛い…股間がキュっとなる。
偶然事故現場を映していた町の防犯カメラに、トラックが衝突後、遺体がパっと消えたのが確認されたらしい。警察の調査も進まず、妙に思った浜村の夫、浜村 修司が株式HOMEに依頼してきた。浜村 照美は、夫、義母、娘のに4人暮らしだ。夫も娘も、彼女がどうして消えてしまったのかと、とても心配していると言っていた。
「ちなみにここからは私の意見と刑事の徳本さんの情報が入り混じるのでご了承ください。クソ夫の浜村修司は、ひどい痴呆の義母の世話を浜村照美に全て押し付けていたそうです。娘はそれに全く感化せず。クソ夫は会社で浜村照美のことを『とろい』だの『嫁失格』だのほざいていたそうです。浜村照美さんはクソ旦那のモラハラ、クソ婆の相手、無慈悲な娘と三重苦を抱えていたのでしょう。異世界に行きたくなって当然です」
片岡の感情が入り混じってしまう理由がよくわかる。聞いているだけで胸糞悪くなる。
採寸が終わったらしく、片岡はメジャーを巻きながら立ち上がる。
「その他情報として、浜村照美は結婚前、良く恋愛小説を読んでいたそうです。その中でも特に気に入っていたのは『空色の君へ』。浜村照美の世代に爆発的に売れた小説です。簡単に言えば、シンデレラストーリーですね。主人公はとある学園に通い、運命の王子様と結ばれ幸せになる、というものです」
「ということは【回収者】はその世界にいると」
「察しがいいですね。まぁ、小説そのものの世界にいるとは断定できませんが。それに近しい世界。つまり、学園ラブストーリーの世界です」
なんか…前回のRPGと違いすぎる…RPGは友達がやっていたゲームを横目に見たことがありと、少なからず知識はあったが、恋愛小説はてんでわからない。
「あの、俺、その世界に行って大丈夫なんですかね?」
「問題ありません。私の足を引っ張らなければ」
前回のケースを思い出し、鷹明の胸をえぐる。
「さて、これから1週間ほど、私は作業に入りますので…あなたはこれを読んでください」
言って、片岡は近くにあったカバンから小説を出した。
「『空色の君へ』全3巻と外伝1巻。一度ではなく、時間のある限り何度も読み返してください」
「え?無理ですよ!俺小説読むの苦手で…」
「この仕事は、前情報があればあるほどスムーズに進みます。なんの情報もなしに異世界に行くなど、自殺行為です」
う、と鷹明は言葉に詰まった。
「小説の内容が理解出来なければネットで調べてください。サルでもわかる詳しい解説が腐るほどあります。ヒット作なので、あなたがわかりやすい記事を見つければ、同時に読むことで理解も深まるでしょう。では」
そういって、片岡は踵を返し、会社を颯爽と出て行った。
「…なんというか、ものすごくテキパキした人ですね」
「彼女は先輩としては有能よ。きっとあなたの勉強になることをたくさん教えてくれるはず」
目黒は微笑んだ。
1週間後。入枝の作業部屋に鷹明と片岡がいた。
「あの…なんですかこの服」
「小説の情報を元に、その時代はやりの洋風な学生服をイメージして作りました」
二人はとてもきらびやかな学生服を着ている。片岡の指示で彼女の手作りらしい衣装を着た鷹明。制服なんて何年ぶりだ…なんか動きにくい気がする。
「私たちは姿かたちそのまま転移するので、こういうものが必要なんです」
「東谷さんはスーツのまま行ってましたけど」
「あれは例外です。日本で外国の伝統服着て堂々と歩いてる人、目立つでしょ?東谷さんはそれを武器に出来るタイプですが。私、あぁやって無駄に目立つの嫌いなので、なるべく世界に溶け込める衣装を着ていくんです。」
「なるほど…っていうか…片岡さんですよね?」
前の片岡と顔が全然違う。なんだか…全体的にキラキラしている。目がでかい。鼻が小さい。ほほが赤い。美少女だ。
「橘さんに顔を作ってもらいました。煌びやかな世界に合う可愛くて眩しい美少女にしてくださいと頼んだのです」
「あぁ」
彼女ならできそうだ。
「俺は素顔のままでいいんですか?」
「野郎の顔なんてどうでもいいです。王子様以外」
別に、自分がかっこいいとは思ったことはないが…どうでもいいと言われるとさすがに落ち込む。
「二人とも、もう準備はとっくに出来てますよ」
「そうですか入枝さん。失礼しました。では行きましょうか、向井さん」
片岡がにやりと笑い、向井の手を取った。あれ?ちょっとかっこいい。
「そこの本を開けば転移できます。連絡は持たせたノートに執筆してください」
「了解です。じゃあ、行きますよ」
