『春夫先生』と愉快なお酒たち

 俺らに向けた新入生歓迎パーティはもう二時間経過し、次の時間に突入したころだ。

 いつの間にか四月も中旬になっていた。

 その事実をこんな時間になっても俺らを照らす夕陽を見て実感した。

 らしくもなく風流を覚えながら、コップに手を伸ばす。

 リンゴジュースは人気だったようですぐ品切れになり、口に含むのは酸味の強い味に変わっていた。


「じゃあ改めまして、俺が顧問の如月春夫だ。四月産まれだから『春夫』なのに名字は二月だ。覚えやすいだろ? ぜひ〝春夫先生〟と下の名前で呼んでくれよ」

「先生のツマミもらうわ。俺これ好きかもしれん、さきいか」


 数が減ったのはお菓子も同じで、しかも買ってきたのは甘いものが大多数だった。

 それ故に先生のツマミにちひろ先輩の手が伸びるのも仕方がないというものだ。

 加奈先輩は机に突っ伏してぐっすり、燈火先輩はそれを慈愛に満ちた瞳に映していた。


「どうだお前ら、この部活は」

「どうと言われましても、まだ何も活動してませんし何とも……」

「俺はすごく良い雰囲気だと思いますよ。悠先輩は最悪だったけど」


 おい何故睨む、凛さんや。さっきからこうだけど、俺は何も悪いことしてないぞ。

 キッと向けられた切れ長の目。長い前髪で大部分が隠れているとはいえ、それでも鋭利な存在感を放つ。


「ははっそうか。まあ何か悩んだら俺に言え。何とかしてやるから」

「悠先輩も良い方ですよ。描く絵も色彩がとてもきれいで、見ていてとても気持ちがいいです」

「まあ確かにあれ描ける高校生はそう簡単に見つかるもんじゃないな」


 お猪口と言うのだろうか。お酒から連想される土器のような小さい器を、大きな手で持ちながら燈火先輩の言葉に続く。

 というか、悠先輩は小説以外に絵も描けるのか……

 全く何者なんだあの人。

 新歓の日も少し見せてもらったが、そこらで売っている小説と何ら変わらないレベルだった。

 いや——正直それ以上だった。

 人によると言えばそれまでだが、少なくとも俺は、あれと同じくらいの感動をここ数年したことが無いほどだった。

 卓越した言葉選びや文構造が惜しげもなく繰り広げられ、難しい漢字も多いのにつかえることなく読み進められる。

 脳に浮かぶ映像は異常なまでに鮮明で、音やにおいまでもが〝これは現実だ〟と訴えかけてくるようだった。

 パソコンに書かれているページが二百を超えたところで、やっと部室に悠先輩がいないことに気が付いたくらいだ。


「悠が描いてたのってどこの棚に仕舞ってあんだっけ?」

「ああ先生、お酒を飲んでいるんですから急に立つと危ないですよ。私が行きます」

「それは助かる。やっぱ持つべきものは優しい生徒だな」


 同時に学校で酒を飲む教師は〝持つべきでないもの〟だと思った。

 燈火先輩は棚の方に向かっていき、上から三段目、一番左の棚を引く。

 そこから紙を一枚取り出し、机に置く。


「これだもんなぁ、全く才能なのか何なのか。くぅ~憧れるぜ」

「でもちひろは絵じゃなくて作曲メインですよね?」

「そうだけど…… 絵に限らず俺もこれくらいやれるようになりてえってことだよ」


 先生や燈火先輩の言う通り、悠先輩は絵も素晴らしく綺麗だった。

 夕暮れ空のグラデーションがすさまじく、カラーサークルを一周しそうなほど様々な色彩が混ぜ合わされていた。

 映っている女性とその隣にある桜の木は、光の加減やタッチの癖など、他のイラストレーターとは一風違った表現だった。

一度見ればはその後、これが誰の絵かを間違えることはありえないだろうというほど個性が強い。


「その悠先輩はどこにいるんですか‼」

「ひぅッ!」


 凛さんは見惚れているのかと思いきや、発したのは質問だった。

 しかも大きな声と共に勢いよく起立して。

 驚いた加奈先輩が起こされ、拍子にがこんと音がした。

 机に足をぶつけたようで状況がわからないまま悶える。


「あ、あぁ。生徒会室じゃないか? この校舎の一階、階段を下りて右向いたら一番奥の部屋がそうだ」

「私行ってきます!」


 せっせと荷物を担いで出て行ってしまった……

 あの絵を見たなら、物静かだった凛さんが、黒髪をたなびかせて廊下をドタバタと走っていくのも分からなくはない。

 ——がしかし、何のために?


「燈火ちゃん、どうしたの……?」


 痛みが落ち着いてきたのか、状況確認を試みる加奈先輩。

 瞳には涙が浮かんでいる。それはあくび故か、痛み故か。


「さあなんでしょうね。先生は知っていますか?」

「こんな酔っ払いが知るわけないだろう、ひっく」

「あらぁ、飲みすぎですよ。でも私もそろそろ……」

「お前は酒飲んでないだろ」

「……うふっ。そうですねぇ」

「は、嘘だろ⁉ それはさすがにまずいって。おい、嘘だよな……?」


 先輩たちの和やかなやり取りと共に、下校時刻の訪れが近いことを知らせる鐘が鳴る。

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