2 江蓮、家出をする

 その日は、朝から最悪な日だった。


 いやちょっと違うな、この最悪な気分は、昨夜から続いていたから、引き続き最悪さが続いていた日、といったほうが正しいかもしれない。


 浅い眠りから目が覚めたその瞬間から、昨日の不快感を思い出す、気分が悪くなってきて、体にかかる重力がいつもより二割増のような感覚がする。


 体が重い、頭の中も重い。


 こうして、じっとベッドの上で力無く横たわっていると、なんだか自分の体が、手足のはじのほうから、スライムのようにどろどろに溶けていって、人の形を失い、そのまま全身が布団にこびりついていきそうな気がする。


 ぼんやりとした頭の、まだ冷静さが残っているほんの一部分で、俺は妙に客観的に、こう思った。


 なんてひどい無気力状態だろう。


 なんだかもう、何もかもが、どうでもいい。

 そしてすべてが嫌になり、面倒になった。


 布団の中から出たくない、スライムの俺は心底そう思う。

 …だけど、このままここには、いられない。


 仕方なく、重い体をのろのろと動かして、俺はスライムから人間に戻っていく。


 このままここにいては、あのひとが俺を起こしに来てしまう。

 はやく、どこかに逃げなくては。


 その意志だけが俺の体を動かすための原動力となり、手をのばすと制服をつかんだ。


  そのあとは、朝食をとらずに静かに家をでて、コンビニに寄って食料を買い込んだあと、学校に行き、イライラしながら一日中つまらない授業をこなして、やがて放課後になり、クラスメイトたちとしばらくダラダラ過ごしていたら、夕方はとっくに終わっていた。


 春先の空は、もう完全に夜だった。


 みんなが帰宅していっても、俺はまだ帰りたくなくて、結局、仲間のうちの一人の家についていくことにした。

 そうして、そいつの部屋でゲームをしたりして、またダラダラと遊び、時間をつぶした。


 そんなことをしていたら、やがて友人のお母さんが部屋にやってきて、もうすぐ夕飯だから俺にも一緒に食べていかないかと、親切にも声をかけてくれた。

 ふと時計を見れば、もう二十時になろうとしていた。


 こんな時間まで居着いて、しかも飯まで食っていくだなんて、さすがにご迷惑だし申し訳ないから、丁重に夕飯のお誘いを辞退して、そこで俺は友人の家を出た。


 そして俺は、桜もとっくに散ってしまった春の夜空の下、ひとりになったわけだ。


 満天の星空の下、俺には行くところがなかった。

 とにかく自分の家には帰りたくない、それははっきりしている。

  

 春の夜はそれなりに冷えた。

 俺はいまだに制服のままで、上着はブレザーのみ、厚めのジャケットやコートなどの防寒具はとくに持ち合わせていない。


 それほど寒いというわけではないけれど、立ち止まっていると体が冷えてくるし、補導とかされたら面倒だということで、とりあえず歩き出すことにした。


 さて、どこにいこう?


 財布の中には三千円くらいは入っているはずだ。

 まず頭に浮かんできたのはコンビニだったが、あそこで時間をつぶすのには限界があるし、学生がひとりでいたら、もしかすると目立ってしまい、補導的なアレで声をかけられてしまうかもしれない、却下だ。


 かといって、ファミレスなんかに行くのも気がのらなかった。

 ずっと友人の家で菓子を食っていたから腹はまだ減っていないし、気分的にも、たくさんの人がにぎやかに過ごしている場所には行きたくなかった。

 

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