エンディングの先なんて知りたくない
「おら起きろ」
頬を軽く叩かれ、ハッと鷹明は目を覚ました。最初に目に入ったのはどこまでも広がる青空だ。ゆっくりと起き上がり周りを見渡す。草が生い茂っている。そして…田舎の集落のようなものが少し先にある。
「立て、ボーっとしてんじゃねぇ」
軽く足を蹴られ、勢いよく立ち上がる。
「はい!」
「仕事は始まってんだ、気合入れろよ」
「はい!」
あたふたする鷹明を他所眼に、東谷はスマホを取り出して何やら操作している。
「…っていうか、違う世界にいるのにスマホ使えるんですね」
「いや、使えないことがほとんどだが、今回は運がいいな」
東谷はにやりと笑いながら鷹明にスマホの画面を見せた。チャットアプリの画面が表示され、入枝との会話がずらりと並んでいる。
「ゲーム世界だからな、電話はできねぇが、入枝のパソコンと直接やり取りが出来る」
さて、と東谷は村を見た。
「さっそく【始まりの村】へ向かうぞ」
【始まりの村】と呼ばれた場所にたどり着く。日本の田舎、というよりは、絵画の街並みのようだ。村人は東谷と鷹明を物珍しそうに見ている。当たり前だ。スーツを着ている者など、二人しかいないのだから。なんだか、田舎に引っ越してきた都会人の気分になる。
「胸張ってあるけよ、おどおどしてると刺されるぞ」
「刺されるって!何にですか!」
「こういうRPGの村ってのは盗賊とかいるからな、勇者最初の試練として出てくるパターンが多い。おぉ、あった」
鷹明の不安を他所に、東谷はとある店に向かった。剣や盾や、その他アイテムがずらりと並んでいる。武器屋、というやつだ。
「おやお客さん、あんまり見ない装束だね、外国の方かい?」
「あぁ近々大都市で商売を始めようと思ってな。いい仕立てだろ?この装束」
東谷はまるでこの国…いや、この世界の人物であるかのように話し始めた。
「で、ライバルに先を越されないように色んな町に出向いてるんだが…最近、俺らみたいな装束を着たやつが来なかったか?」
「あぁ、そういえば来たな…1年前くらいだったかな?そんな黒い羽織じゃなかったけど、硬そうな襟をこさえた服を着ていた男なら来たよ」
「あちゃ~やっぱりか、参ったね、先越されちまったかも」
「ははは、商売は先にやったもん勝ちだからな。でも安心しな、そいつは今勇者やってるよ」
「へぇ、商人じゃなくて勇者なのか、そらすげぇな」
「こんなド田舎の鈍ら武器を買っていったんだ。さすがに今は使ってないようだが…それでも誇らしいよ。あの勇者様が最初に買った武器屋がうちなんだからね」
「驚いたな、同じ国から来たやつがこの国で勇者か…」
「彼が魔王を討伐してくれたおかげで、この国の救われた…感謝している」
「その勇者様はどこにいるんだい?同じ出身国だ。会って話してみたい」
「詳しくは知らないが、王都にいるんじゃないか?」
「そうか、機会があれば会いに行ってみるよ、ありがとうな親父さん」
行くぞ、と東谷は早々に武器屋を出て行った。
「あの…東谷さん」
「この仕事、俺はまず【回収者】を見つける。転移する世界によって探し方は様々だが、RPG世界に多いのは、戦うすべを身に着けレベルを上げるため【回収者】は必ず武器屋に向かうということ。転生して最初から武器を持ってる奴は早々いない。そこから情報を得られれば、もう見つけたも同然だ」
「なるほど…あ、でも大都市ってどこですか?そこまで聞けばよかったんじゃないですか?」
「お前、日本に仕事しに来た外国人が【日本の首都ってどこですか?】って聞いたら変だろ?いいか?情報ってのは、自然な会話の中で出てくる。世間話の中から少しずつ情報を抜き出して、必要以上に聞かない。鉄則だ」
鷹明は目を見開いた。見た目にも不真面目で何も考えてなさそうな東谷だが、頭がよく口が回る。
「それに、大都市ってぇのはだいたいRPG中盤に出てくるもんだ。魔王を倒すには、良い武器や仲間が必要だ。それを集めるにはこの世界一の都市に行く必要がある。岩出の情報によると、俺たちが今いる異世界、つまりは【回収者】がやっていたゲーム自体、クリアにはさほど時間がかからないらしい。なら大都市までさほど距離もないだろうし、行く方法も必ずある、例えば…」
