第45話 《そして幼女さんは……》

 


 火が完全に収まるまで、イブキとレーベは互いに空を見上げていた。分厚い雲から落ちる雨に、全身ずぶ濡れだ。だが、今はそれが心地よかった。

 フィオは、「あたしまだ仕事があるからー」と言ってそそくさと《塔》へ戻ってしまったのだ。まったく、彼女が世界の予言を統括する大司教だなんて、未だに信じきれない……。


「ありがとう」


 突然、地べたに座り込んだままのレーベがそっと呟いた。イブキは気味が悪くなって、わざと一歩足を引いた。


「な、なによ、いきなり」


「エネガルムを火の海にしようとしていたアタシを止めてくれて。あとは、チェインから守ってくれたこととかね」


「別に、リムル神の予言が気に食わなかっただけよ。チェインについては――まあ、またゆっくり聞くとするわ」


 空一面に広がっていた紋章が、端の方からゆっくりと消滅していく。合わせて、分厚く重なっていた雲も引き離され、また太陽と青空が姿を現した。

 地面や、家の壁の水滴に、陽光が照り返される。足元に広がる水たまりには、安心して微笑んでいるイブキの表情が映っていた。


 と、空から人型に戻ったハーレッドが飛び降りてきた。隣に着地したハーレッドに、イブキは驚いて飛び退く。


「も、もっと静かに降りてきなさいよ」


 ハーレッドは、小さなイブキを見下ろし、


「ふむ、別にいいではないか」


 そして座り込んでいるレーベをじっと見つめた。レーベも、ハーレッドの視線を受け止めている。すぐにでも爆発しそうな雰囲気だ。

 ハーレッドは、「ふん」と鼻を鳴らした。


「良い様だな。俺の仲間は殺されたのに、貴様は生きている。仲間が味わった苦痛を、貴様も味わえばいいさ」


 ハーレッドが右手をレーベへ突き出し、爆炎魔法を展開しようとする。イブキが慌てて止めに入ろうとするが――。


「おやめなさい」


 突然、声が聞こえてきた。透き通るような声だ。


 声の方を向くと、白い髪に褐色の肌の女性と、同じ髪と肌色の屈強な肉体を持った男性が毅然と立っていた。その背後にも、複数の男女が見える。――竜人族だ。

 ハーレッドが動きを止めて、声を絞り出す。


「……は、母上、父上……?」


 お父さんとお母さん!? とイブキは素っ頓狂な声を上げる。やはり、どう見ても若く見えてしまう。


 お母さんが、諭すように言う。

 

「久しぶりですね、ハーレッド。今、あなたがやろうとしていることはただの復讐です。あなた自身の手を汚すのはおやめなさい。これから、あなたが竜人族を率いていくのだから」


 お父さんが腕を広げる。


「さあ、来い。息子よ。これまでの話をたっぷりと聞かせてくれ」


 ハーレッドは少しの間悩んでいたが、そっと体の力を抜いた。そしてレーベへ一度視線を向けてから、両親の元へと歩みだすのだった。

 あの様子だと、フレイもブレインの元へと向かっているのだろう。他の竜人族たちも、無事で良かった。


(家族、か)


 イブキはあっちの世界にいる家族のことを思い浮かべる。口うるさい両親、ファッションがどうとか説いてくるギャルの妹。

 こっちの世界では、イブキは一人ぼっちだ。別に一人が嫌いなわけではない。ただ――。


「がっは! なんて顔をしているんだ!!」


 イブキの頭に、ごつごつとした大きな手が乗せられた。振り返る前から誰なのかわかった。イブキは腕を振り払って、背後の人物へ踵を返し悪態をつく。


「うっせー! 疲れてるだけだし!」


「そうか!! というか、なんでお前がエネガルムにいるのだろう!」


 ぎくっ。


 イブキは頬を引きつらせ、下手な口笛を披露してみせる。そんなイブキを救う人物が一人。


「イブキさん! やりましたね!」


 ドナーの巨体の陰から顔を出したのはリリスだった。リリスは額から血を流していたが、それ以外に大きな怪我は無さそうだった。


「リリス! 良かった、無事だったのね」


「はい。ノクタ団長がかばってくれたおかげで……。ノクタ団長も無事です。ただ、腕を怪我して、今プレアーネさんの治療を受けているところです」


(ちっ、無事だったのかあいつ)

