15-4
あっさりとそんなことを言ってから、犬彦さんは俺の髪にふれた。
なにかゴミがついていたらしい、それを取るような仕草のあとに、わしゃわしゃと雑に頭をなでられた。
それがスイッチになったんだろう、俺の目からは、だばだばと涙がでてきて、理性ではもう止めることができなかった。
「そ、そしたら、俺、がんばって死体の始末します!」
とっさに自分でもよくわからない返答が口から出た。
犬彦さんは笑っていた。
「だから、なあ江蓮。
黙ってどこかへ行ったりするな。
俺も親父さんも、成績がどうのなんて理由で、お前を叱ったりなんかしない。
まだ高校一年なんだから、好きなように遊べばいい。
そのうちお前は、ちゃんと自分から勉強するようになるだろう。
もし勉強する気が起きなかったとしても、それでもいい。
馬鹿だからって、それが原因で死ぬことはないんだから、自分の好きなように生きればいい。
だけどな、江蓮、ひとりきりで黙って、どこにも行くな。
心臓にすこぶる悪い。
…もし、俺のことが嫌になって、どこかに行こうとしているなら、ちゃんと言え、俺のほうがお前のまえからいなく…」
「いやです!」
頭突きの要領で、俺は犬彦さんにむかって突進した。
ドンと俺の頭が犬彦さんのみぞおち辺りにぶつかったが、犬彦さんはびくともせず、痛がりもしない。
俺に頭突きされた姿勢のまま、犬彦さんは手をのばし、とんとんと軽く俺の背中を叩く。
幼いころ、怖い夢を見て眠れなくなった夜は、また眠れるようになるまで、犬彦さんは布団のなかで俺を抱きかかえながら、こんなふうに背中をずっと叩いてくれていた。
そのときのことを思い出したら、ますます涙と鼻水が止まらなくなる。
「…ごめんなさい」
それだけを言うのが、精一杯だった。
しばらくはそのまま、犬彦さんのみぞおち辺りに体重をかけた状態でしゃくりあげていたのだが、それがだいぶ治まってきたころに、犬彦さんが、こんなことをつぶやいた。
「まったく、お前は…。
携帯の電源切りやがって。
どれだけ心配したことか…。
仕事が終わったら、すぐに車に飛び乗って、お前がいそうな場所を探し回ったんだぞ。
やっと携帯の電源が入って、GPSで位置が拾えたと思ったら、こんな暗くて汚い場所にいやがって…おい、金は持っているんだろう、せめてファミレスとかにいろよ」
ぶちぶちと呟かれる犬彦さんの文句で、俺は大事なことを思い出した。
サーッと血の気が引いていく。
「すみません犬彦さんっ!
俺、暗渠のなかでスマホ落としちゃったんです!
ああー新しいの買わなくちゃ…」
しょんぼりとうなだれる俺を見て、犬彦さんは何言ってんだとばかりに、俺の尻をいきなり叩いた。
おかげで尻が燃えたのかと思うほどの激痛が走った。
「いってぇ!」
「おい、携帯落としたのなら、お前のケツポケットに入っている、これはなんだ?」
言われて自分の尻を触ってみると、ポケットに、暗渠で失くしたはずのスマホが入っているのがわかった。
暗渠の暗闇のなかでつまずいた拍子に、床に落としたはずのスマホがなぜ…?
思い当たるのは、もちろん柊子だった。
彼女は目がいい、あの暗闇のなかでも物の輪郭が見えると語り、おまけに動体視力まであると言っていた。
きっと柊子は、俺がスマホを落とす瞬間を見ていて、落ちた場所を正確に認識していた。
そして俺にわからないように、暗闇のなかでスマホを拾い、隙をみて、こっそりと俺の尻ポケットに入れておいたに違いない。
そうしておいて俺には何も言わず、スマホを失くしたと思って、しょんぼりする俺のようすを見ては、ニンマリして楽しんでいたのかもしれない。
…ありえるな、いや、そうに違いない。
そうやって、からかわれていたんだと今になって気付いても、やっぱりイラッとはくる。
しかし大事なスマホをサルベージしてもらったんだから、ここは柊子に感謝すべきなんだろうな。
ありがとうございますこんちくしょう。
スマホの電源を切った覚えはないから、暗渠のなかは圏外なんだろう。
そう考えながらスマホを手に取り、おもむろに画面をのぞいてみて、俺は腰が抜けるかと思うほど驚いた。
そこに表示されていた時刻が、深夜一時十二分だったからだ。
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