片岡が、テーブルに置いてある小説を、ゆっくりと開いた。
なんだか目がちかちかする。鷹明はうっすらと目を開けた。
「大丈夫ですか?向井さん」
「はい、なんだか少し頭がボーっとしますが」
「胸を張って歩いてください。ここはもう異世界なんですよ」
はい、と言って、鷹明はスゥっと息を吸い、胸を張り、目を見開いた。
ひらりひらりと舞う花びら。ふわりと薫る花々。色とりどりの植物に…とてつもなくでかい…城。海外を思わせる場所に鷹明達は立っていた。
「え、何ここ」
「やはり『空色の君へ』をベースにした世界ですね。周りをごらんなさい」
言われて周りを見ると、自分と似たような制服を着た若者がたくさん歩いている。鷹明が周りを見渡したのを確認した片岡が、城を指さした。
「あの城は『聖都マリア学園』」
「あれが学校なんですか!?」
「そう『空色の君へ』の舞台となる『聖都マリア学園』。私たちは、その生徒に扮して調査を行います」
なんだか…途方もない話を聞いている気分だった。
同じ制服を着ているためか、学校には難なく入ることが出来た。「ご機嫌よう」とすれ違いざまに挨拶するのは人生で初めてだ。学校内を普通に歩いているが、誰にとがめられることもない。
「まずは【回収者】を探すわけですが…向井さんは前回RPGの、男性の【回収者】がいた世界に行ったのでしたね?すぐに【回収者】とわかりましたか?」
「はい、見た目は…多少違いましたが、写真で見た面影はありました」
「女性の【回収者】の場合、90%以上の確率で見た目が全く違います」
「うそ!なんで!?」
「向井さんもご存じの通り【回収者】は現実世界で酷く心を傷つけられているケースが多いです。特に女性の場合『ブサイク』等と中傷されたり、『あの人の方がきれい』等と他人と比べられてしまう。他にも、DVで受けた傷。疲れ切ってガサガサになった肌や髪。そういう自分を見るたびに嫌悪してしまう…。結果、自分の見た目に強いコンプレックスを感じるようになります。ゆえに、転生時に「変わりたい」という強い感情から、見た目がガラリと変わってしまうのです。まるで前世の自分を捨てるように…」
前世の自分を捨てる…。ふと、橘と話していたことを思い出す。果たして、自分たちがやっていることは“救い”なのだろうか…【回収者】を放っておいた方が、幸せになれるのではないだろうか…。
片岡は、顔をゆがめる向井をちらりと見たが、意に介さず話を続ける。
「ですので、見た目で判断するのはほぼ不可能です。ですから、ある程度まで【回収者】と疑わしい人を絞り込み、調査して【回収者】を見つけ出します」
「けど、これだけ生徒がいるのに、どうやって探すんですか?」
「だから予習が必要なのですよ、そこいらのモブに転生する可能性は…まぁないとは言いませんが、可能性で言えばとても低いです」
「なるほど、小説で出てきた主要人物の中に【回収者】がいる可能性が高いんですね」
「その通りです」
となると…。
「可能性が高いのは、主人公の『ソラリ・ハートニア』ですか?」
片岡の足が止まる。そして、向井を睨み上げる。
「な、なんでそんな睨むんですか!」
「あなたは何を読んできたんですか!」
「え!だってそうでしょ!『ソラリ・ハートニア』は牛舎を営む父親の子で、猛勉強の末、特待生として『聖都マリア学園』に入学、学費免除。将来を約束された『聖都マリア学園』を卒業し、父に楽をさせることが目標…。しかし平民であるソラリは女生徒から数々のいじめにあう…けど、運命の男性『ヨゾラ・クリスト』に出会い、彼の助けを得ながらついには婚約し、幸せになる…ここに転生して幸せになるなら『ソラリ・ハートニア』じゃないとダメじゃないですか!」
「なんだ、めちゃくちゃ勉強してるじゃないですか」
関心関心、と片岡は拍手した。
「ですが女心を何もわかっていない!だから彼女出来ないんですよ!」
「今は関係ないでしょ!いないですけど!」
もう泣きじゃくりたい。
「いいですか、女性とは『結果』より『過程』に重きを置く人が多いです。料理が出来たことより、料理をしたこと。目的地に到着するより、目的地に到着するまで、今現実より、過ぎた過去。もちろん『ソラリ・ハートニア』は大変な苦労をして幸せになります。この物語はまさに『結果』より『過程』を重視した話だからこそ、女性の共感を多く得ることが出来たのでしょう」
「じゃあやっぱりソラリなんじゃないですか!」
「さらに!女性は強い『共感覚』があります!」
もういや!帰りたい!このケース無理!
