4 暗闇のむこうにいる、もうひとりのエレン

 暗闇のなかから突然現れ、俺の腕をいきなり掴んできた手の持ち主。


 いま、俺の正面に立っていると思われる、その謎の人物は、とりあえずは若い女性のようだった。



 「だ、誰なんだ、あんた」



 謎の人物の声が女性であったことで、俺の恐怖心はある程度には収まった。


 もしもこの声が、いかついオッサンのものだったり、あきらかにイッちゃってる感じであれば、俺はこのまま、方向感覚なんか失っていたとしても、一言も口をきこうともせずに、即行ダッシュでこの場から逃げ去っていただろう。


 しかし相手が女性であるのならば、例えこいつがヤバイやつであったとしても、高校生男子の俺のほうが戦闘能力は上のはずだ、いざとなっても勝てる、そう考えた。


 ガキっぽい考えかもしれないが、これが心の余裕を生み、俺はかなりの冷静さを取り戻した。


 だから俺はスマホを失ってしまった悲嘆を、一度は横に置いておいて、この不審人物に正面から堂々と対峙し、誰何することにしたのだった。


 けれど冷静さを取り戻しても、再浮上してきたのは、やはりスマホに付随した怒りである。


 そもそもこいつが、いきなり俺の腕を掴んできたりするから、びっくりしてスマホを床に落としてしまい、そのせいで失くしてしまったんだ。

 そう考えれば、俺の発する声は自然と、刺々しくなってしまう。


 女性は俺の質問に答えない。


 だが、俺の苛立たしげな声に怯んだようすも感じられない。

 相手の出方をうかがって、俺も黙ったまま注意深く、闇のなかに耳を澄ましていた。


 彼女の息づかいや気配、すこし足を動かすときに床がたてる音、そんな微かな情報をかき集めて推測すると、どうやら俺の立っている位置から二メートルほど離れた場所に、彼女が立っているらしいことが分かった。


 手をのばし、勢いよく飛びかかれば、捕まえることも可能かもしれない距離。

 けれどきちんと注意を払っていれば、いざそうなったとき、対峙している相手から逃げることのできる距離。


 そんな、ほどよく離れた位置に彼女は立っている。

 向こうも俺を警戒しているという証だ。


 しばらくは無言の攻防戦のようなものが続いた。

 たがいに相手を探り合っていたのだ。


 だがやがて闇の向こうから、俺と同じくらい不機嫌そうな声が淡々と語りかけてきた。



 「…きみの後ろさぁ、穴があいてるの、わからない?

 昔の井戸の跡だよ。


 深さは少なくとも十メートルはあるんじゃないかな。

 あのまま後ろに倒れていたら、落ちてたね。


 そしたら絶対戻ってこれないよ」



 「え?」



 そう言われて恐る恐る、後ろを振り向いて確認してみるが、もちろん周囲すべてが暗黒に覆われているわけで、地面に穴があいているかどうかなんて、さっぱりわからない。



 「もう少しで落ちちゃいそうだったから、腕を掴んで助けてあげたんじゃない。

 それなのに何なの?

 まずはお礼くらい言ったらどうなの?」


 

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