東谷は村の出入り口付近でたむろしている人たちに目をつける。そして近づく。
「よぉ、あんたらどこから来たんだい?」
「ん?見かけない装束だな、あんたらこそどこから来たんだ」
「外国だよ。旅行がてら仕事を探してな」
「そりゃ大変だな。俺らは大都市【トレーザ】から来たんだ。ここには【トレーザ】に戻る途中で、一泊させてもらったんだよ」
「ちょうど良かった。俺らも【トレーザ】に連れてってくれねぇか?」
言いながら、東谷は懐から何か取り出した。
「何だいそれは?」
「俺たちの国では鏡って呼んでる。姿かたちをそのまま映す道具さ」
言って、東谷は小さな手鏡を商人に渡す。ほぉ、と商人は品定めする。
「それをくれてやる」
「ほんとうか!?」
「だから俺たちを【トレーザ】に取れてってくれ、荷台に乗せてくれりゃそれでいい」
「構わないよ、こんな貴重なものをタダでくれるならね」
さぁさぁ乗りな、と商人は荷台を指さした。
ほどなくして、馬が荷台を引き始めた。クッションもない荷台に座っているとお尻が痛くて仕方ない。
「っていうか…こんなに簡単に事が進むもんなんですか?」
「いや、そうはならないことの方が多い…RPGの世界の住人は、親切でなんでも説明してくれる。ゲーム設定上そうなってる。だから情報を持っていそうなやつにはどんどん話しかける。そうすれば意外とスムーズに仕事が進む」
なるほど…東谷は、頭の回転が速く口が達者なだけではない。【回収者】がいる世界についても良く理解している。それが勉強故なのか、経験故なのか、あるいは両方なのか…。
それから3日ほど、二人は荷台に揺られっぱなしだった。夜は凍えるように寒く、隙間風のしのぐために荷台に積んであった毛布にくるまった。食料は商人に分けてもらった。どうやら手鏡は相当珍しい物らしく、かなりの値で売れるから、食事くらいわけてやる、とのことだった。もちろんトイレはその辺で、風呂など概念すらなかった。
4日目の明朝、ようやく【トレーザ】にたどり着いた。鷹明は疲れ切ってげっそりしている。
「電車とかの文明の利器がいかに素晴らしい物か、実感しますね」
「だろ?こんな世界、仕事じゃなきゃ1日も過ごしたくねぇよ」
【トレーザ】は王都と呼ぶにふさわしい街だった。活気があり、人も多い、都市の中央には大きな城がある。
「【回収者】はあの城にいるんすかね?」
「バカか、いるわけねぇだろ」
「え?でも魔王倒した勇者なんでしょ?それなりの待遇は受けてるんじゃないですか?」
「それが貴族とかならな。とにかく探すぞ」
町の人たちに聞き込みをしてわかったこと、勇者は「アラン」と呼ばれていること。仲間とともに魔王討伐し、国中から祝福を受けたらしい。
「アラン…回収者がやっていたゲームの主人公の名前ですね」
「これでほぼ確定だな、アランつう勇者が回収者だ」
「けどどこにいるんですかね…町の人に聞いても、名前を知ってるだけで、魔王討伐後のことは誰も知らないなんて…。城の中にいる人ならわかりますかね」
「わかっていても俺らみたいな怪しいやつに教えるわけねぇだろ。安心しろ、目星はついてる」
言って、東谷達は王都を後にした。
二人がとある小屋にたどり着いたのは、もうじき日が沈むころだった。王都を一望できる丘に、ぽつんと寂しく小屋が立っている。
「ここだな」
「こんなところに…」
「行くぞ」
東谷が小屋をノックする。しばらくして、扉が開いた。黒髪の男性。年頃は鷹明と同じ20代前半だろうか?しかし勇者とは信じられないほど覇気がない。男性はぼんやりと二人を見ている。
「初めまして、私、株式会社HOMEという会社から派遣されてまいりました、東谷ともうします。こちらは…」
「あんたらも転生者?」
「いえ、私達は、あなたのように転移した人を連れ戻す仕事をしています」
「ふぅん…まぁ入りなよ」
男、いや、アラン…遠野道夫は二人を小屋に招き入れた。
遠野と東谷達は、テーブルをはさんで椅子に腰かける。
「驚いたな。今はそんな仕事があるんですね」