「文字通り共感すること。子供の世話って大変よね~。あの先輩うざいわよね~。はぁもうほんと、ろくな男がいない。と話し合う女性を何度も見たことはあるでしょ?それが『共感覚』です。つまり【回収者】が女性の場合、見た目が全然違う・試練や不幸がある・前世の自分と共通点がある。この三つが当てはまる人物こそ【回収者】である可能性が高いのです」
「だから…その…今回の【回収者】も、前世に大変な苦労があって、ソラリも大変な苦労の末、幸せになるんじゃ…」
「苦労の種類が違うんですよ。ソラリは貧しい生まれの苦労人。しかし浜村照美の出征は貧しい物ではなく、極普通の家庭。クソ夫も王子とは程遠い低給料のクソ野郎です」
…言われてみれば、全然違う。なら誰が浜村照美に近しいのか…。
「あ『マリア・マーガレット』」
「ふふ、やっとわかってきましたね」
なぜか片岡が誇らしげに笑う。
「『マリア・マーガレット』本作の適役である悪役令嬢です。学校名である『マリア』の名を授かった彼女は、父親が学校の理事長を務めています。なので学園ではやりたい放題。彼女に目をつけられれば終わり、苛め抜かれて、挙句退学処分…。陰では「冷嬢のマリア」と呼ばれています。『ヨゾラ・クリスト』の婚約者でもある彼女は、ソラリとヨゾラを仲を引く裂くため、あらゆる手段を使います。しかしそれが裏目に出て、学校主催の懇親会で全てを暴かれ、彼女は退学、ヨゾラとの婚約は破棄になります。しかし、『空色の君へ』の人気は、彼女の存在の大きさも否定できません。彼女は『空色の君へ、外伝』で主人公となります。実は妾の子として生まれた彼女は、母親と無理やり引き離され、父親と継母から非情ともいえる厳しい教育を受けます。それゆえ召使にさえ邪険に扱われる幼少期を過ごします。周りには味方になってくれる人が一人もいません。こんな幼少期を過ごせば性格が悪くなるのも致し方ない…しかも、幼馴染婚約者であるヨゾラは、マリアを捨てソラリとくっつくのです。外伝ではその後マリアは、家族から、そして国から見放され、遠い親戚の家に越します。そこで出会った普通の少年『ヨセフ・ラットミル』と色々あって、ひそかに結ばれるのです」
なるほど…何十年と夫からパワハラを受け、義母の介護に疲れ切った彼女は、どちらかと言えばマリアに近い気がする。
「同じような『過程』を歩み、いろいろあるけど幸せと言う『結果』を得るマリアの方が、より【回収者】の可能性が高いことはわかりましたね」
「はい」
「とはいえ、ソラリという可能性も否定できないので、どちらも詳しく調べていきましょう」
「え!ソラリの可能性もあるんですか!なんで僕怒られたんですか!」
「そういうノリだったので」
「わからない!」
「だからモテないんですよ」
あなたが特殊すぎるんですよ!と言ったらまた怒られそうだったので、鷹明は言葉を飲み込んだ。
校内をしばらく探索した後、生徒が良く談話しているテラスに二人はたどり着いた。
「ではさっそく対象者に接触しましょう」
「テラスに来たということは…」
鷹明はあたりを見渡す。多くの学生が優雅にくつろいでいる。その中に…いた。野外テラスの隅っこに、透き通るようにあ水色の髪の少女…ソラリだ。彼女は何をするでもなく、一人でボーっと空を眺めている。
「ここは男女共学です。ですが、不用意に女生徒に話しかけると警戒されてしまいます。向井さんは少し離れたところから見ていてください」
「わかりました」
鷹明は近くの空いているテーブルに着く。
「ごきげんよう。ソラリ・ハートニアさん」
「え?あ、あら、ご機嫌よう」
彼女の傍らに立ち、挨拶した片岡に、ソラリは戸惑いながらもすぐ返事をする。
「私も、ここに座ってもよろしいかしら」
「どうぞ」
ソラリは快く片岡を受けいれる。
「空をご覧になっていたのですか?」
