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 「私はエレンだって言っているじゃない。

 暗闇のむこうにいる、もうひとりの、エレン。

 おもしろいと思わない?


 ねえ、私の名前を呼んでみてよ」



 とても楽しそうに、彼女はくすくすと笑う。


 なんだか面倒くさくなって、ご希望通りにその名前を、自分と同じ名前を、ややおざなりではあるけれど、呼んでみた。



 「エレン」



 「どうも。

 それじゃあ教えてあげるね、私がここにいる理由。


 単純なことよ。

 私はね、ここが、この薄暗い世界が好きなの。


 だから、ひとりになりたくなったときには、いつでもここにくる」



 「いつでも?」



 「そうだよ。

 私は、きみみたいな探検家きどりで、なにも知らずにのこのことやってきたルーキーとは違う。

 ここはね、私にとっては庭みたいなものなの。


 どこにどんな通り道があるか、地下通路はすべて網羅しているんだから。

 実はけっこう入り組んでいるんだよ、ここ。

 ほんと蜘蛛の巣みたいにね。


 縦穴に横穴、行き止まりもたくさんあるし、道によっては、そこの井戸の跡とか調整池みたいなのがあったりするし、どう行けば安全に出口に着くのかも、みんな知ってる」



 つまり俺が、暗渠の探検者レベル1だとしたら、この、自称エレンは、探検者レベル99の暗渠マスター、とんでもない勇者だったということだ。

 すごいラッキーじゃないか!


 そうと分かれば、この暗黒ダンジョンのなかで光という必須アイテムも紛失し、ただ怯えながら、さまようことしかできない哀れな探検者レベル1の俺がすることといったら、これはもう、ひとつしかない。



 「じゃあ、ここからどう行けば出口に着くか、知ってるんですよね!

 連れてってもらえませんか!


 俺、スマホも落としちゃったし、自分がどこらへんにいるのか、どう帰ればいいのか、まったくわかんなくなっちゃって…」



 自らの不幸っぷりをフルにアピールして、恥も外聞もなく、勇者エレンさまにすがるようにお願いした。


 地獄に仏とはこのことだ、もしもここで勇者さまに見捨てられでもしたら、自力でこのダンジョンから無事に出られる気がしない。


 今度こそ、深い井戸の底に落ちてしまうだろう。


 お望みであれば、土下座したっていい(この暗さじゃ、俺が土下座しても見えないだろうが)そう思えるくらい、落とし穴の存在が、俺に与えた恐怖はでかかった。


 しかしそんな俺のお願いに、エレンはなんだか戸惑っているみたいだった。



 「まったくわかんないって…来た道を戻ればいいだけじゃない」



 訳がわからないというように、エレンは悪気のなさそうな声で、そうつぶやいたのだ。


 あーあ、これだよ、道を知っている人はそうやって言うんだよなぁ。

 優等生が「勉強なんて自習しなくても授業をきいていればわかるじゃない」って言うのと同じあれだよ。



 「いやいや、俺はそもそも、ここに来たのが初めてで土地勘がない上に、こんなに暗くちゃ右も左も分かんないじゃないですか、後ろに井戸があったのだって、落としたスマホがどこにいっちゃったのかだって見えないんです、来た道なんか分かるわけないですよ、ああまったくもう!

 ここどこなんですかぁ!」



 言葉の最後の方は、やけくそ気味の絶叫だった。


 なんでここはこんなにも暗いんだよ!

 そう思うと、無性に腹が立ってきたのだった。


 そして叫んだあとで、やっと気がついた。


 この暗闇のなか、エレンはどうして俺の後ろにあるという井戸の位置が、そこに俺が転んだ拍子に落ちてしまいそうだというのが、わかったんだろうか…?


 俺の脳裏にその疑問が浮かんだのと、エレンが答えたのは、ほぼ同時だった。



 「え、もしかして、きみ、何も見えてないの?」



 「え、エレンには、見えてるの?」



 しばしの沈黙。

 きっと今、エレンは、アホの子を見るような目つきで、俺を見ているんだろうなということは、なんとなくわかった。



 「そりゃ、ここは暗いから、何もかもが見えてるってわけじゃないけど…物の輪郭くらいは分かるでしょう?


 そこに角があるとか、井戸があるとか、人がいるとか。

 やだ、まさか、なんにも見えてないの?」



 「俺にとっては、宇宙空間よりこの場所は暗いですよ!

 マジかよ、物の輪郭が見えるって、信じられないな、俺なんか間近にある自分の手すら見えないんだから。


 本当に何も見えない、ずっとここにいたら、自分がどんな姿形をしていたかも忘れそうなくらいに…」


 

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