「昔はそんなに多くなかったんですが、今は社会問題にまでなっています。あなたが転移する前と同じく、若者の就職難や少子高齢化、低収入や学歴問題。そういった問題を抱えた人々が、死に直面した時に起きる膨大なエネルギー。それが主軸となって人々は転移してしまいます。もちろん、異世界に転移できるなんてごく稀で…」
「こっちで人生をやり直せた俺は運がいい方…なんでしょうね…なのに、この様ですよ」
遠野が肩を落とす。
「魔王討伐直後は良かった…国中から、仲間からチヤホヤされて…うれしかった。俺は誰にも出来なかったことを成し遂げたんだと…けど終わってみれば、戦う相手がいなくなった俺は用無しと言わんばかりに疎外された…気づけばここまで追いやられていましたよ」
「ゲームなら、魔王討伐でハッピーエンドです。その先が語れることはほとんどないでしょう」
「考えたこともなかったよ。ゲームのその先なんて…そりゃそうだ。死ぬまで、人生は終わらないんだから」
ついには、遠野は頭を抱えて泣き始めた。
「結局、この世界でも俺は爪弾きにされた…俺はどこにいたって同じだ…」
「まだ心配してくれる親がいる世界の方がましだと思いますが…どうですか?一緒に戻っていただけませんか?」
「ふっ…いいですよ、ここより、あっちの方が暮らしだけはずっと楽だ」
泣きながら、遠野が笑う。
東谷が入枝と連絡を取ると言って小屋を出て行った。鷹明に「やつがどこか行かないか見張ってろ」と耳打ちして…。
「…あの」
鷹明は、出来るだけ優しく、遠野に声をかける。
「王都であなたが受けた扱いがどうあれ、始まりの村の人は…というより、武器屋のおじさんは、あなたのこと、誇らしそうに話していましたよ」
「え?」
「感謝しているって、言ってました」
これくらいの言葉をかけなければ、あまりにかわいそうだ。元の世界で上司にどやされ、誰も助けてくれなった…。鷹明には経験はないが、そういった話はよく耳にする。少しくらい気持ちはわかる。
「普通に考えてすごいことですよ、魔王倒したんでしょ!」
「でも…【アランの冒険】はヒット作です…多くのプレイヤーがクリアしてる…僕だけじゃない」
「そうかもしれませんが、この世界のアランはあなた一人じゃないですか」
遠野が下唇をかみしめて、小さく、ありがとうと言った。
ほどなくして東谷が戻ってくる。
「お待たせしました。明日には戻る準備が整うそうです。しばらくお待ちを…」
「あの、戻る前に一ついいですか?」
東谷の言葉を遮り、遠野が言う。
「なんで…しょう?」
「始まりの村に戻りたい」
え、と東谷と鷹明は同時に声を上げた。
「あの村の人たちと話がしたいんです」
「し、しかし…こちらの準備が…」
「お願いします」
遠野が立って頭を下げる。またあの村に戻るということは…何かの手を借りるにせよ最低3日はかかる。快適とは言えない道のりをまた3日も…でも、と鷹明も立ち上がる。
「東谷さん。お願いします」
「おいお前まで!何言ってんだ!」
「お願いします!」
二人が土下座する勢いで頭を下げる。チッと東谷が舌打ちしたのが聞こえた。
爪弾きにされたとは言え元勇者。商品の積み荷の警護と言って、再び商人に最初の村まで連れて行ってもらうことになった。もちろん3日、寒さと体の痛みと空腹に耐えながら…。
村に到着すると、遠野は懐かしむように目を細めた。
「そうだ…ここから、始まったんだ…」
おや?と村人の一人が遠野に気づく。
「あんた、あの勇者様じゃないか!」
「ほんとだ!戻ってたのか!いやー立派になって!」
あれよあれよという間に人が集まってくる。遠野はあっという間に村人に囲まれた。
「魔王を討伐してくれてありがとうね!おかげでこの村も活気が戻ったよ」
「うちに寄ってきな!前はケチつけたけど、なんでも飲んで食っていってくれ!」
「あれから無事子供が生まれたのよ、ほら、かわいいでしょ」
多くの人々から声を掛けられ、とまどいながらも、遠野は誇らしそうに笑っている。
「おぉあんた!アランじゃねぇか!」
騒ぎを聞きつけた武器屋の承認も現れた。
「ってあんたその指輪…うちの店で買ったやつか?」