「はい、小さいころから空を見上げるのが大好きで…亡くなった母とよく空を眺めては『あの雲はキャンディみたい』とか『あの雲はちょうちょみたい』と話していました」
小説に出てくるイメージ通り、優しそうでおっとりしている子だ。
「良いですね、私も空を見ていると故郷を思い出します」
「この国の方ではなのですか?」
「はい、国外交流の枠組みで入学しました。『ヨーコ・カタオカ』と申します」
見た目は外人のに、名前はそのまま日本人なのか…これも相手の反応を見るためのものなのだろうか?
「変わったお名前…でも素敵ですね、ヨーコさんとお呼びしても良いですか?」
「もちろんですソラリさん。私、あなたとずっとお話がしてみたかったの…学園創設以来の秀才と謳われているあなたと…」
「私は、秀才などでは…」
今のところ、片岡とソラリの会話に違和感はない。やはり片岡の予想通り【回収者】はソラリではなく…。
ふわりと、濃いバラの香りがよぎった。なんと良いタイミングで現れるのだろう…マリア・マーガレット。
「ご機嫌ようソラリさん。それから…お見掛けしない生徒さんね、どちら様かしら?」
ワインレッドの長髪がきらめいている。キリっと吊り上がった眉と目。同じ色の瞳。細い唇。薔薇を人と例えるなら、まさしく彼女のような姿をしているのではないかと思うほど美しい。
「マリア様…ご機嫌よう」
ソラリはあからさまに表情が暗くなる。
「マリア様、ご機嫌よう。私はヨーコ・カタオカと申します」
「国外交流の生徒さん?そんな名前の方いたかしら…どこのお国から?」
「遠い東の国です、白米やお茶が国産で、とてもおいしいんですよ」
日本を思わせる言葉…マリアを【回収者】と断定して挑発しているのか…。片岡の発言は大胆に思える。
「お茶は私も興味がありますわ。いつか私にもご教授いただける?」
「喜んで」
ところで、とマリアはソラリを見下ろす。
「優等生さん、またこんなところでお空を見ていらしたの?平民はお暇が多くて羨ましいわ…ご秀才故に、勉学の時間もいらないのね」
いつの間にか、マリアの取り巻きがテーブルを囲っている。その女生徒の一人が、床に一冊のノートを落とした。あっとソラリは声をこぼした。
「ソラリさんにはこんな汚い勉強ノート、必要ないでしょう?」
言って、マリアはノートをグシャリと踏みつぶす。
「安い紙に文字を書くと、書きにくいし、インクが滲んで読みにくいのよね…てっきり子供がいたずら書きしたノートかと思いましたわ」
ノートにはくっきりとマリアの靴跡がついている。
「このノート、その辺に落ちていたのでお届けに伺いましたの。用は済んだので私はこの辺で、皆様ごきげんよう」
言って、マリアは去っていった。
ソラリは唇をかみしめ、うつむいて震えている。マリアが見えなくなったところで、片岡がノートを拾い、ソラリの前に差し出した。
「ソラリさんにも、私の国のお茶を差し上げますわ。気持ちが落ち着く、良い香りのお茶ですよ」
「…はい、ありがとうございます。ヨーコさん」
ソラリが涙ながらに、嬉しそうに笑った。
あっという間に夜を迎える。二人は未だ学園の中に残っていた。というか…学園以外に行く当てもない。
「特に警備とかもいませんからね、しばらくはこの学園のどこかに寝泊まりしましょう」
「そんなことしてバレないもんなんですか?」
「お金持ち学園の子が、学校に寝泊まりするなんて、考えも至らないでしょう」
幸いにも、この学園にはシャワー室も食堂もある。大変申し訳ないが、タダで拝借した。
二人は図書館に入る。とても広い施設だ。さて、と片岡は椅子に腰を下ろし、さっそく話を始める。
「向井さん、あの二人の印象はどうでしたか?」
「僕は浜村照美本人を知らないのでこんな言い方は変かもしれませんが…なんというか、ソラリとマリア…どちらが浜村照美か全くわかりませんでした。というより、どっちも本人っぽいというか…他人が演じてるって感じじゃないというか…」
