星火祭

第46話 《冷たい牢獄で少女は笑う》



 監獄島は、別名「死の島」と呼ばれている。


 一年中雨が降り続き、空を覆う暗雲の間では稲光が弾ける。雷鳴と落雷が交互に繰り返される情景は異様以外のなにものでもない。

 監獄島は腕っぷしの強い魔法使いが配置され、脱出防止の設置魔法まで展開されている。さらに、島を取り囲むのは荒れ狂う大海原ということもあり、誰一人としてこの監獄島から脱走できたものはいない。


 ――監獄の最上階。


 鉄格子に囲まれた、じめじめとした牢屋。四方を囲むは苔むした石で、天井からはひたひたと雨が漏れている。


 その部屋の奥で、一人の少女がなにもない壁を見上げていた。


 肩まで伸ばした胡桃色の髪は、丁寧に手入れをされているのか、さらりと流れている。体つきは比較的華奢で、ここの囚人が着させられる無地のシャツとスボンを身につけていた。囚人だが、首元には、加護を断ち切って魔法を抑止するリングは取り付けられていない。それもそのはず。は、加護がなくとも魔法を使えてしまう。だから、この少女には意味がないのだ。


 その少女が、鉄格子の方へ振り向く。歳は20にも満たないのだろう。少女らしい顔つきだが、他の誰とも違うところが一つ合った。


 瞳の色が、右は空色、左は真紅、と異なっていた。少女は鉄格子の奥をじっと見た。暗闇に紛れて、看守の男が立っていた。その看守へ、少女は透き通る声で訊いた。


「どうして、ボクを殺してくれないんですか?」


 看守の男は、ため息をついた。何度も同じ質問を繰り返されてきたからだ。


「何度も言っただろう、君のような女の子を処刑することは禁止されているんだ。君は罪を認め、自らこの監獄島へとやってきた。それだけで充分ってものだ」


「それじゃあ駄目なんです。ボクが命を絶とうとしても、必ず《彼女》に止められてしまう。だから、殺してもらうためにここに来たのに……」


 少女はそれ以上なにも言わなかった。代わりに、石の壁に背を預け、膝を抱えて座り込むのだった。


 薄暗い廊下の奥から、一つの足音がやってきた。いつも、これくらいの時間に看守は交代しているのだ。


「先輩、変わります」


 声は女性のものだ。その女性は看守に配備される制帽を深く被り込んでいた。銀の髪は背中で結わえていた。


「ん、ああ、君は……」


 元々いた看守の男が、やってきた人物を眺める。


「はい、最上階の見張りをするのは初めてです」


「……そうか。気をつけるんだぞ」


 看守の男の言葉に、女性が首をかしげる。


「そんなに危険な人物なのですか? 大人しい少女にしか見えませんが……」


 と、少女の方を一瞥する。看守の男は、困ったように額を掻いた。


「にわかには信じられないんだが、いくつもの村の住民を、全員殺したらしいんだ。200人だったかな。俺も、なにかの間違いだと思ったが……」


「200人?」


「ああ、そうさ」


「……違いますよ」


 と、女性の声音に冷気が帯びる。


「なに……?」


「217人です」


 次の瞬間、看守の男が首から血を流して地面に倒れ込んだ。咳き込み、のたうち回ってから動かなくなる。

 女性の手には、鋭利なナイフが握られていた。女性がナイフを放り捨てる。


 牢屋の中にいた少女は、ひっと息を飲んだ。目を見開いて、その女性へ呆然と視線を向けている。


 女性が制帽を取り、ウェーブの掛かった銀の髪を手で払った。瞳は金色で、とても冷たい表情をしている。


「迎えに来ましたよ」


 女性が鉄格子に手を触れる。すると、鉄格子が熱を帯び始め、次第にはどろどろに溶けてしまった。女性が鉄格子をくぐり、少女へ歩み寄る。


 少女は立ち上がり、距離を取ろうとした。背中に壁がぶつかる。少女は体をこわばらせていた。


「ま、またあなたですか。ボクに、なんのよう……です……か」


 と、少女が虚ろな目になり、一瞬、体から力が抜けた。しかしすぐに瞳に生気が宿り、目の前にいる女性をひたと見据えた。


 女性が膝をつく。少女はその様子を見下ろしている。


「《紅血こうけつの魔女》、ドロシー様。迎えに上がりました」


 ドロシーと呼ばれた少女は、赤と青の瞳で周囲を見渡している。そして女性へと視線を戻した。


「遅かったですね、チェイン。《彼女》と戯れるのも飽きてきたところです」

 

 と、ドロシーは自分の胸元を指差す。そして続ける。


「ボクを抑え込もうなんて、100年早いんですよ。監獄島でなら命を絶てると思ったのでしょうが……ふむ、考えが甘すぎます。おかげで、《彼女》の苦しみを味わえましたけど」


 女性――チェインが驚いた様に目を瞬かせている。


「なんですか? チェイン」

 

 とドロシー。


「いえ。今、ご自身をボクと呼んだので」


「ああ。《彼女》の口調が移ってしまったみたいですね。まあ、気にしないでください。長く一緒に過ごしていたら、そんなこともありますよ」


 ドロシーは跪いたままのチェインの肩に手を触れる。


「さ、早くここから出るとしましょう。《魔女の夜ヴァルプルギスナハト》の準備をしないといけませんね」


 ドロシーは廊下の窓から見える外の景色を眺めた。

 雷鳴、雨音――脳裏に焼き付いた悲鳴のメロディーと、美味しそうな血の匂い。ドロシーはそれらを思い返し、ふっと笑った。


 


 ――監獄島から、脱走できたものは一人もいない。その言い伝えも、今日で終わりだ。


 これからは世界が混沌に包まれる。一つの話題で持ち切りになるはずだ。


 最強の魔女が再び世に解き放たれた、と――。


 


 




 

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