3-2
入り口から数歩だけ進んで足を止める。
耳をすませてみた。
何も聞こえない、しんとしている。
目を凝らしてみるが、奥は真っ暗でなにも見えない。
この小さなトンネルは、一体どこまで続いているんだろう。
意外にすぐ行き止まりになるのか、それとも歩き続けたら東京の中心まで行けちゃうくらい長く伸びているんだろうか?
この地下通路の上には、多くの住宅が建ち並んでいて、そこで、たくさんの人たちが当たり前に穏やかな日常を送っているはずだった。
彼らは想像もしないだろう、自分たちの家の下、ずっと深くに暗黒の地下通路があり、今、ひとりの高校生がそこで静かに佇んでいるなんてことを。
そんなことを思ってみたら、無性に楽しくなった。
俺は自分しか知らない、誰も体験することのできない冒険をしようとしている、そう感じた。
目の前にひろがる非日常の世界、そのドキドキ感は、俺のなかに昨夜からずっと留まっていた嫌な気分、もやもやした気持ちを吹き飛ばして忘れさせてくれた。
それがとても嬉しかった。
勇んで奥へとさらに進んでいく、このときの俺には、恐怖心なんかは一切なくて、ただ目の前に広がるダンジョンを探検するという、わくわくでいっぱいだった。
暗渠内に入ってしばらくは、外から街灯の明かりなんかが、それなりに入り口から差し込んできていたのだけど、奥へと進むうちにそれも遠く消え去って、周囲が尋常じゃない闇に包まれてきた。
まじで真っ暗だ。
一度こくりと唾を飲み込んでから、それでも俺は奥へと歩いていく。
さっきから俺の耳に入ってくる音は、コンクリートの壁に反響している、自分の革靴の乾いた足音だけだった。
夜空の下、ひとりで歩く街はずいぶん静かなものだと、さっきまでは思っていた。
だけどこうして暗渠の暗黒世界と比べてみると、街とは、いろいろな音であふれている世界なのだと知った。
風の動きや川の流れ、そういった自然の流動物だけじゃなくて、もしかすると、人々が生活する気配とか、あるいは光にも、音というものはあるのかもしれない。
そんなことをしたら、負けのような気がした。
もちろん、自分に負けたことになるのだ。
それは、小学生の頃から自分はなにも成長できていないと、今もまだ、あの憎らしい大人たちの呪縛から逃れられていないと、認めることになる。
あのころ、望んでも知ることができなかった暗渠のなかの世界を、俺はちゃんと知っておかなければならない。
それに、家に帰ることのできない俺には、ほかに行くべき場所なんてないんだから。
ブレザーのポケットからスマホを取り出して、液晶をオンにする。
見慣れているはずの液晶の明かりが、闇に馴染みはじめた俺の目には、とても眩しくて、一瞬刺すようにしみた。
けれどすぐに慣れて、ほんのり輝く液晶の明かりに勇気づけられる。
もちろん周囲を照らせるほどの光源ではないけれど、光がここにあるというだけで、心が不思議と落ち着いた。
光とは、なんと偉大で、ありがたいものなのだろう。
神さま仏さま、あざっす!
液晶をオンにしたことで画面に時刻表示が出たので、反射的にそれを確認した。
ただいま二十時二十七分。
いつもなら家で夕飯を食っている時間だ。
それを見た瞬間、無意識のうちに自宅のリビングの光景が、心のなかに浮かんできた。
ダイニングテーブルの上には、夕飯が並べられている。
この時間であれば、いつもそうであるはずの光景。
けれどそこに俺はいない。
席がひとつ空いたままの、俺のいないリビング。
あのひとは、どうしているだろうか?
テーブルの上に並べられた、あたたかい食事に手をつけることもなく、いつものように椅子に座り、まさか、俺が家に戻ってくるのを静かに待っている…なんて、そんなこと、してないよな…?
あのひとの顔が思い浮かんできたとき、じくりと胸が痛んだ。
でもすぐに頭をふって俺はその光景を吹き飛ばした。
今のはすべて俺の妄想だ、あのひとは俺のことなんか気にしていないさ、とにかく前進することに集中しよう!
そう思って一層スピードを上げ、がむしゃらに歩き続けた。
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