「なるほど、あんた、感はいいようですね」
「となるとやっぱり」
「私も、ソラリもマリアも【回収者】という判断がつきませんでした。お二人とも、日本人らしい私の名前にも、国の特徴にも反応しませんでした。もちろん、それが演技と言う可能性もあるのですが…私が思うに、浜村照美が転生したのは物語の始まり…つまりソラリが入学した頃だと推測しています。ソラリがある程度学校慣れしていて、懇親会前となると…おそらく今は入学して約半年ほどと思われます。小説を読み込んでいたとはいえ、たった半年であそこまで完璧に本人をこなせるとは思えません」
片岡がため息をつく。
「こうなると、モブの可能性もありますね。だとしたら虱潰しに探さなくてはなりません…相当時間がかかりますね」
東谷が【回収者】を見つけたのが本当に早いのだなと思わされる。話を聞く限り、片岡が無能、と言うわけではなく、東谷が有能すぎるのだ。
「僕の…男子生徒が出来ることはありませんか?」
「そうですね、せっかく二人で来ているのですから、あなたにも力になっていただきましょう。ヨゾラと話してみてください」
ヨゾラ…マリアの婚約者で、ソラリの運命の人…。
「ヨゾラはとても社交的な外交官の息子です。国外の生徒と聞けば、あなたの話を聞きたがるでしょう。ソラリとマリアに最近違和感を感じてないか、探ってみてください」
「わかりました」
「その間、私はもう少し学園内と、ソラリとマリアの近辺について調べてみます」
「一人で危なくないですか?」
「いつもは一人です」
片岡は肩をすくめる。
「今日はお疲れでしょう。もう休みましょうか…この図書館のソファは高級品です。寝心地はそんなに悪くないと思います」
むしろ、前の世界に比べれば…とても良いベッドだ。
翌日、鷹明は片岡にたたき起こされた。色々考えていたため、寝入りは悪かった。しかし疲れていたせいか、眠りについたらぐっすりだった。
2人共、変装しているとはいえ、本当の在学生ではない。朝~授業中は人気のないところに身を沈めなければならないため、昼休憩と放課後が主な行動時間となる。意外と動ける時間が少ないのだ。
放課後、片岡と別れ、鷹明は生徒会室へと向かった。ヨゾラはこの学園の副生徒会長だ。放課後はいつも生徒会室にいる。誰よりも早く生徒会室に行き、カギを開ける。それが彼の最初の仕事だ。
そして、その生徒会室がソラリとの逢引部屋でもあるのだが…。できればソラリとは顔を会わせたくない。今回はヨゾラから情報を聞き出すのが目的だ。まだ仕事慣れしてない鷹明にとって【回収者】かもしれない彼女と話すのは、かなりのリスクがある。それは片岡も思っていたらしく、出来れば彼女を引き留めておくが、注意しろと言われた。
生徒会室の近くで待ち伏せしていると…来た、ヨゾラだ。紺色の髪にシルバーメッシュが眩しい。まさに夜空を思わせる髪色だ。「空」と「夜空」見た目にもお似合いの二人である。
…一人で仕事を行うのは初めてだ。緊張する。心臓がバクバクうるさい。こんなの、いつ以来だろう。ふっと鷹明は大きく息を吐き、勢いよくヨゾラの前に立ちはだかった。
「ご機嫌よう、ヨゾラ・クリストさん」
「ん?ふはは、ご機嫌よう。君は女生徒のような挨拶をするんだね」
ん?なんか違った。あの挨拶って女生徒しかしないの?知らぬこととは言え…鷹明は耳まで真っ赤になった。
「いや、なんか!口調が写っちゃって…!」
「少しわかるな…僕もマリアと…婚約者と話していると、そうなってしまう時がある」
小説のイメージ通り、さわやかな好少年、という感じだ。
「えっと君は…もしかして国外の生徒かい?」
「え?なんで知ってるんですか?」
「見たことない女子生徒が男と歩いてるって専らの噂だよ」
噂になっていたのか…それってやばくないか?いや、これも片岡の作戦のうちだろうか?考えてもわからない。今は自分が出来ることをやらなければ。
