3 暗渠のなかへ

 一歩なかに入り、まず、水のにおいを感じた。


 川からくる湿気だろうか、暗渠内の空気はしっとりとしていて、ちょっとカビ臭い感じも混ざってはいるけれど、さほど不快ではない。


 ここ数年、俺の住む地域には洪水なんかは起こっていない、川もあのとおり、のどかな状態だし、暗渠がその機能をフルに活用されたのは、そうとう過去のことなんだろう。


 なかは特に濡れているような様子はない、上下左右コンクリートの全面は冷たく乾いている。

 入り口の形は正方形で、本当にスモールサイズのトンネルの中にいるような感じだ。


 とはいっても、身長が百七十五ある俺でも、背を屈めたりすることなく余裕で進むことができるだけの大きさはある。


 奥がどうなっているのかは、まだわからないが、今のところ高さも横幅も三メートルはあるんじゃないだろうか。


 入り口から数歩だけ進んで足を止める。


 耳をすませてみた。

 何も聞こえない、しんとしている。


 目を凝らしてみるが、奥は真っ暗でなにも見えない。


 この小さなトンネルは、一体どこまで続いているんだろう。

 意外にすぐ行き止まりになるのか、それとも歩き続けたら東京の中心まで行けちゃうくらい長く伸びているんだろうか?


 この地下通路の上には、多くの住宅が建ち並んでいて、そこで、たくさんの人たちが当たり前に穏やかな日常を送っているはずだった。


 彼らは想像もしないだろう、自分たちの家の下、ずっと深くに暗黒の地下通路があり、今、ひとりの高校生がそこで静かに佇んでいるなんてことを。


 そんなことを思ってみたら、無性に楽しくなった。


 俺は自分しか知らない、誰も体験することのできない冒険をしようとしている、そう感じた。


 目の前にひろがる非日常の世界、そのドキドキ感は、俺のなかに昨夜からずっと留まっていた嫌な気分、もやもやした気持ちを吹き飛ばして忘れさせてくれた。


 それがとても嬉しかった。


 勇んで奥へとさらに進んでいく、このときの俺には、恐怖心なんかは一切なくて、ただ目の前に広がるダンジョンを探検するという、わくわくでいっぱいだった。


 暗渠内に入ってしばらくは、外から街灯の明かりなんかが、それなりに入り口から差し込んできていたのだけど、奥へと進むうちにそれも遠く消え去って、周囲が尋常じゃない闇に包まれてきた。


 まじで真っ暗だ。


 一度こくりと唾を飲み込んでから、それでも俺は奥へと歩いていく。


 さっきから俺の耳に入ってくる音は、コンクリートの壁に反響している、自分の革靴の乾いた足音だけだった。


 夜空の下、ひとりで歩く街はずいぶん静かなものだと、さっきまでは思っていた。

 だけどこうして暗渠の暗黒世界と比べてみると、街とは、いろいろな音であふれている世界なのだと知った。


 風の動きや川の流れ、そういった自然の流動物だけじゃなくて、もしかすると、人々が生活する気配とか、あるいは光にも、音というものはあるのかもしれない。

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