第37話 《紅蓮の王都》
魔法研究所を出ると、そこにはノクタが立っていた。近くには巨大な氷の結晶ができあがっている。見れば、その中にレーベが捕らえられていた。
なにかに吠えている表情のまま固まっており、左腕は《竜爪》のままだ。氷漬けにされ、当然のことかもしれないがぴくりとも動きそうにない。
辺りには冷気が満ちている。地面には霜が張っており、吸い込む空気が肺を凍てつかせるようだった。
唖然とする二人へ、ノクタは頬の血を拭いながら視線を向ける。そして、イブキを睨みつけ、鼻を鳴らした。
「ふん。遅かったな、《災禍の魔女》」
ノクタの挑戦的な態度に、イブキは幼い顔立ちに嫌悪感を丸出しにする。
「忘れてねーぞ……」
審判所でいきなり襲いかかってきた時の話だ。イブキの口の悪さはいつも通り。互いに視線をぶつけ合い、火花を散らす二人を静観していたリリスが、割って入る。
「だ、団長、レーベは?」
「見ての通りだ」
ノクタがイブキから視線を外して、巨大な氷の結晶へ顔を向ける。
イブキが、
(勝った!)
と小さな勝利に優越感を抱いていたのは、内緒の話だ。
ノクタは続ける。
「しばらくは、こいつも動けないだろ。その間に、監獄島への手配を進める」
その言葉を聞いて、イブキは目をぱちくりとさせた。
見える限りだが、王都を見渡してみる。東西南北の門では黒煙が上がっているが、王都は火の海に飲まれていない。予言では、竜人族との戦いで王都が火の海に飲まれるはずだった。だが、火の手が上がっている気配はない。
(予言を、覆した?)
隣のリリスが、表情を綻ばせている。つまりは、そういうことなのだろう。
――勝った、のか。
だがイブキは、胸中を渦巻く違和感に、素直に喜べていなかった。このまま終わるなんて、ありえないと本能が告げている。元の世界でもそうだった。上手くいくことのほうが少ない。順風満帆だったイブキの人生を狂わせた、社畜時代での学びだ。
ノクタはかなりの実力者なのだろう。《竜爪》を手に入れたレーベを寄せ付けず、ましてや捕獲してみせたのだから。
だが、今回の話は別だ。
もし、リムル神の予言が絶対だというのなら、そんなことはありえない。必ず予言の通りに世界は廻るという、不思議な力が働いてもおかしくはない――。
イブキは、氷の結晶内にいるレーベへ目を向けた。レーベが動く気配はない。だが、《竜爪》が真紅の輝きを取り戻している。それは、脈打つように炎を滾らせ始める。
「ノクタ!!!」
視線を外していたノクタへ、イブキは叫んだ。氷の結晶にヒビが入る。そして、破砕音を立てて砕けると、陽光を弾いて氷晶が舞った。
開放されたレーベが、肩を回して体の動きを確かめながら、にたりと不気味な笑みを浮かべる。
「あっはん! 冷たかったわ、ノクタちゃん。でも、アタシには効かない」
息を飲んだリリスの前にノクタが出る。
「ったく、殺さずに捕獲するのも、簡単じゃないんだよ。いいぜ、もう一回氷漬けにしてやるよ。今度は手加減無しでな」
「いいわよ、その目! もっと、アタシを楽しま……せ……」
突然、レーベが目を見開いて言葉を詰まらせた。口をぱくぱくと開閉させ、急に胸を抑え始めた。
「がふっ……! なによ、これぇ……!!! 体が、熱い……!」
今度は、《竜爪》が紅蓮の炎をまとい始めた。その炎が、どんどんレーベを飲み込んでいく!
三人は呆気に取られていた。炎にまとわりつかれたレーベが、甲高い悲鳴を上げている。最初は、レーベが自滅でもしたのかと思っていた。悪者の最後には、それがふさわしい。
しかし、油断していたイブキとリリスを叱咤するように、ノクタが「違う!」と叫んだ。
レーベの体が膨張しているように見えた。炎がどんどん勢いと輝きを増していく。まるで、爆発寸前のようだ。
(爆……発?)