「初めまして、僕はタカアキ・ムカイと申します」
「君は僕を知っているようだが…ヨゾラだ」
ヨゾラが手を出してくる。その手を握って握手する。
「もちろん存じ上げておりますとも、なんといっても副会長様ですから」
「そうかい、で、僕に何か用かい?」
「用と言うほどのことはないんですが、生徒会がどんなところか見てみたくて…国外から来たので、他国の生徒会に興味があります」
「なるほど、会議が始まるまでなら生徒会室を案内するよ」
よし、と鷹明は内心ガッツポーズをする。我ながらとてもスムーズに進んでいる。案外、この仕事向いているのかもしれない。
案内された生徒会室はまさに豪華絢爛。眩しいシャンデリアに真っ赤な絨毯。頭を打てば死にそうなゴツイテーブル。沈みそうなソファ。まさにお城だ。ソファに座るよう促され、ゆっくりと腰を下ろす。やっぱりちょっと沈んだ。
「先ほど婚約者の話をされていましたね。仲が宜しいのですね」
出来るだけ自然を意識して…鷹明は恐る恐る話を始める。
「僕と彼女がそんな風に見えるかい?」
ヨゾラが苦笑する。
「そうですね、最近は特に仲が良いと伺います」
知らんけど、適当に返す。
「そうかい…なら案外そうなのかもしれないね…僕としては、進歩がなくて…なんというか、むず痒い気分だよ」
「そうなんですか?やっぱりソラリさんとの噂の所為ですか?」
知らんけど、ソラリの名前も出してみる。
「ソラリ・ハートニアさんですか?あぁ…確かに彼女は僕を慕ってくれているようですが…うん、そうですね…はい、なんというか、仲良くはさせていただいていますよ」
なんか歯切れが悪い。まぁ実質浮気してるようなもんだからな。
ヨゾラに関しては「まさに王子様」という意見と「裏切者」という意見と真っ二つに分かれる。ちなみに鷹明は後者だ。おそらく片岡も。運命を感じる出会いとはいえ、婚約者を裏切るのは良くない。マリアもソラリに対して相当ひどい仕打ちをしてきたと思うが、ヨゾラはまた別の嫌悪感を覚える。婚約者共々、似た者同士ということか…。
おっと、自分の考えなど今はどうでもいい。さぐりを入れなければ。
「ソラリさんと喧嘩でもなさったのですか?」
「いえ、そういうわけでは…どうしてそんなことを?」
「なんとなく、すみません。お困りのようでしたので、聞いてはいけませんでしたか?」
「あまり個人的なことをズケズケと聞かれるのは好ましくありませんね」
言葉に棘がある。やば、さすがに直球過ぎたか…。
「そろそろ生徒会のメンバーが集まる時間です。お帰り願えますか」
「わかりました」
引き際も肝心だ。東谷と片岡を見て学んできた。鷹明は早々に立ち上がり、生徒会室を後にした。
「60点、と言ったところですかね」
「わ!以外に高得点」
日が沈み夜になり、二人は再び図書館で作戦会議をしていた。ヨゾラとの会話を出来るだけそのまま伝えたら、意外と良い点数をもらえた。
「私達のことは噂になっているのはご存じですよね?そろそろ私達がこの学校の生徒でないことがばれる頃です。つまり私達は不審者と言うことになります。これ以上主要人物に接触することはできないでしょう。なので、ヨゾラとあなたが話すのも、今日が最初で最後の予定です。多少無理な会話の流れでも情報を得られたことは良いとしましょう」
なんか嬉しい。思わず鷹明は微笑んだ。
「どうでしたか?ヨゾラは?原作と印象は違いましたか?」
「う~ん…説明が出来ないんですけど、なんか違和感はあったんですよね…なんというか、ソラリとラブラブっぽい感じじゃなかったというか…原作ではもっとソラリにメロメロだったイメージなんですけど、惚気とかもなかったですし」
「なるほど、やはりこの世界のどこかに浜村照美がいて、彼女の存在が何かしらストーリーに変化をもたらしているのでしょう」
