第44話 《雨》
イブキが目を瞑ると、首元のタトゥーが真紅に輝き始めた。魔力をどんどん集中させる。この魔力がどこから来ているのかはわからないが、使えるなら問題ない。
イブキが目を開き、溜め込んだ魔力を開放する。すると、空を覆う炎に異変が起き始めた。
炎の勢いがどんどん弱まっていく。
降り注いでいたはずの火の玉も、いつの間にか消えている。上空では竜の姿のハーレッドが、身を翻してイブキへ応えている……ように見えた。
さらにイブキが魔力を込めると、突風でも起きたかのように、空を覆っていた炎が四散した。
ようやく姿を現した青空。太陽が高い位置で陽光を放っている。雲ひとつ無い空だ。
(あれ……こんなに、天気良かったんだ)
戦闘続きで、さらに炎が覆っていたこともあり、これほど快晴だとは知らなかったのだ。
関係のない事を考えだした途端、イブキの魔力が乱れ始める。イブキは零れそうになった水を受け止めるように、「おっと」と慌てて魔力の流れを正す。
レーベとフィオは、感心しているようだった。それぞれ青空を見上げている。フィオに至っては、
「おー。太陽まぶしー」
と呑気なことを言っている。
一先ず、これ以上エネガルムに火の玉が降り注ぐことはない。あとは――。
イブキは広場から、街の様子を眺めてみた。
建物がごうごうと燃えていて、黒煙を立ち上らせている。リムル神がいる《塔》と氷花騎士団本部はなんとか無事みたいだが、このままでは火が移るのも時間の問題だろう。
(一つずつ消していったんじゃ、間に合わないか)
あくまでイブキの感想だが……エネガルムは、無駄に広すぎる。こんな広範囲を、普通なら一人でカバーできるわけがない。
(……ま、わたしはふつーじゃないけど)
イブキは息を吐いた。今までで一番、集中力と魔力を使っている気がする。
サイハテの荒野でハーレッドと戦った時みたいに、闇雲に魔術を使うだけではだめだ。もっとコントロールして、思い通りに魔力を扱わないといけない。
「できないかも」だとか「どうすればいい」だとかは考えない。そう考えてしまったら、イブキの魔術は発動しなくなってしまう。どんな状況でさえ、自分を――魔術を信じる必要がある。
「――いくわよ」
鼓舞するように、イブキが呟く。
すると、エネガルム上空の青空一面に、巨大な紋章が浮かび上がった。イブキの首元にあるタトゥーと同じものだ。
真紅に輝く空の紋章。まるでエネガルムを飲み込もうとしているかのようだ。レーベとフィオは絶句している。
イブキは念じ始めた。魔術は事象を引き起こす。ならば、こんなことだってできるはずだ。
――空へ浮かび上がる紋章に引き寄せられるように、遠くの空から分厚い雲が流れてきた。青空が、次第に雲に飲み込まれていく。分厚い雲から、なにかが零れる。
と、イブキの頬に水滴が一つ、落ちた。
雨だ。イブキは魔術を使って、なんと天気までも操り始めたのだ。だが、これがゴールではない。
イブキが指を鳴らすと、雨が勢いを増した。それは燃え盛るエネガルムへ降り注ぎ、大地を水で濡らし尽くす。
一番火の手が酷かった場所も、雨に打たれ続けると次第に鎮火していった。
「わぁ……火が消えてくよー」
フィオがぴょんぴょんと跳ねて喜んでいる。相変わらず気持ちに素直な子だ。
あとは時間が解決してくれるだろう。
イブキは体に疲労感を覚え、膝に手をついた。魔力より、集中力を酷使するほうが堪えてしまう。
イブキはリムル神の予言を思い返し、にやりとした。
『エネガルムは火の海になり、レーベが最強の魔法使いとなる』
だがそうはさせなかった。火の手はどんどんおさまっていく。遠くで、歓声が沸き上がっている。
レーベは、イブキへ気持ちの悪いウィンクをしてみせた。「よくやったわ!」とでも言わんばかりだ。相変わらず、破壊力は抜群だ。
(……やっぱり、リムル神の予言は覆すことができる)
これからだってそうだ。世界を滅ぼす存在である《災禍の魔女》が、エネガルムを救ってみせたのだ。半年後の予言だって、必ず覆してやる。
――この日、初めてリムル神の予言が『外れ』た。予言を事前に無かったことにすることはあっても、予言の出来事が起きてから事態を食い止めることは、この世界では不可能と伝えられてきたのだ。
それが世界を良い方向へ導くのかはわからない。もしかしたら、悪い方向へ事が進んでいるのかも……。
イブキは雨に打たれながら、体の力を抜いた。
そして、現実世界でも幾度となく呟いてきた言葉を、当たり前のように吐き出すのだった。
「……あー、疲れたぁ……」
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