 

 とは思っていても言うまい。


「……そっか。シャルは?」


「お姉ちゃんも、助かるみたいですっ。まだ目を覚ましていないみたいですけど、もう大丈夫だって……」


 安心しきったのか、リリスは目元に涙を浮かべてわんわんと泣き出した。慌てたドナーが冗談を言ったりして、慰めようとしている。

 イブキは、あたふたとしているドナーをからかってやるのだった。


 その後、レーベは氷花騎士団によってどこかへと連れて行かれた。ただその間も、レーベはお母さんの日記を手放そうとはしなかった。

 これからレーベは罪を償う。色々と質問攻めに合うと思うが、彼なりに覚悟は決めているはずだ。


 ハーレッドたち竜人族は、これから故郷へと戻るらしい。レーベが捕まり真実が公にされた今、彼らを追うものはいない。サイハテの荒野も恋しいらしいが、竜人族の里の復興を進めていくのだそうだ。


「いつでも遊びに来い、イブキ。必ず、精一杯のおもてなしはしてやる」


 というハーレッドの言葉に、イブキは頷いてみせた。


「必ず、遊びに行くわ。それまでは、王様として、ちゃんとみんなが住みやすい里にしておいてね」


「無論だ。父上と母上には、これからたくさん教えてもらうこともあるしな」


 そうして、ハーレッドたちはエネガルムを去っていった。また会えるとはわかっていても、寂しいものだ。


 後から聞いた話だが……フレイだけはエネガルムに残ったらしい。そして、ブレインとまた幸せに暮らしているそうだった。あの二人は、それでいい。最後のその瞬間まで、彼らはずっと一緒にいるべきだ。


 レーベの件を受けて、ノクタとプレアーネ以外の他の魔法七星が招集されたらしい。その頃にはイブキもエネガルムを出て、草原にある家へと戻っていた。ノクタには、「お前がエネガルムへ侵入したことは許せないが、結果的に助かった」と怒っているのか感謝しているのかわからない言葉を掛けられた。



 こうして、竜人族の予言の件は幕を閉じた。


 まだまだ問題は山積みだろうが、嫌われ者の《災禍の魔女》さんには関係のない話だ。イブキが侵入した水路の入り口も閉ざされてしまったみたいで、もうエネガルムの中へ侵入することは難しいだろう。


 サイハテの荒野での竜人族との戦闘から始まり、エネガルムへのすにーきんぐ・みっしょん、さらにはブレインやフィオにも出会い、そしてレーベとの決戦――。


 この世界にやってきたのが、随分と昔のように感じる。


 イブキはベッドへと潜り込んだ。すでに時刻は深夜を回っている。今日、エネガルムで死闘を繰り広げていただなんて嘘みたいだ。


 エネガルムが今どんな状態なのかはわからない。が、予言を覆したのは事実だ。


 《災禍の魔女》イブキとしてのストーリーはまだまだ先が長い。早く現実世界へ戻って、《社畜》唯吹としてのストーリーも進めないと……。


 だが、前にも言ったが異世界生活も案外悪くない。たくさんの人と出会って、たくさんのことを経験する。この充実感は、久しく忘れていた感情だ。


 イブキは目を瞑った。眠気がピークに達する。本当に、疲れた。


 最後には、あっちの世界へ戻る。必ず、退職届を叩きつけてやるのだ。


 そして――その後は――。


 幼女さんは、ぐっすりと眠りにつくのだった――。





【王都炎上 完】



 




 


 


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る