「浜村照美はこの世界のストーリーを変えようとしてるんですか?」
「意図してか、意図せずか…どちらかわかりませんが、中の人が全くの別人に代わっているのです。筋書通りに進むことはありえません…むしろ、最近の傾向としてはストーリーを変える可能性の方が高いのですが…」
「最近の傾向?」
「昔から異世界転生はありますが、その時代によって傾向があるんですよ。時代に沿った傾向がね。今の時代の女性は『結婚=幸せではない』ということです」
「あぁ確かに、今の女性ってそういう人増えてきましたよね」
「浜村照美がどちらに転生したにせよ、結婚を目指しているとは限りません。特にマリアに転生した場合はね」
「というと?」
「例えば、ソラリをいじめず、ヨゾラとの婚約破棄だけ成立すればどうなると思います?」
「どうって…ただのお嬢様に戻るだけじゃないですか?」
「そう、クソ浮気野郎と離れられて、美貌とお金と権利だけ残った人生なんて、控えめに言って最高じゃないですか」
やっぱり、この人ヨゾラのことも嫌いなんだ。そしてすごい納得できる意見だ。
「昨日説明しましたが、女性は『過程』を重んじる人が多いです。悪役令嬢に転生したのち『悪役』を払拭するという苦労と努力…その『過程』を踏むだけで、幸せが約束された余生が約束されているのです。なので、最近は『悪役令嬢』に転生するのがはやりなんですよ」
ですが、と言いながら片岡がため息をつく。
「正直、マリアの線はないと思います。モラハラを受けていた浜岡照美が、ソラリをあのように虐げられるとは思えません。あのまま進めば貧乏少年とくっつく運命をたどるしかない…浜岡照美にとって、それが幸せとは、私には思えないのです」
「となると、やはりソラリですかね」
「一応、主要キャラ以外に名前が付けられたキャラクターに少し接触してきましたが、やはり手応えはありませんでした。今はソラリが一番可能性が高いとしか言いようがありません…しかし、どうにも解せません」
「というと」
「やはりソラリは【回収者】ではないと思います。理由はないのですが…その、直観です」
歯切れが悪い。彼女は直観ではなく、倫理的に動くタイプだ。確実な理由がないと納得できないのだ。
「いいと思いますよ、直観」
「…は?」
「経験上の直観なんでしょう?それは十分倫理的な理由ですよ」
「…ふぅん、そうですか」
あれ?励ましたつもりだったのに…リアクション薄くない?励ましの言葉違った?
「まぁそんなわけで、作戦を変更します」
「どんなわけ?」
「こうなったら虱潰しです。学園中を探りまくって怪しい人物を探します」
「えぇ…他に方法ないんですか?」
「【回収者】が、自分と同じく『転生者』である私達が何者なのか、何をしでかすか…【回収者】にとって、私達の存在は恐怖そのものなのです。なので、【回収者】が直接私達に接触してくることがあります。そうなってくれれば一番助かるのですが、それは相手にとっても綱渡り。最終手段としてやってくる可能性もありますが、これは期待しない方が良いでしょう。次に、間者を使って私達に探りを入れてくる可能性。その間者がとんでもなく無能なら、私達でも捕まえて色々吐かせることも出来ますが、まぁそんなこともありえないでしょう。金持ちが雇う間者がそんな阿保で弱いわけがありません。相手が何もしてこないなら、こちらから調べるしかありません。しかし私達はもう堂々と調べ周ることはできません。学校に潜みながら、監視をしたり学校内で調べられることを調べるしかありません」
聞いただけで気が遠くなる作業だ。
「ここからが根性の見せ所ですよ、期待してますよ向井さん」
と、片岡がニヤリと笑った。え?期待…されてる。
「ニヤニヤしないでください。気持ち悪い」
「やっぱり厳しい!」
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