1-4

 突然名前を呼ばれて、俺は、深い物思いからハッと覚めた。



 「江蓮、もう授業終わってるけど。

 もしかして寝てた?」



 まだ数学の教科書を机の上にひろげたまま、ぼんやりと座っている俺のまわりに、クラスの女子たちが数人立っていて、楽しげに俺の様子をうかがっていた。



 「ああ、うん、ちょっとウトウトしてた」



 「でさー、みんなで今話してたんだけど」



 「今年のクリパの場所どこにしよっかって話でね、家入くんのうち借りられないかなぁって」



 「そうそう、江蓮のうちって広いんでしょ?」



 「は? クリパ? もうクリスマスパーティーの話してんの?

 まだ10月も残っているじゃないか」



 「あのねーハロウィンが終わったら、次はクリスマスでしょうが。

 今のうちから計画は練っておかないとね」



 そう言って、女子たちはキャーキャーと盛り上がっている。

 うちのクラスはみんな仲がいい、それはいいんだけど、こうやってほぼ強制的にイベント事に参加させられるのには、うんざりする。


 ハロウィンもなかなかの地獄だった。

 俺はやだって言ったのに、満場一致で赤ずきんのコスプレをさせられて、四方八方からスマホのフラッシュを浴びるはめになった。


 まったく、ハロウィンと赤ずきんに何の因果関係があるんだよ。


 俺の赤ずきんコス写真を見た犬彦さんは(俺は見せたくなかったのに、天音のやつが勝手に犬彦さんに見せやがって!)げらげらと大笑いをしていた。


 基本的にポーカーフェイスの犬彦さんがあんなに笑っている姿を目撃したのは、初めてだった。

 ちくしょう、犬彦さんめ。

 そんな、俺の写真を見て笑っている犬彦さんの姿を、俺はスマホで隠し撮りしたのだった。

 なんというカオスだ。



 「ダメダメ、うちの兄さんは騒がしいのが苦手だから、うちは貸せられないよ」



 そう言って俺が断ると、一斉に不満の声が上がった。


 実際のところ、クラスメイトたちをうちに連れて行っても、犬彦さんは嫌がったりしないだろう。

 むしろ、昔から家に友達をよぶと犬彦さんは喜んだ。

 友達がいっぱいいるのは、いいことだといって。


 でも、こいつらがうちに来たら、またどんな醜態をさらすはめになるか、わかったもんじゃない。

 リスクは回避すべきだ。


 そのまましばらく、ぶうぶうと文句を言われていたのだけれど、ありがたいことにチャイムの音が鳴って、俺を囲んできた女子たちは、自分の席へと帰っていってくれた。


 助かった…。

 もう少しで、クリスマス不敬罪に処されていたかもしれない、あぶなかったぜ。


 教室に先生が入ってきて、次の授業がはじまる。

 机のなかから、教科書を引っぱり出しながら俺は思った。


 それにしても、もうクリスマスの話をするような時期なのか。

 これからどんどん寒くなっていくんだろうな。


 クリスマスのいいところといったら、やはり、ケーキが食べられるところだろう。

 それからチキンも大切だ、今年はどこの店で予約をしようか。

 確かに、早めにクリスマスの準備をするということは、大事なことかもしれない。


 クリスマスについて、あれこれ考えをめぐらせていたとき、ふっと俺はあることを思い出した。


 それは、懐かしい思い出だった。


 過去のある出来事が、水の底からゆっくりと空気の泡が浮上してくるみたいに、俺の記憶によみがえってきたのだ。


 なんらかの事件に巻き込まれることになって、探偵気取りで推理をする…なんて機会は、あのときだけだろう、これまでの人生では、そんなこと無かったんだから…と、思っていたけれど、そういえば前に、一度だけ、あったんだった。


 推理をして、誰かと戦うという経験が。


 あのときと、前回の事件では、なにもかもが全然違うけれど。

 あの出来事を、もう一度思い出してみよう。


 そうすれば、いま俺がうじうじと悩んでいる問題の答えが、みつかるかもしれない。

 もう眠たくはなかった、だけど、俺はまたゆっくりと目を閉じる。


 それは、今年の春の出来事だった。

 

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