嫌いな場所へ
王との対面
目を開けると,朝がきていた。知らない部屋で制服を着て立っている。これから学校へ行く。そう思うと胸の奥深いところがくすぐられているようにむずがゆい。ださい学生かばんを持って,玄関へと向かう。
「おはよう。もう行くの? 具合は大丈夫? 無理しないでね。朝ご飯はどうする?」
朝から鬱陶しい。中学生相手にいちいち今日の具合とか朝ご飯のこととか聞く親がいるのかと思うとぞっとした。もう行くから,と呟いて玄関のドアノブに手をかけた。ちょっと,と言ってきょとんとしているおばさんとはあえて目を合わさずに家を出た。
自転車に乗って適当に道を進んでいると,同じ制服を着た中学生がいた。真面目にヘルメットをかぶって学生かばんをバンバンに膨らませているのは一年生だろう。顔つきにまだおぼこさが残っている。
「おい。今からどこに行くんだ?」
どすの利いた声で話しかけたつもりだったが,喉から出たのはソプラノだった。
それでも一年生にはその横暴な物言いが効いたらしい。ドギマギしながら「南中です」と答えて立ち漕ぎで逃げるように去っていった。その方向に向かって自転車を漕いでいると,だんだんと同じ制服を着た生徒が増えてきたので学校までは迷うことなくすんなりと着いた。
教室に入るまでにずいぶんと苦労した。場所が分からないのはもちろんだが,自分が何組なのか,靴箱のどこに上履きがあるのか,ありとあらゆることが分からなかった。小ばかにしたような顔で近寄ってきた男に,「下駄箱はどこあるんだ?」と聞くと,おそるおそる場所まで案内してくれた。助かった,とお礼を伝えると,急ぎ足で教室に続く階段を駆け上がっていった。そいつの取り出した上履きは,自分と同じクラスのものから取り出したものだった。きっと教室に上がるとあのキュウリのような顔をした親切な男がいる。これからはあいつを頼ればいいと思うと気が楽だった。
教室に入ると,目の前に二つの影が立ちはだかった。こいつが王だと気付くのに時間は必要なかった。
目の前には二人の男が立っていた。一人はニヤニヤとした小者感がたっぷりの襟足が地面につくんじゃないかというほど長い男。もう一人はまるで雰囲気が異なっていた。さっぱりとカットされた髪の毛は陰湿さをまるで感じさせず,きれいにアイロンのかけられたシャツは足を長く見せるすらっとしたズボンの中に納まっていた。彼の制服は間違いなく他の生徒と同じものではあるが,まるで別の物を身に付けているようだった。
「よう。久しぶりだな。身体は良くなったのか?」
ボスに間違いないこざっぱりとした方が穏やかの表情で話しかけてきた。ただ,その目は冷たかった。顔は笑っているが目が笑っていないお手本の表情だった。
「だれだよお前」
教室の中が凍りついたように固まった。教室にいる人間はみんな,自分たちのおしゃべりや宿題をこなす作業に没頭している振りをしながら,おれたちのやりとりを注意深く見ていた。久しぶりにやってきた華奢で病弱な男が退院したと思ったら大きな口を叩いているのだ。肝を抜かしているに違いない。参考書を持って勉強していた男は,本を落としたことも気付かないくらいの驚きようであほ面をして目を見開いてこっちを見ている。
「病み上がりで大丈夫か心配してやってるって言うのに,ずいぶん偉そうな口をきくんだな」
人を見下したような笑みを浮かべて,金魚の糞のようにボスに従っているだけの男が顔を近づけてきた。よく見なくても不細工な顔をしているこの男は,まじまじとみると余計に滑稽だ。のっぺりとはんぺんを思わせるような低い低い鼻の横にはおおぶりのほくろがある。しかも,そのほくろの中央からは一本,情けなく毛が伸びている。口からはガムの甘ったるい匂いと発酵食品の匂いを発しており,思わず顔を背けたくなる。ここで顔を背けると,まるでびびっているみたいだから顔を少し下げながらこのチンアナゴみたいな容貌の男を見据えた。
「朝から納豆食ってきただろ。そのせいかもともとか知らないけど,くさいんだよ。もっと離れろ。隣のクラスぐらいまで」
始めは言われた意味が分かっていないのかきょとんとしていたひょろ長の男は,隣のボスがくすくすと笑い始めってから数秒後に,チンアナゴは顔を真っ赤にして怒りだした。ずいぶんと頭の回転が鈍いやつだ。
「黙って聞いてたら好き勝手言いやがって。痛い目見たいのか?」
「痛い目は見たくないし,出来ればお前の顔を見たくない。早くどこかに行ってくれないか? それか,素敵なほくろに生えた毛を処理してきてくれ。縁起物として残しているのかも知れないが,見ている方は不快なんだよ」
ぶっ殺してやる,と肩を怒らせて今にも飛びかかりそうな勢いで近づいてきた。近くにいた人は巻き込まれることを避けるために夕立にあったありのように一目散に散らばった。
「もう一回入院しやがれ」
飛びかかってきたチンアナゴの右腕を外側にはじいて,よろめいたところを後ろから首根っこにチョップを入れた。チンアナゴはふらついてそのまま地面に伸び上がった。
ボスは目を丸くしてこちらを見つめている。肩のラインが綺麗に出ていて埃ひとつついていないその制服は,きっと変えるとすぐ上等なハンガーに掛けられ,丁寧にブラッシングされているのだろう。胸元には相良龍樹と書かれた名札が付いている。
「入院中,とてつもないトレーニングをしたんだな。まるで同じ人間とは思えない」
「未だに頭は痛いし,身体は思った通りに動かないよ。朝からブスを拝んで吐き気までする」
龍樹は笑みを浮かべたまま何も言い返しては来ず,チンアナゴのところでかがみ込んだ。「悠平,起きろ」と頬を叩きながら声をかけている。悠平っていうのか,チンかニョロが妥当なあだ名だな,なんて思いながら自分の席を探していると,キノコ頭との約束はふと頭をよぎった。
「なあ,龍樹って人、さっきのおれの行動は正当防衛だよな? 別におれから手を挙げたわけじゃないから問題ないよな?」
「別に何もしないよ。仕返しが怖いって訳でもなさそうだけど。もしかして,指導が嫌だとか?」
「いや,お前達がおれは悪くないという認識なら問題ない」
チャイムが鳴った。問題は解決したので,三つ空いている席の中の一つに向かった。後の二つには荷物や教科書が置きっぱなしになっているので,龍樹とニョロのものだろう。教室にいる全員が,鳩が豆鉄砲を食らったみたいにあほ面を浮かべてこちらを見ていた。
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