15-3

 そして確信した。


 柊子はいま、どこかで息をひそめながら物陰に隠れて、俺と犬彦さんのやりとりを見ている。


 そして俺のことを応援している。


 ねえ江蓮、本当にわからないの?

 自分が犬彦さんに、なんて言うべきなのか。


 そんなことを柊子は俺に伝えている。


 柊子がなにを考え、なにを俺に伝えたがっているのか、それぐらいは分かるさ、あれだけの死闘を俺たちはさっきまで暗渠のなかで繰りひろげていたんだ、もう柊子の気配を読むのも、きみが俺になにを求めているのかを察することくらいは、お手のものだ。


 こう言いたいんだろ?


 さっきまで、あんなにもご立派なお説教を、江蓮、きみは私にしてくれたじゃない。

 だから私に見せてよ、勇気あるきみの姿を。


 彼女はお手本を求めている。


 暗渠のなかで、美しい理想としか思えない『真実』を延々と語り続けた俺が、現実のなかで本当にうまくやれるかどうかを、柊子は確かめようとしている。


 気持ちがすれ違ってしまった相手と理解しあい、仲直りすることが本当に可能であるのかどうか、それを。


 そうだ、俺はさっきまであんなにも偉そうに、K子さんの本当の姿を見誤ってはいけないだとか、いろんなことを柊子に言ってしまったじゃないか。


 ここで見本を体現することができなかったら、柊子の『真実』は、またゆらいでしまうかもしれない。


 そんなのは駄目だ。

 そう思うと腹がくくれた。


 だから、もう悩んだりしない。


 あれこれ考えたりせず、思いきって俺のいまの気持ちを犬彦さんにぶつけてやる!



 「だ、だって、犬彦さんが学校にきてくれないからっ…!」



 しかしそうして出てきた言葉は、ずいぶん子供じみているうえに脈絡がないものだった。

 要点がぜんぶ飛んでしまっている。


 これじゃ犬彦さんも意味が解らずに首を傾げるしかない。


 自分の顔が赤くなっていくのがわかった、恥ずかしくて思わずうつむいてしまう。

 そんな仕草はますます子供っぽいと分かっているけれども、耐えられなかった。


 物陰から様子をうかがっている柊子も、笑いをこらえているかもしれない。

 俺の目の前にいる犬彦さんも戸惑っているようだった。


 俺の肩をつかんでいた左手から力が抜け、そして離れていった。

 


 「やはり、昨日の電話のことか」



 犬彦さんがため息をつく。



 「そんなに親父さんに呼び出しを知られるのが嫌か?


 別になにか悪いことを話すわけじゃない、ただの保護者面談みたいなもんだ。

 親父さんも分かってくれるだろう」



 「い、犬彦さんじゃ、ダメなんですか?


 父さんじゃないといけないんですか?」



 じわじわと不安が胃からこみ上げてきて、苦しくなる。


 こんなことをきいて、なんで俺が行かなけりゃいけないんだ、なんて言葉を、実際に犬彦さんの声で聴くのが怖かった。


 だけど俺の想像とまったく違うことを犬彦さんは言った。



 「俺が行けば話は早いだろう。


 しかし、それだと親父さんがかわいそうだ」



 「え?」



 意味がわからなくて、ただ犬彦さんの顔を見た。


 ずいぶんマヌケな顔を俺はしていたらしい。

 犬彦さんは淡く微笑んでいた。



 「なんでもかんでも俺が出しゃばっていたら、親父さんから、お前の父親としての権利をぜんぶ奪ってしまうことになる。


 それは、かわいそうだろう?

 それくらいは譲ってやらないとな。


 江蓮、お前の親父さんは不器用なひとなんだ。

 解りづらいだろうが、あのひともお前のことを、ちゃんと愛している。


 だから定期的に、お前のことをよく知ることができる機会を提供しなくてはならない。


 俺はお前と毎日いっしょにいられる、チビでかわいい盛りのお前の時間も、俺がひとり占めしてしまった。


 俺は親父さんには感謝しているし、申し訳なく思ってもいるんだ」



 それだけ言ってから、犬彦さんは声をひそめた。

 まるで誰かに聞かれてはいけない内緒話をするみたいに。


 こんな、フェンスを越えた川のほとりに人なんかいないっていうのに。

 まあ、暗渠の入り口近くに隠れて、こちらをうかがっている柊子はいるけれども。



 「それにな、もし俺が親父さんの代わりにお前の担任に会ったら、うっかりぶん殴って殺しちまうかもしれない。


 あんまり嫌味ったらしい奴だから、電話で話していて結構イラついた。

 あいつと対面で長時間会話なんぞしたら、反射的に手が出そうだ。


 お前も、担任をぶっ殺されたら困るだろう?」


 

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