二章 第十七話「ひとりきりの夜」
デュランダル本部に帰還したエルキュールは、今までに集めた情報をさっそく纏めにかかった。
机の上に紙とペンを用意。改めて、アマルティアについて分かったことを整理する。
アマルティアは世界に反逆せしイブリス至上主義団体。構成員の魔人、魔物の総数は不明だが、幾つかの幹部がこれを取り仕切っている。
具体的な活動としては、リーベの街の襲撃、汚染が挙げられ、リーベに対し強い敵愾心を持っていることが、彼らとの接敵の中で判明している。
さらに上の次元において、アマルティアはより大きな、圧倒的な力を持つ存在を復活させることを試みている模様。その正体は謎に包まれていながら、魔王ベルムントという意味深長な名称を持つ。六大精霊のうちの一つ、闇精霊ベルムントと寸分違わぬ名前を。
六霊教の教義とアートルムダールの歴史を踏まえると、闇精霊の実在は明らかなものであり、アマルティアもそれに注目していると思われる。
幹部であるディアマントが土精霊ガレウスの遺物を擁し、アマルティアとして活動していたことからも、この視座は有用である可能性が高い。
して、この仮説に至った矢先、特別捜査隊の協力者となったジェナ・パレットから新たな情報があった。曰く、聖域を守る六霊守護の祖父母と連絡が取れなくなったと。
魔物の活性が著しい現在の状況に重なっての断絶。これは特別捜査隊として調査するべき案件だろう。
「……以上の調査内容に基づき、光の聖域が鎮座しているというアルクロット山脈一帯への出動許可を要請する。と、こんなところか」
紙に纏めた報告を見直し、エルキュールは長い息を吐いた。
疲れを感じづらい魔人の身体であっても、慣れない仕事にはかなり精神を削られた。文字を辿る視線は透き通るようで、次第に意識が遠のいていく中、どうにかエルキュールは書類に不備がないことを確認し終えた。
「持っていこう」
書き終えた報告書を携え、宛がわられた部屋を出る。夜も更けていた。
エルキュールが借りている部屋は、デュランダル作戦執行部の者が住む寮の三階に位置していた。そして角部屋である自室からの数部屋は空き室とのことで、普段は気兼ねなく利用しているエルキュールだったが。
「この時間だと共用部分を通っていくのも気が引けるな……」
作戦執行部に属しているとはいえ、エルキュールが受け持つ特別捜査隊は他とは独立して存在する。故にエルキュールも他部員とはほとんど接点がなかった。
長年の生活で染みついた癖なのだろう。エルキュールは廊下から行かず、設えられた柵から飛び降りることを選んだ。音を立てないように着地し、暗がりのなか事務棟を目指す。
とはいえデュランダル全棟はもれなく消灯していた。日中は事務棟に控えているグロリアも恐らくは寮の中だろう。それだけの夜更けだった。
エルキュールは気にした風もなく事務棟の前に立った。それから扉横にあったメールボックスなる箱の中に、持ってきた報告書をスコンと入れる。
宛先にはもちろん、グロリア・アードランド事務部長の名を指定した。できるだけ早く、このことは上に知らせたかった。
さて、ともあれこれで無事に投函。となると、後は人々が活動する時間帯を待つだけ。
眠りを知らないエルキュールはそのまま踵を返し、あてどなくふらふらと奥の方に歩き出した。あの殺風景な部屋は、どうにも好かなかったのだ。
髪先を撫でる夜風に誘われ、ぽつぽつと歩を進めると、記憶に新しい場所に辿り着いた。
眼前に広がる花のアーチ。色とりどりの植え込み。稼働をやめた噴水に、寂しく夜に映る公園。オーウェンに連れられ案内された時に通ったあの場所であった。
特に意識することもなく、中へ入る。そして冷える夜にも構わず、当然のようにベンチに腰かけた。碌な思考も判断もない。さながら魔素に群がる魔物だった。
ぼんやりと空を見上げ、星と草花で瞳を満たす。人の影などまるでない、静かな空間。それが、酷く落ち着くのであった。
そして思いだす。
かつて家族の穏やかな寝息を聞きながら、しめやかなヌールの街を眺めていた日々を。
出会ったばかりの夜、アルトニーでグレンとジェナと交わした言葉を。
追憶の夜といま見上げるミクシリアの夜が重なり、その全てが愛おしく感じられた。
だが、それも束の間のこと。夢想に散ったエルキュールの感覚は、冷たい夜風に攫われ現実に引き戻される。
「……ああ、ひとりだ」
呟いて、困惑する。
覚悟を以てヌールを発ち、グレンに救われた時もそうだが。絆を得る分だけ、それが覆い隠されたとき余計に寂しくなるものだと、この頃は特にそう思わされる。
離れて、寄り添って。ならば次は。
もしグレンらやデュランダルの者に対し、アヤたちと同じだけの愛着を持ってしまったら。彼らがエルキュールのために傷つくことになってしまったら。
エルキュールはどうするのだろうか。また逃げるのか。それは赦されないだろう。では共に立ち向かおうとするのか。そこで魔人であることが周囲に知れたら。
「違う、そうではない……!」
巡る思考を遮るように叫び、堰き止める。
こんな思いに身を委ねても、果てしなく、意味のないことだ。今は来る日の遠出に備えるべき時間であるのに。
数え切れないほど過ごした夜が、不思議とエルキュールの心を逆撫でる。
問題ない。気分を改めようと、エルキュールは懐からデュランダルの記章を取り出す。ここを出たときには四つもあったが、今となってはこの一つしか残されていない。
グレンも、ロレッタも、ジェナも。捜査隊に加わった。アルクロット山脈の調査に同行すると約束したのだ。
先ほど感じたのは、単なる気の迷いに過ぎない。近頃はひとり思索に耽る暇すらなかった分、揺り戻しがきただけだと前向きに捉えるべきだろう。
エルキュールは大きく息を吐いた。
「……まったく、こんな所で心を乱すなんて、先が思いやられるな」
などと自嘲してみれば。心に巣食っていた影もすっかり消え去って。
やがて完全に平静を取り戻し、座ったまま目を瞑った。
それから、エルキュールはただひたすらに待ち続けた。ヒトらしく在れる朝を。
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