イブキは、死神の鎌を首へ当てられているような絶望感を覚えた。体が強ばる。もし、本当にそうなってしまったら――。
レーベの体が、強い輝きを放つ。そして、レーベの叫び声。
突然、目の前で炎が勢いよく弾けた。爆風に、三人の体が吹き飛ばされる。視界を焼かれ、鼓膜を轟音が貫く。イブキは後方まで吹き飛ばされ、地面に何度も体を打ちつけた。二人の様子なんて見ている余裕はない。炎を乗せた突風が、イブキを飲み込む。どうにか地面に伏せて耐えていると、ようやく炎風は止んだ。
「……っ、つう……」
イブキは、打ち付けた頭を擦りながら、はっと顔を上げた。
エネガルムの上空が炎に覆われている。真っ赤な空だ。夕焼けよりも真っ赤な空――。熱気が世界を飲む。熱い。喉がカラカラだ。
視線を下へ降ろす。そこには、巨大な赤竜がいた。三十メートルはありそうな体。手足には業火を纏った鋭い爪、風を切り裂く翼、長い尾、そして、長い首の先には、真紅の瞳を持ったレーベの顔があった。巨大な体躯に合わせて、顔も大きくなっている。口の端から唾液を流し、「フーッ」と熱気を吐き出していた。
「アタシ、ハ――ウツク、シ」
ひどく虚ろな表情をしている。もはや、意思疎通ができるとは思わない。
イブキは竜となったレーベを見上げることすらできなかった。
(これが、フレイが言っていた王家だけが持つ力……? 上手く扱えずに、暴走したの……?)
レーベが鋭い爪を振り上げる。狙いは、どうやらイブキの後方らしい。
振り返ると、そこにはリリスが倒れていた。起き上がろうとしていない。
「リリス! 起きて!!」
レーベが、巨大な手を横へ振り払った。イブキの頭上を、ごつごつとした竜の腕がかすめていく。竜の爪は、地面を刳りながらどんどんリリスへ向かっていく。
直前、どこからともなくノクタが現れ、リリスを抱き寄せた。氷魔法を展開して、向かってくる竜爪を弾き返そうとする。
竜爪と、ノクタの氷魔法がぶつかり合う。少し、押し返している。
レーベが、「ウゥ」と不気味に唸った。もはや、人間としての感情すら見当たらない。今度は、レーベの腕がノクタの魔法を押しつぶし始めた。
リリスを抱えたまま、ノクタが歯を食いしばる。そして、イブキへと叫んだ。
「《災禍の魔女》!! 後はお前が、なんとかするんだ!!!」
「は、はあ!? まだ、魔術を上手く使えないって!!」
「世界を滅ぼす《災禍の魔女》なんだろ!! そんな竜くらい、なんとかしてみせろ!!!」
激励しているのか、馬鹿にしているのか、まったくわからない。
イブキがまた言い返そうとすると、最後まで振り払われた竜の腕により、ノクタは魔法研究所の壁へと勢いよく叩きつけられた。爪によってえぐられた地面の瓦礫が、いくつも降り注ぐ。
二人が無事なのかすらわからない。だが、ノクタがリリスを庇っていたのだけは見えた。だから、ノクタは受け身も取れずに壁へ叩きつけられたのだ。
「そんな……!!」
視線をレーベへ戻す。と、レーベが竜のような重々しい声で空へと吠えた。
(なにを、しているの……?)
イブキは生唾を飲み込んだ。空を見上げる。
レーベの叫び声に呼応するように、炎に覆われた空からいくつもの火の玉が、王都目掛け降り落ちてきた。それは緩やかに落ちてきて、王都の地面や建物に触れた瞬間、爆発を巻き起こした。
王都全体が、一瞬で炎に飲み込まれる。遠くから、住民の悲鳴が聞こえてくる中、イブキは空をじっと睨みつけていた。
魔術を使って、降り注ぐ火の玉の軌道を変えようとする。だが、薬の効果がまだ消えておらず、少し軌道を変えただけで終わってしまった。
「くっそ……曲がれ、曲がれぇ!!!」
イブキの首元のタトゥーが、鈍く光り、そして輝きを失う。
王都が紅蓮に染まる。至るところで爆発と、火柱が上がる。レーベはそれを見て、いやらしい表情を浮かべていた。
リムル神の予言が、脳裏をよぎる。
『竜人族との激闘の最中、王都は火の海へ堕ちる』
竜人族とは、ハーレッドたちのことを指しているのだとばかり思っていた。だが、違った。
《竜爪》と《王家の力》を手にし、半竜人族となったレーベの手によって、王都は火の海へ堕ちるのだ。
リムル神の予言は、やはり本当に覆せないのか……。
(いや……まだよ……)
イブキは諦めていなかった。まだ、イブキは薬のせいで魔術を使えない。
だが、彼が来ていると、直感でわかった。遠くの空……イブキの遥か上空で、一匹の竜が舞っている。
イブキは息を吸い込んだ。そして、腹に力を込め、あらん限りの声で叫んだ。
「出番よ――ハーレッド!!!!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます