第38話 《竜神化》
レーベが巨大な口を目一杯開き、イブキを飲み込もうとする。
イブキはレーベの双眸を睨みつけ、その場を動こうとしない。まるで、なにかを待っているかのように。
頭上から、風を切る落下音が聞こえてくると、イブキはにやりと笑った。
――突然、突き出してきていたレーベの顔面が、地面へ叩きつけられた。砂塵が舞い、イブキは腕で顔を覆う。
レーベが人のものではない声で呻く。砂埃が止むと、レーベの頭部に拳を振り下ろした状態で男が立っていた。
白い髪、褐色の肌、そして凛々しい顔立ち。竜人族王家、ハーレッド=ブレイズだ。
間一髪のところで駆けつけたハーレッドへ、イブキは冗談交じりで言った。
「遅かったわね、王様」
「ああ。《災禍の魔女》とやらに、待機しておくように伝えられていたからな。だが、そうも言っていられない状態のようだな」
レーベが、頭上に立つハーレッドを振り落とし、二本足で立ち上がる。対して、器用に着地したハーレッドが、目の前の怪物を見上げている。
イブキは、ハーレッドが必要としている情報がなんなのかを理解していた。
「こいつは、魔法七星のレーベ……だったものよ。あなたたちの仲間を使って実験をし、《竜爪》や《王家の力》を手に入れたの。竜人族を使って王都を炎上させようとした、張本人よ」
「ほう」
ハーレッドはただ一言、そう声を漏らした。竜人族を陥れようとした本人が、目の前にいる。それに、今この場にも仲間の亡骸が転がっているのだ。平然としていられる方が、おかしいはず。
イブキは、ハーレッドの顔を見て、言葉を飲んだ。
瞳に、強い意思を宿している。今にも爆発しそうな感情を、静かに抑え込もうとしているのがわかった。
「《王家の力》か。貴様ごときに扱えるわけがなかろう。ふん、力に飲み込まれるとは、いい樣だ。俺の仲間や、父上、母上を冒涜した罪……償ってもらうぞ」
ハーレッドが、体を半身にする。レーベは肉たらしげにハーレッドを見下ろし、爪を振りおろそうとしている。
「――《竜神化》」
ハーレッドが静かに唱える。
イブキの正面で、真紅の光が弾ける。思わず目を覆ってしまったが、素早く顔を上げた。
――レーベよりも少し小さな竜が、背を向けて立っていた。紅の龍鱗に全身が覆われている。鉤爪を持つ四足で立っており、翼はかなり大きい。顔はワニのようで、鋭い牙が並んでいた。尾の先には鋭いトゲのようなものがあり、頭部にも一本の角が見える。
その竜がグルルと唸って、翼を羽ばたかせて空へ飛翔した。
「わぷっ……!」
突風が巻き起こり、イブキは吹き飛ばされそうになってしまう。変な声を出してしまったが、なんとか踏ん張って耐える。
今度はレーベが不器用に翼を動かして、ハーレッドを追って空へと飛び上がった。
二対の竜が、炎に覆われた空へと舞い上がる。その時、レーベとは別の竜が、イブキへ真紅の瞳を向けた。
『イブキ、お前の魔術が必要だ』
ハーレッドの声が脳内に響く。不思議な感覚に、イブキは顔をしかめてしまう。薄々気づいてはいたが、あの竜は、ハーレッドが《王家の力》を発動させた姿なのだ。
どうやって応えるべきか。イブキは、脳内で思い浮かべたことを、そのまま声に出してみた。
「話せば長くなるけど、薬のせいで魔術を上手く使えないのよ」
『完全に使えないわけではないのだろう?』
イブキはふと思い返す。火の玉が降り注いでいる時に――今も降り注いでいるが――魔術を使って軌道を変えようとした。たしかに薬の効果が継続しているとはいえ、少しは魔術で軌道を変えられたのだ。
「まあ、そうだけど……」
『なら魔術を使って、薬の効果を消せ』
「そ、そんなことができるの?」
『知らぬ。隕石を落とそうとしたことに比べれば、簡単なことだろう。魔術は、なんでもできるのだろう?』
魔術は、誰かの傷や自分の傷を治すことはできない。ただし、薬の効果をかき消そうなどとは、考えたことはなかった。
遥か頭上で、二対の竜が取っ組み合いを始める。レーベが、竜爪でハーレッドの足を斬りつける。対してハーレッドは、鋭い牙で首元へ噛みついていた。
『竜神化状態の竜は、生半可な攻撃では倒せない。通常時の何倍もの再生力を持っているからな。竜神化状態の俺たちが戦っても、決着はつかないだろう』
たしかに、互いの傷がみるみる治っていっている。レーベは、龍になろうとも無意識の内に風魔法を展開していた。ハーレッドが風魔法に弾き飛ばされ、空中で体勢を立て直す。
『だが魔術なら、奴を倒すことができる。だから、お前の力が必要なのだ』
ハーレッドの言葉を受けて、イブキは気を落ち着かせるようににふーっと息を吐いた。
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