第69話 《紅血の魔女》


 イブキはその場を動けずにいた。目の前の少女の瞳に見つめられた途端、頭がずきずきと痛み始めたのだ。イブキは頭を抑えたまま、少女から視線を外さない。


「どうしたのよ、イブキ!?」


 隣にいるテトの声が、遠く聞こえる。すると、少女の桜色の唇がそっと開いた。


「――久しぶりですね、《災禍の魔女》」


 可愛らしい顔つきからかけ離れた、とても落ち着いた声音だ。

 すぐに頭痛が治まると、イブキは少女へ応えた。


「あなた、誰? わたし、あなたのこと知らないんだけど……」


 少女は口元に手を当てて、「ふむ」と頷いた。


「チェインに聞いた通りですね。ボクと同じく、《精神移管》の影響でしょうか」


 ――チェイン。世界を作り直そうとする《魔女の茶会》の一人――《鎖の魔女》だ。


 その名前を聞いた途端、イブキは全てを理解した。

 目の前の地獄を作り出したのは……。


「あんたが、これをやったの?」


 そう問いかけたのは、テトだった。隣のテトも、少女のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、猫耳を立てて警戒している。


 少女は隠すことなく、にっこりと笑って肯定した。


「ええ。昨日の参加者も、ボクが殺しました。これだけ貴族たちを殺せば、嫌でも話題になるでしょう? ボクたち《魔女の茶会》のいい宣伝になると思うんですよねぇ」


「《魔女の茶会》?」


 そうか、テトは知らないのか。イブキはテトへ「悪い魔女の集団よ」とだけ告げた。

 イブキは続けた。


「あなた、わたしのこと知っているの? それに、《精神移管》ってなによ」


「ふふ。あなたの中に、ボクに関する記憶が残っているはずですよ。ほら、思い出してください」


 そんなこと言われても、イブキがこの世界にやってきたのは、ほんの少し前だ。目の前の少女に関する記憶なんか、持ち合わせているわけがない。


 ――そのはずなのに……。


 イブキの脳内で、見たことのない景色が弾けた。知らない人たち、知らない場所――まるで走馬灯のように、記憶が逆流していく。


 イブキは、彼女を知らない。知らないが、確かにしている。

 名前を知っている。目の前の少女は、魔女だ。それも、二つ名持ちの。


 少女の背後で、人影が揺らめいた。なんと、あの嫌味ったらしいニードル兄弟が、息を揃えて少女へ魔法を放とうとしていたのだ。


 だが、ニードル兄弟は動きを止めた。なにもない空間からいきなり金色の鎖が現れ、ニードル兄弟の手足を拘束したのだ。


 イブキたちの背後に、銀髪に金色の瞳をした女性がいつのまにか立っていた。美しいが、不気味な女性だ。


(囲まれた……!?)


 イブキは口元を引き結び、唸るように言う。


「チェイン……!」


「久しぶりねぇ、《災禍の魔女》さん」


 相変わらず抑揚の無い声だ。金色の瞳の奥には闇が潜んでいて、イブキとテトをじっと視界に捉えている。


 イブキは、先程の少女の方へ振り返る。テトは、チェインの方を警戒してくれていた。

 少女は足元の死体を踏みつけ、くすっと笑った。少女が指を鳴らす。すると、背後で拘束されていたニードル兄弟の体が、突然弾け飛んだ。


(……っ!!)


 肉片と、真紅の血液が飛び散る。ニードル兄弟を拘束していた鎖も消え、少女は血の雨を腕を広げ受け止めた。

 イブキはついに胃の中の物を吐き出してしまった。直視していなかったテトが羨ましい。あんなに簡単に、人は死ぬのか……。


「ボクのこと、思い出しましたか?」


 イブキは息を整え、顔を上げた。口元を拭い、声を絞り出す。


「――《紅血の魔女》、ドロシー……」


 《紅血の魔女》については、ドナーから聞いていた。だが、名前までは聞いていない。そのはずなのに、イブキの記憶にははっきりと少女の名前が刻まれていた。


 少女は手についた血を舐め取り、妖美な笑みを浮かべる。


「ようやく思い出してくれましたね。今すぐ、魔術という名の呪いから、助けてあげます。もう少し待っていて下さいね、コノア」


(コノア……? わたしのこと……?)


 その直後、最強の魔女――ドロシーの頭上に、雷の槍が無数に現れた。全ての矛先はイブキへ向いている。イブキも魔術を発動し、魔力で象った剣を頭上へ生み出した。


 背後で、チェインとテトも戦闘を始めたようだ。


 ドロシーが雷の槍を放ってくると同時に、イブキも魔力の剣を解き放った。

 雷槍と魔力の剣が互いにぶつかり合う。激しい音が幾千と鳴り響き、互いに撃ち落としあう。


 世界を滅ぼす《災禍の魔女》と、最強と名高い《紅血の魔女》――。

 二人の魔女による決戦が始まったのだった。

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