4-3

 俺がそう問いかけると、またしても彼女は不機嫌そうに、ため息をはいた。



 「ねえ、人に何かを訊ねるときは、まず自分から答えるのが礼儀なんじゃないの?

 きみは誰で、なんでこんなところにいるわけ」



 ごもっともな意見だった。



 「俺の名前は、家入江蓮。高校一年生。


 たまたま、この近くを通りかかって、ちょっとした出来心っていうか、小学生のときにずっと探検したいなーって思ってた暗渠が目に入ったものだから、つい入ってみたくなって、それで…今こうなっています…」



 客観的にきくと、なんてバカっぽい自己紹介+状況説明なんだろう。


 なんだか恥ずかしくなってきて、顔が赤くなっていくのを感じたけれど、まあこんなに暗ければ、それを相手に知られることはない。

 それは暗渠のささやかな利点だった。



 「えれん?」



 俺の自己羞恥などまったく関係なく、彼女はすっとんきょうな声で、俺の名前をくり返した。

 初対面の人に名前を知られると、だいたいの人たちが同じようなリアクションをとるので、まあ慣れっこではあるのだけれど。



 「きみ、ハーフか何かなの?」



 暗闇のなかだけれど、じろじろと俺の外見を見回しているような視線を、不思議と感じる。


 なんとなく居心地の悪さにもじもじしながら、俺は答えた。

 命の恩人のせいか、相手の態度がわりと高圧的なので、とりあえず敬語を使うことにする。



 「いいえ、生粋の日本人です。

 ただ、母親が、子供は女の子がほしかったらしくて、性別がわかる前から、江蓮って名前をつけるって固く決めていたもんで、こんな名前になりました」



 「ふーん」



 感心したような、どうでもよさそうな、どちらとも判断しかねる返事だった。

 とにかく望まれたとおりに俺は自己紹介したのだ、次は彼女の番だ。


 この天と地も区別できないくらいの暗黒世界で、目の前にいる人物がなんという名前で、何者なのかくらい分かっていないと落ち着かないというか、不安感が拭えないのだ。


 彼女について分かっていることといったら、ちょっと気の強そうな、おそらく歳の近い女の子っていうことくらいだ。



 「俺はちゃんと名乗りましたよ。

 だから、あなたが誰なのか教えてください」



 すると、ちょっと考えるような素振りがあってから、相手はこう答えた。



 「…私は、エレン」



 「は?」



 なんだって、こいつ何を言っているんだ、それは、いま話した俺の名前じゃないか。

 彼女の返答をきいて、反射的にでた俺の声のトーンは、困惑的というよりは、いぶかしんだものだった。


 当たり前だが、やや刺々しく相手の耳には聞こえただろう、彼女はムッとしたようだった。



 「だから、私の名前はエレンって言ったの」



 「それ、ほんとに、名前エレンっていうんですか」



 彼女は黙っている。

 それで分かった。


 江蓮という名前の俺が言うのはおかしいかもしれないが、偶然にも エレン なんて外国かぶれな名前の日本人が(まさか外国人ではないだろう、ここまでの彼女の話す日本語はごく普通に流暢だったし、自らをエレンだと名乗ったときの彼女の声には、さてどうやってコイツをからかってやろうかと考えているときの、いたずらっこ特有の楽しげな響きが、確かに含まれていた)この日本列島の片隅にある、こんな暗渠のなかで二人もそろうなんて、ありえないことなのだ。


 彼女は嘘をついている。


 俺にはちゃんと自己紹介をしろなんて言っておいて、自分は俺と同じエレンなんていう名前を騙って、ごまかそうとしている。

 自分だけは匿名性を保とうとしているのだ。


 しかしまあ彼女から見れば、俺という男は、こんな夜遅くに暗渠内をうろつく不審者以外の何者でもないんだろう、最初に比べれば、だいぶ警戒心はなくなってきたみたいだけれど、やっぱり知らない人に自分の本名を名乗るのは、抵抗があるのかもしれない。


 相手は女の子なんだし、それは用心深い人なら、当たり前の防衛策といえるのかもしれないな。


 そこまでは理解できる。

 しかしだからって、よりにもよって、俺の名前をオウム返しすることはないんじゃないか。


 母さんがつけてくれた名前に不満はないが、昔はよく、女みたいな名前だってガキどもに茶化されたことがあったので、名前についてイジられると、今でもやっぱりイラッときてしまう。



 「言いたくないんですね、まあ、いいです。

 それであなたは、どうしてひとりで暗渠にいるんですか」


 

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