4-4
「私はエレンだって言っているじゃない。
暗闇のむこうにいる、もうひとりの、エレン。
おもしろいと思わない?
ねえ、私の名前を呼んでみてよ」
とても楽しそうに、彼女はくすくすと笑う。
なんだか面倒くさくなって、ご希望通りにその名前を、自分と同じ名前を、ややおざなりではあるけれど、呼んでみた。
「エレン」
「どうも。
それじゃあ教えてあげるね、私がここにいる理由。
単純なことよ。
私はね、ここが、この薄暗い世界が好きなの。
だから、ひとりになりたくなったときには、いつでもここにくる」
「いつでも?」
「そうだよ。
私は、きみみたいな探検家きどりで、なにも知らずにのこのことやってきたルーキーとは違う。
ここはね、私にとっては庭みたいなものなの。
どこにどんな通り道があるか、地下通路はすべて網羅しているんだから。
実はけっこう入り組んでいるんだよ、ここ。
ほんと蜘蛛の巣みたいにね。
縦穴に横穴、行き止まりもたくさんあるし、道によっては、そこの井戸の跡とか調整池みたいなのがあったりするし、どう行けば安全に出口に着くのかも、みんな知ってる」
つまり俺が、暗渠の探検者レベル1だとしたら、この、自称エレンは、探検者レベル99の暗渠マスター、とんでもない勇者だったということだ。
すごいラッキーじゃないか!
そうと分かれば、この暗黒ダンジョンのなかで光という必須アイテムも紛失し、ただ怯えながら、さまようことしかできない哀れな探検者レベル1の俺がすることといったら、これはもう、ひとつしかない。
「じゃあ、ここからどう行けば出口に着くか、知ってるんですよね!
連れてってもらえませんか!
俺、スマホも落としちゃったし、自分がどこらへんにいるのか、どう帰ればいいのか、まったくわかんなくなっちゃって…」
自らの不幸っぷりをフルにアピールして、恥も外聞もなく、勇者エレンさまにすがるようにお願いした。
地獄に仏とはこのことだ、もしもここで勇者さまに見捨てられでもしたら、自力でこのダンジョンから無事に出られる気がしない。
今度こそ、深い井戸の底に落ちてしまうだろう。
お望みであれば、土下座したっていい(この暗さじゃ、俺が土下座しても見えないだろうが)そう思えるくらい、落とし穴の存在が、俺に与えた恐怖はでかかった。
しかしそんな俺のお願いに、エレンはなんだか戸惑っているみたいだった。
「まったくわかんないって…来た道を戻ればいいだけじゃない」
訳がわからないというように、エレンは悪気のなさそうな声で、そうつぶやいたのだ。
あーあ、これだよ、道を知っている人はそうやって言うんだよなぁ。
優等生が「勉強なんて自習しなくても授業をきいていればわかるじゃない」って言うのと同じあれだよ。
「いやいや、俺はそもそも、ここに来たのが初めてで土地勘がない上に、こんなに暗くちゃ右も左も分かんないじゃないですか、後ろに井戸があったのだって、落としたスマホがどこにいっちゃったのかだって見えないんです、来た道なんか分かるわけないですよ、ああまったくもう!
ここどこなんですかぁ!」
言葉の最後の方は、やけくそ気味の絶叫だった。
なんでここはこんなにも暗いんだよ!
そう思うと、無性に腹が立ってきたのだった。
そして叫んだあとで、やっと気がついた。
この暗闇のなか、エレンはどうして俺の後ろにあるという井戸の位置が、そこに俺が転んだ拍子に落ちてしまいそうだというのが、わかったんだろうか…?
俺の脳裏にその疑問が浮かんだのと、エレンが答えたのは、ほぼ同時だった。
「え、もしかして、きみ、何も見えてないの?」
「え、エレンには、見えてるの?」
しばしの沈黙。
きっと今、エレンは、アホの子を見るような目つきで、俺を見ているんだろうなということは、なんとなくわかった。
「そりゃ、ここは暗いから、何もかもが見えてるってわけじゃないけど…物の輪郭くらいは分かるでしょう?
そこに角があるとか、井戸があるとか、人がいるとか。
やだ、まさか、なんにも見えてないの?」
「俺にとっては、宇宙空間よりこの場所は暗いですよ!
マジかよ、物の輪郭が見えるって、信じられないな、俺なんか間近にある自分の手すら見えないんだから。
本当に何も見えない、ずっとここにいたら、自分がどんな姿形をしていたかも忘れそうなくらいに…」
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