第3話 童貞ローパーは天使が悪魔であることを知る

 ちゃぷちゃぷという水音で目を覚ますとそこは泉のほとりだった。

 ロパは小さな泉の近くに生えた木の根を枕にして寝かされていた。

 エルアーリアは近くの水際に座り、透き通るその水をハンカチに浸して体についた白い粘液を拭き取っていた。顔や髪だけでなく服にもベットリと着いた謎の粘液はなかなか落ちないらしく苦戦している。

「迷惑をかけたみたいだな」

 ロパが声をかけながら起き上がると、エルアーリアは視線だけを向けてきた。

「まったく、ひどい目に遭いました」

「すまない……」

「いえ、蛇さんに驚いて声を上げたのは私ですし、あなたがガッチガチのクソ童貞であることを失念していたことにも落ち度はあります」

「………………」

 非難めいたエルアーリアの視線にロパは何も言い返すことが出来なかった。

 天使であるにもかかわらず蛇ごときで悲鳴を上げたのはどうかと思うが、ただの下着姿で失神したロパにも十分な落ち度がある。謎の粘液を撒き散らしてしまったことへの反省もある。天下十二剣聖筆頭にあるまじき失態に忸怩じくじたる思いがこみ上げてきて言葉にならない。

「まあ、免疫がないのですから仕方ありません。でも、下着姿で失神するとなるとHなんて夢のまた夢ですね」

「そう…だな……」

「まあ、徐々にならしていくしかありませんね。それより、その体はどうですか? 触手は動かせていたようですが歩くことはできますか?」

 ローパーに足はない。地面に体の一部が接していて、それが波のように動かして進む。頭ではわかっているが慣れていないので思うように進まない。人間ならたった一歩が十秒以上かかってしまう。

「歩けるが思った以上に遅いな。戦った時はもっと速く動いていた気がしたが」

「人間からローパーですからね。歩けるだけでもすごいと思いますよ」

「こんなんじゃ何処どこへ行くにしても日が暮れちまうな」

「ここは街からさほど離れていませんがいざとなったら野営してください」

「おまえも野営するのか?」

「私は街のホテルで寝ます。今は人間の女の子ですから」

「そうだな。すぐにでも街に向かうといい。街に近くても日が暮れたら危ないからな」

「それはあなたもです。今は弱酸性スライム以下であることをお忘れなく」

 歩くのさえままならない今の状態は確かに弱酸性スライム以下だと言える。魔物はおろか野生動物に襲われても簡単に食われてしまうだろう。

 だが、ロパにだって意地はある。

 弱いから一緒に連れて行って欲しいなんて言えるわけがない。

「俺はなんとかなる。だが、おまえのことが心配なのでついていくことにしよう」

「怖くなったんですか?」

「ああ、怖いね。おまえを一人で行かせることが怖い。何かあったらって考えると怖いな」

「私なら大丈夫です。護身用の法術もありますから」

「また蛇が出るかもしれないぞ」

「あれは急に出てきたので驚いただけです。まったく…もう……素直じゃないですね。一緒に行きたいって言えばいいじゃないですか」

「ついて行っていいのか?」

「一応、元守護天使ですからね。あと、護衛はともかく話し相手くらいにはなりそうですから」

 ロパはこの時、こいつも優しいところがあるんだと見直していた。

 しかし、すぐに過ちだったと気付かされる。

 粘液を拭き終わったエルアーリアがとんでもない移動法を提案してきたからだ。

「ダンゴムシみたいに丸まった俺を蹴飛ばしていくのか?」

 正気の沙汰とは思えない提案にロパは目を丸くする。

「はい、それなら日暮れ前に街にたどり着けるはずです。名付けてボールは友達作戦です」

「蹴られたら普通に痛いし、転がり続けたら酔うだろ」

「ローパーにも三半規管ってあるんですか?」

「いや、それはわからないが……」

「ものは試しです。とりあえず、やってみましょう!」

 とりあえず、やってみる。

 やってみてダメだった別の方法を考える。

 そういう流れだとロパは思っていた。

 だが、エルアーリアは予想を上回る鬼畜っぷりを発揮し、悲鳴を上げるロパを容赦なく転がし続けた。

「ふぅ、どうにか街にたどり着けましたね」

 やり遂げた顔で汗を拭うエルアーリアの横でダンゴムシモードを解除したロパが激しい嘔吐おうとに見舞われていた。どうやらローパーにも三半規管はあったらしく転がり続けたことで酔ってしまったのだ。

「うぇええーっ……おえっ……」

「情けないですね」

「こんな…無理だって…おえっ……」

 ロパは涙を流しながら吐き続ける。道中、ボールのように蹴られ続けたその体はあざだらけだ。痛いし、気持ち悪いし、情けないしで涙が止まらない。

「いつまでそうしているつもりですか。さあ、泊まれるホテルを探しますよ」

 グロッキーなロパを見ても全く配慮する素振そぶりすら見せないエルアーリア。

 ここはすでに街の入り口で人通りもそれなりにあるのだが、通りかかった人達はみなロパが魔物であるにもかかわらず哀れむような眼差まなざしを向けてくる。

「そもそも…うえっ……魔物が…おえっ…泊めてもらえんのかよ……」

「魔王が倒されたことで支配下にある魔物は攻撃性を失いました。今は共存に向けた様々な取り組みがなされていて、愛玩動物のように魔物を飼う人も多くなっています」

「ん? ちょっと待て、いつからそんなことになってたんだ? 魔王を倒したのはつい数時間前だぞ?」

「あなたが生まれ変わるのに十年の月日が流れています」

「聞いてないぞ」

「言ってませんから」

 さすがにロパも頭にきてエルアリーアに向かって触手を伸ばす。

 だが、即座にはたき落とされ、カウンターでボディーブローを打ち込まれた。

「あがっ……」

 魔王の一撃を受けたかのような衝撃を受け、ロパは地面に転がった。

「今のあなたは弱酸性スライム以下です。この私に逆らおうなどとはゆめゆめ思わないことですね」

 見下ろすエルアーリアの視線は氷のように冷たく、それはまるで悪魔のようだとロパは思った。

 いつかブチ犯してやる。

 という言葉を口にする勇気は今のロパには無かった。

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