第6話 天使と下着

「今日は服を買いに行きましょう」

 エルアーリアはバスローブから元の服に着替えてくるなり、急にそんなことを言い出した。

「俺は服なんかいらんぞ」

「もちろん、私のです。着替えがないのは困ります。さすがに下着は毎日つけかえたいです」

「なら、買ってこいよ。俺はここでテレビ見てるから」

「あー、これだから童貞は嫌なんです。一緒に行って買い物に付き合えば女の子のことが少しは理解できるかもしれませんよ? というか、女の子の下着に興味は無いんですか?」

「下着ねぇ……」

 昨日のエルアーリアの下着姿を思い出してみようとしたが、思い出されるのは度重たびかさなる暴力でしかなかった。

「確かに興味ないと言えば嘘になる。だが、大切なのは誰が身につけているかだ。おまえのそれはただの布きれ程度にしか思えないな」

「ひどっ!」

「試しにパンツ見せてみろよ。第九の触手がちょっとでも反応したら買い物に付き合ってやる」

「本当ですね」

「俺も筆頭剣聖だった男。約束は必ず守る」

「わかりました。じゃあ、どうぞ」

 恥ずかしがる様子もなくスカートをたくし上げてピンク色の布きれを見せつけるエルアーリア。

 ただの布きれなのに。

 レースあしらっているだけなのに。

 可愛いデザインだけど本当にただの布きれなのに。

 それを見た瞬間、第九の触手がムクムクっと起き上がってしまった。

「はい、私の勝ちですね」

 スカートを元に戻すエルアーリアの顔は真っ赤になっている。

 敗北したロパの顔も真っ赤になっている。

 お互いにもじもじしながら沈黙してしまう。

「悪い……ちょっと…調子に乗ってた……」

「私もです……。こういうのはよくないですね……」

「ああ、よくないな……。でも…目の保養にはなったよ……」

「そうですか……」

 気まずい雰囲気に耐えきれなくなったロパは再びテレビに視線を戻す。

 だが、頭の中は先程見たパンツのことでいっぱいになっていた。

「まあ、暇だしな。勝負にも負けたことだし、買い物に付き合ってやるよ」

「よろしいのですか?」

「ああ。こういうことに少しずつなれていかなきゃダメだからな」

「ありがとうございます」

 そんな風に素直にお礼を言われるとなんだかこそばゆい感じがした。まだ気恥ずかしさも残っていたのでテレビを見たまま触手を振って応える。

「腹が減ったな」

 ロパは思い出したようにつぶやく。

 朝からお茶ばかり飲んでいたのでそろそろ何か腹に入れたかった。

「ルームサービスを頼みますか?」

「連れ込み宿にルームサービスなんてあるのか?」

「今のラブホはとっても便利なんですよ」

「詳しいな。男とよく行くのか?」

「地上で飲み明かしてちょっと天界に帰りたくない時によく利用しました。もちろん、一人ですよ」

「そういうことにしておくよ」

「本当に一人ですからね。信じてください」

 そう言われても、こんなところに一人で泊まるとは思えない。

 やることやってんだなぁ、と思うとエルアーリアの存在が急に遠くなったように感じられた。

「ま、とりあえず腹ごしらえだな」

「そうですね」

 エルアーリアが部屋にある伝声水晶でフロントに伝えたら本当に朝食を持ってきてくれた。パンとスープだけなら無料らしいが、スクランブルエッグとサラダをつけてもらったようだ。味も悪くはない。ラブホテルマスターのヤリマン天使エルアーリアの言うとおり最近の連れ込み宿は便利に出来ているようだ。

「ところで今日は何処どこで買い物するんだ?」

「デパートに行きます。お金ならありますから」

「なんでそんなに持ってるんだよ」

「地上に降りた時に投資でコツコツ貯めました。守護天使権限で閲覧できる全ての情報を駆使し、ゼロリスクハイリターンの投資を繰り返したんです」

「限りなくインサイダーに近いやり方だな」

「内部情報を不正入手したわけではありませんから見かけ上は合法です」

「それを合法と言い切るおまえの面の皮に脱帽だな」

 天使とは本来人に神の意志を伝えるのが仕事だ。不正入手した情報でインサイダー取引まがいの投資をすることを神が指示するはずがない。神の目を盗んでやったことなのだろうが、それが出来てしまうこと自体にちょっとした恐ろしさを感じるロパであった。