「え…えぇ、あの時はありがとうございました…お金もないのに売っていただいて…」
「構わねぇよ。おかげで世界が救われたんだ。今となっては誇らしいよ。けど、指輪だけでもまだ着けてくれてたのか…うれしいよ」
遠野は指輪をなでた。指輪はボロボロで、黒く荒んでいる。おそらくもう何の効力もないのだろう。
「救われたのは…僕の方です」
遠野は、誰にも聞こえない声で、そういった。少し離れたところでそれを見ていた鷹明は微笑み、東谷は顔をしかめた。
ほどなくして遠野がこちらに戻ってくる。
「お待たせしました。行きましょう」
「もういいんですか?」
「はい」
鷹明が聞くと、遠野は誇らし気に答えた。
「では帰りましょう」
東谷は胸元からスマホを取り出した。
「では皆さん。この画面をよく見てください」
ん?と鷹明はスマホを覗き込んだ。
「向井、起きろ」
ハッと鷹明が飛び起きる。パソコンが煌々と光る暗い部屋…中には東谷と遠野と…入枝!戻ってきたのか。
「遠野さん。隣の部屋にご家族が待っています」
「はい、ありがとうございました」
遠野は深々と二人に頭を下げ、部屋を出て行った。
「良かった…これで任務完了ですね」
「向井」
鷹明が胸を撫でおろしたのもつかの間、突如、東谷に後頭部を掌ではたかれる。
「っ!!」
「東谷さん。なんとかハラスメントってやつで訴えられますよ」
「っるせぇ入枝は黙ってろ!」
「はいはい」
なんで…なんで急に殴られたの?パニックに陥っている鷹明にもう一度平手が飛んでくる。
「いった!」
「てめぇ!遠野と何を話した!俺は見張れとしか言わなかっただろ!てめぇ一人で仕事するなら何しようがかまわねぇが、俺の仕事だ!余計なことするんじゃねぇ!」
東谷がすざまじい剣幕で鷹明の胸倉を掴み上げた。
「いいか、二度と俺の仕事に同行するな!」
掴み上げた胸倉を乱暴に離し、東谷は作業部屋を出て行った。鷹明は、絶句している。
「あれ、訴えていいと思うっすよ」
入枝の、励ましかアドバイスかわからない言葉だけが、部屋に残っていた。
数日後、鷹明が書いた仕事のレポートを橘が読んでいる。
「初めてにしては上出来ね。最近の若い子ってほんと仕事が早くて助かるわ」
「ありがとう…ございます」
疲労感が半端ない。顔を上げることが出来ず、鷹明はずっとうなだれていた。
帰ってきてから分かったことだが、東谷と異世界へ転移してから1ヵ月も経っていたらしい。鷹明にとってはたった6日であったが…そういえば、時間間隔が世界によって違うと他のレポートで読んだ気がする。その事実を聞いて、本当に異世界に飛んでいたのだなと痛いほど感じた。王都までの道のりが3日だったからよかったものの…もっと長い日数がかかっていたら…。東谷が激昂するのは当たり前だ。時間をかければかけるほど、こちらに戻ってくる日数が伸びていく。最悪、戻ったら数年経っていたなんてこともあるかもしれない。まさに浦島太郎状態だ。
「あまり落ち込まないで鷹明くん。あなたのやったこと、それほど悪いことじゃないと私は思うは」
レポートを読み終わった橘が鷹明を励ます。
「確かに、一秒でも早くこちらに戻ってくることを信条にしている春生くんのやりかたは正しいわ。時間間隔のこともあるけど【回収者】が異世界に長くいればいるほど、異世界に馴染んで帰らなくなることもある。そういった考慮もあるの。【回収者】を見つけることに関しては、春生くんはずば抜けて早い。自分の服装や小道具を生かした探索法…。毎回感心するわ。他の子じゃ少なくとも【回収者】を見つけるのに1ヵ月はかかるのよ?ただの飲んだくれのギャンブル依存症に見えて、春生くんも結構色々考えてるのよ」
そうとも知らず、勝手に遠野を励ましてしまった。指示なしに勝手なことをするのは社会人にとってご法度だ。
橘が、苦笑している。
「…鷹明くん。遠野道夫はこれからどうなると思う?」
「どうって?」
向井が顔を上げた。
「彼はこの世界で、生きていけると思う?」
「どういうことですか?」
