15-2
柊子はどんな姿をした女の子なんだろう?
ちょっとドキドキするな。
なんて、そうは思っていても、俺のなかではとっくに、ばっちりと柊子のイメージ図が完成されていた。
暗渠のなかで彼女の声がきこえてきた位置から推測するに、柊子の背は、俺の肩ぐらいの高さだ。
それから俺の手を握っていたときの、ほっそりとした柔らかい手の感覚と、運動が得意だという情報から考えれば、きっと柊子は、女子中学生として標準的な体型をしていると思われる。
柊子はそう、黒猫のように俊敏そうな長い手足をもち、いつもいたずらを企んでいるような微笑みを浮かべる、チャーミングな女の子なんだろうな。
そして暗渠の外に出た彼女は、どんな表情をして俺を見るだろうか。
にやにやと笑いながら、また俺をからかってくるのかもしれない。
江蓮、そんなに外に出れたのがうれしい? ちょっとはしゃぎすぎなんじゃないの、とか言って。
「柊子…」
「江蓮!」
彼女に声をかけようとしたとき、ほぼ同時に、俺の背後から叫び声が聞こえた。
切羽詰まったような、怒っているような、そのひとが滅多に上げないような大声だった。
耳に馴染んだその聞き覚えのある声に、一瞬俺の思考が停止してしまう。
つられて体の動きも止まってしまったのだが、なんとか首だけ動かして後ろを振り向き、声の主を確認しようとした。
目が合ってしまった。
それと同時に、道路と川側の土手の境界にあるフェンスをそのひとは一気に飛び越え、雑草だらけのちいさな土手を駆け下りて、浅いとはいえ川の中へと足を踏み入れると、俺のいる場所に、こちらへと向かってやってくる。
「あ…」
もうすこし岸辺を右側に進んで遠回りすれば、川を渡るための飛び石がちゃんとあるのに、川の中を渡ろうとするから、革靴やスーツの裾が濡れて汚れてしまっている。
なんでそんな真似をするんだろう、泥なんかで服を汚すことを嫌うひとなのに。
そんなことを俺が考えているあいだに、すぐにこちら側へと川を渡り終えた犬彦さんは、もう俺の目の前に立っていて、左手で俺の肩をつかむと、右手で俺の顔を平手でひっぱたいた。
夜の静かな空気の中に、自分でも小気味良いと思えるほど、高く澄んだ音が響く。
それはもちろん痛かったのだけれど、いつもほどではなかった。
悪いことをしたとき、例えばもっと幼いころに、左右の確認をせずに車道に飛び出したときなんかも叩かれたけれど、それは顔がえぐれたかと思うほどの激痛だった。
犬彦さんは怒ったとき、くどくどと説教なんかしない。
とにかくキツイ一発があって、それで自分がした失態を悟り、反省することになる。
それなのに、今回の一発は、妙に弱々しいところがあったので、痛みよりも疑問のほうが先に立った。
もちろん、犬彦さんにひっぱたかれ慣れている、叩かれマイスターの俺だから分かる程度の弱さなのだけれど。
それが不思議で犬彦さんの顔をじっと見た。
逆に犬彦さんは目を伏せた。
左手で俺の肩をつかんだまま、俺を叩いた右手をだらりと下げる。
「…何が不満だ」
犬彦さんがぽつりとつぶやく。
基本的に犬彦さんの声には、感情の起伏というものがあまりない。
とにかく淡々としている。
だけど気付いてしまった。
犬彦さんは怒ってなんかいない、むしろ今、悲しんでいるのだと。
どうして犬彦さんはここにいるんだろう、どうして川の中をつっきったりするんだろうなんて、頭の中が不思議でいっぱいのときは、むしろ平静でいられた。
だけど悲しげな犬彦さんを見てしまったら、別のいろいろなものが嵐のように頭の中で吹き荒れた。
それは昨夜から続く、犬彦さんに対しての怒りであったり、不満や落胆、いろんな感情だ。
それらは別の何かを増長させたり、あるいは互いに矛盾したりしていた。
自分でも、犬彦さんに対する今の自分の気持ちがわからなくなってしまった。
とにかく何かを言わなくちゃいけない。
どうしよう、そうはいっても俺は犬彦さんに何て言うべきなんだろうか?
頭の中がぐるぐるとまわる。
黙ったままの、俺と犬彦さん。
パニックになりかけたとき、はっとした。
夜の空気のなかにまぎれるように、俺にだけ聞こえるように微かに、柊子の声が聞こえてきた気がしたのだ。
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