「さあ、今日はいっぱい買いますよ」

 朝食を食べ終えたロパは不正な貯蓄を全く悪びれる様子がないエルアーリアと散策しながらデパートに向かった。

 十年前、二階建ての小さな店舗だった老舗デパートはいつのまにか十階建ての立派な建物に変わっていた。ここなら何でも揃うというエルアーリアの説明通り、様々な商品が売られている。その品揃えは帝都のデパートにも引けを取らない。

 色々と見て回りたい衝動に駆られるロパであったが、まずは婦人服と婦人肌着が売られている三階を目指す。

 婦人肌着のコーナーはエスカレーターを降りてすぐのところにあった。

 色とりどりの下着が陳列されているのがいきなり目に飛び込んでくる。女性の下着は形も色も本当に様々だ。見ているだけで華やいだ気分になれる。男物とは全く異なる下着の世界がそこにはあった。

「せっかくだし、一緒に選びましょうよ。ロパさんはどんなのが好みですか?」

「いや、俺は……」

「かわいい系ですか? それともセクシー系ですか?」

「いきなり言われても……」

「そうですよね。じゃあ、適当に見繕みつくろってきますので選んでください」

 エルアーリアは上機嫌で店の中に消えていく。

 ロパはさすがに店の中に入る勇気は無く、入り口から少し離れた位置に立つ。

「ロパ様…ですか……?」

 声を掛けられ、驚きながら振り向くと、見慣れた顔がそこにあった。

 腰まで伸びるプラチナブロンドの髪に、尖った長い耳。エルアーリアよりも背は高く、すらりと伸びた手足も長い。胸の大きさこそ控え目だが、その体型は間違いなくモデル級。上品で柔和にゅうわな顔の造形は美しく、華やかで、口元の黒子くろほが妙に色っぽい。エルアーリアに匹敵するその美貌の持ち主にロパは心当たりがあった。

「フローラ! フローラ・フェニクスか!」

 そこにいたのは紛れもなく天下十二剣聖第七席だった。

 精霊の森に住まうハイエルフの巫女みこにして天下十二剣聖の一人。

 傷を癒やし、やまいを斬る刃無き聖剣ナイチンゲールを操る彼女の名はフローラ・フェニクス。

 その強さと共に、人類同盟軍の至宝とまで言われた美貌はいまだ健在のようだ。

「やはりロパ様でしたか!」

「こんなかっこうなのによくわかったな」

「魂の輝きが違いますからね。どんなお姿をしていても見分けられますわ」

「さすがは精霊の森の巫女みこだな」

「お褒めにあずかり光栄です。しかし、そのお姿はどうなされたのですか? あの後、天使が連れて行ってしまったのでずっと消息がわからなかったのですが……」

「なんか、生まれ変わるのに十年もかかったらしい。そして、目覚めたらこの姿になってた」

 嘘は言っていない。

 不都合な真実を除いて事実をありのままに述べただけだ。

「なんと…おいたわしい……。そのようなお姿に生まれ変わらせるとは……。神様もむごいことをなさいますわ……」

「やったのは俺の守護天使らしい。なんか、一緒に地上についてきて、今はそこで買い物している」

 ロパは触手で下着売り場を指さす。

「どなたですか? 私が一言文句を言って差し上げます」

「別に良いよ」

「よくありません! 凜々しかったロパ様をこんな姿にされて黙っていられるわけがありません! 天下十二剣聖第七席として正式に抗議させていただきますわ!」

 フローラは言い出したら聞かないところがある。

 折れるという選択肢はほぼ皆無なので、同じ十二剣聖の仲間だけでなく人類同盟軍とのいさかいも絶えなかった。

 ついでに言えば頭を下げるのも嫌い。

 自分が認めた人物や、明らかに立場の弱い人を除くと結構な確率で上から目線になる。

 エルアーリアと相性が良いとはとても思えない。

 戻ってくる前になんとか立ち去ってもらおうと思ったのだが……。

「ねぇ、ロパさん、これとこれだったらどっちが似合うと思いますか?」

 エルアーリアが二枚の下着を手に戻ってきてしまった。

「あちゃー」

 お互いに何かを察したエルアーリアとフローラが一瞬で表情をこわばらせる。

 視線が交錯し、火花を散らす。

 まさに一触即発という状態。

 ロパはただそれを黙って見守ることしか出来なかった。

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