「【回収者】がこちらに戻ってきてからどうなるか、だいたい3つのパターンに分けられる。一つは“異世界で学んだことを生かして、この世界で有意義に暮らしてる人”でも正直これはほんの一握りしかいないわ。そして“普通の生活に戻る人”これが大半を占める。異世界転移前とあまり変わり映えのない生活を送る。まぁ多少の人間関係や生活の変化はあるけど、目を見張るような変化はない。そして最後に“自殺する人”よ」
「え…」
「死んじゃうのよ。理由は様々だけど、やっぱり異世界が良かったとか、この世界は絶望しかないとか…誰かの願いでこの世界に連れ戻した命なのに、その命はあっさり絶たれてしまう。東谷君が任されるケースは、2番目がほとんどで、3番目のケースも例がある」
「そんな…それじゃぁ異世界にいた方が良かったんじゃ…」
「そういう【回収者】がいるのも確かよ。私たちがやっていることは『おせっかい』だと言われても仕方ないでしょうね」
じゃあ、遠野道夫は…どうなるのだろう?彼ももしかしたら…。
「一色くん。覚えてる?この前私と春生くんと話してた男の子」
はい、と言おうとしたが、言葉が出ない。息が、苦しい。
「一色くんはね、例え何年かかろうと【回収者】を説得する。そしてこちらに戻ってきてからも全力でフォローする。戻ってきたあとのフォローは仕事じゃないから給料は出ないんだけどね…一色くんの【回収者】は、圧倒的に2番目か、1番目のケースもある」
ハッ、と、ようやく息が出来た。
「春生くんと一色くん。やり方は真逆。でもどちらが『正しい』わけじゃない。それぞれが自分のやり方を信じてこの仕事に向き合ってる。遠野道夫のケース。東谷君一人なら2番目か…3番目の結果に陥っても仕方ない。でも、あなたの励ましがあった。私は、遠野道夫は死を選ばないと思うわ」
やばい。泣きそうだ。
「異世界へ転移してしまう人のほとんどが、心に深い傷を負った人達ばかりよ。その人たちを“連れ戻す”のか“救う”のか、あなたもゆっくり考えてみなさい」
橘が鷹明の頭を撫でる。鷹明の目からポロリと涙が落ちた。
「橘さん仕事です!って、あれ?向井さんどうしたの!橘さんに泣かされちゃったの?」
仕事を持ってきたらしい目黒が、泣いている鷹明の顔を覗き込む。
「ひぎゃ!」
「違うわよ、新社会人の洗礼を受けた鷹明くんを励ましてたのよ」
「あ!もしかしてまた東谷さんにひどいこと言われたんですか!そういうことは堂々と私に報告してください!パワハラ絶対に許しません!」
「違うんです!あの!」
鷹明は乱暴に涙をぬぐった。
「あの!俺!まだわからないことばかりで…遠野さんのこと…東谷さんのこと…他にもいろいろ…本当になにもわからなくて、どうしていいかわからないんですけど…俺、ここで、頑張りたいです!」
「そう…ですか」
目黒がきょとんとしている。
「向井さんにも報酬が入ってるので、少し休んで色々考えてみてください。確かに、この仕事って考えさせらえることが多いですから…さて、橘さん。仕事の話を進めましょうか」
「OK雛ちゃん」
4階フロアの扉が開いた。東谷だ。
「目黒ー仕事ねぇのか?」
「あ!東谷さん!新人いじめはやめてくださいよ!」
「あ?いじめてねぇよ教育したんだ」
「そういうの!最近はパワハラっていうんですよ!」
「何でもかんでもハラスメント付けやがって。これだから若いやつは…」
「その発言がパワハラです!っていうかどういう神経してるんですか!異世界行ったら精神疲れで、心が整うまでだいたいみんな1ヵ月くらいは休むのに、東谷さんすぐ仕事仕事って…本当に人としての感情あるんですか?」
「お前のその発言もパワハラじゃねぇのかよ」
「私のは小言です!」
東谷と目黒の言い争いを見て橘が笑っている。
「あの喧嘩はうちの会社の名物よ」
「そうなんですか…」
初めて見る光景なのに、なんだか日常に戻った気分になる。
この仕事“連れ戻す”のか“救う”のか…それは自分のやり方によって左右されてしまう。なんて重い仕事なんだろう。まだ当分、どうすればいいのか決められそうにない。けど、まだこの仕事を続けたいと、鷹明は思った。
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