二章 第十六話「ラストピース」

 エルキュールらは時間通りにミーティスに到着した。

 ガラス張りの壁に仕切られた店内には、昼食時を過ぎたにもかかわらずそこそこの客で賑わっている。忙しなく動く給仕、彩りを添える観葉植物とすれ違って奥に進むと、広々としたテーブル席を一人っきりで占有しているジェナの姿が見てとれた。


「良いご身分じゃない、ジェナ。そんな風に伸び伸びと寛いでいるなんて」


「あ、ロレッタちゃん。来てくれたんだ……って、エル君も一緒なの? 久しぶり、でもないか」


「一週間と少しだけだ。俺も縁があって居合わせたんだが、同席しても構わないか?」


 突然割って入ったことは心苦しかったが、ジェナは微笑みながら了承してくれた。二人を向かいの席に招く。


「本当はカウンター席でも良かったんだけど。友達が来るって言ったらこの席を使っても大丈夫って言われて……」


 王都に平和を取り戻した功労者に認められた特権だということか。もしくは六霊守護の家系が尊ばれているのかもしれない。


 しかし、エルキュールにはそんな有難い便宜よりも、いつになく落ち着いた態度に見えるジェナの方が気がかりだった。まさか本当は同席して欲しくなかったのか。遠慮がちにロレッタを見ると、視線がぶつかる。彼女も、この可愛らしい魔術師の異変に気が付いたらしい。


「どうかしたの、ジェナ? 随分と静かじゃない。近頃は会うたびに、精霊様をもっと敬ってとか、危ないことばっかしないでとか、まるで姉みたいにお節介な言葉を口うるさく掛けてくれていたというのに」


 気遣いとは程遠い冷たい言葉だが、ロレッタの不満そうな顔を見れば分かる。これは単なる照れ隠しだと。こういったときに直截な表現を不得手とする彼女の性格を、エルキュールも次第に理解し始めていた。


 そしてそれはジェナも同様で。呆気にとられた表情から一転、ころころと噴き出してしまうのを手で押さえながら笑っていた。


「もう……私は心配で言ってるのになぁ。でも、ありがとうね。そう言ってくれて」


 いつの間にやら頼んでいたらしい、フルーツジュースがジェナの前に到着した。ロレッタの前には珈琲。どうやらジェナが先んじて注文していたらしい。

 とはいえ、飛び入り参加のエルキュールの分はもちろん用意されているはずもない。「しまった」と痛恨を滲ませるジェナに構わず話を続けるように伝える。

 今日だけで、ハーブティーも紅茶も頂いている。これ以上は飽きてしまいそうだ。

 エルキュールが気に留めていないことにジェナは胸を撫で下ろしたようだが、すぐにそれも翳ってしまった。


「元気がないように見えちゃったのならごめんね。私がこんな感じだと、あなた達に余計に気負わせちゃいそうだけど……私の話、聞いてくれるかな?」


「言っておくけど、ここまでわざわざ来ておいて、珈琲一杯飲んで帰るだなんてあり得ないわ」


 相変わらずの二人。つくづく良い関係を築けているものだと、エルキュールは暫し羨望に駆られた。

 年の近い同性ゆえか、短期間で見事に打ち解けている。

 どこか浮ついていた思考を切り替え、エルキュールもロレッタに倣って話を促した。


 ジェナは声を潜めた。


「えっとね、これはあまり口外しないでほしいんだけど……私たちの一族、六霊守護に関係しているの」


 都合がいい、というより、エルキュールにとっては奇妙な符合であった。魔王、精霊、六霊教と辿っていった先で、ちょうど調べようと思っていたことだった。


「オルレーヌ南東にあるアルクロット山脈、そこの中腹に位置するソレイユっていう村が私の故郷で、光の聖域を守るイルミライト家の拠点でもあるんだ」


「イルミライト? 確か君の苗字は」


「パレットは、父方の旧姓なの……本名で名乗ると、色々と面倒で」


 ジェナの双眸、その輝きがたちまち暗くなる。エルキュールは口を挟んでしまったことを反省した。かつて彼女の身の上を聞いたときにも感じたことだが、そこはあまり触れられたくないところなのだろう。


「ここでの事件がひとまず落ち着いてから、実家と時々連絡を取り合ってたの。あの魔人が持っていたシャルーアの処遇について、当代六霊守護である祖父と祖母の代わりを務めるためにね」


「結局、シャルーアは新たな守護者が見つかるまでは王国騎士団が管理することになったのよね?」


「下手に遺物を動かすこともよくないし、他の六霊守護も自分に与えられた役目をこなすので手一杯だもん。帝国側の心証はちょっと悪いみたいだけど、仕方ないかな。今のヴェルトモンドは、もう昔とは違うから……」


「ああ。デュランダルが俺を使いたがるのもそういうことだ」


「そういえば、エル君はデュランダルに入ったんだ。王都の復興のときオーウェンさんとかと行動していたのが多かったから、まさかとは思ったけど」


 エルキュールは改めて、自分の所属と、ロレッタとグレンが隊員になったことを伝えた。

 既にグレンも捜査隊に加わっていたことを知ったロレッタは、分かりやすく不機嫌な顔になっていたが。エルキュールとしてはこの件を聞いたときに見せたジェナの翳りの方が気になっていった。やはり、今日の彼女はどこかおかしい。


 しかし、これ以上この話を続けても得はないのは確かだろう。ジェナに最初の話に戻るよう勧めた。


「あ、そうだったね。えーと……私はここ暫くの間、六霊守護の代わりとしてソレイユ村に近況報告をしていたんだけど。それが、昨日あたりから連絡が取れなくなって……」


 曰く、連絡には光魔法ビジョンを介して、祖母と直接会話していたらしいが、何の前触れもなくそれが途絶えたこと。場所や時間を変えて幾度も試したが、一向に繋がらなかったこと。そして、このようなことは、今までただの一度もなかったこと。


「忙しいとか、体調の問題とか、可能性はあるけど……でも、もしものことがあったらと思ったら、私……!」


 その瞳に滲んだ雫を見て、エルキュールはようやくはっきりと分かった。

 ヌール、ミクシリアと、アマルティアの活動は次第に激しくなってきている。無論、そこで失われる命も、その数を増していた。

 アマルティアの目的は判然としないが、ディアマントとの邂逅を経て手がかりは得られた。


 即ち、魔王。その復活こそ、彼らが推し進める反逆の極致なのだろう。

 ジェナは恐れている。聖域を守っているイルミライト家が、故郷であるソレイユ村が、魔の手に陥り潰えてしまわないか。

 その大きすぎる不安は今、この華奢な少女の双肩にのみ圧し掛かっている。六霊守護として一人前になる修行中の身であるゆえか、元来の純粋で生真面目な性格ゆえか。ここまで一人きりで抱えてしまっているのだろう。


 先ほどロレッタにも感じた、憐みのような何かが、エルキュールの心を満たす。力になりたい。魔物が関係しているというのならば、なおさら。


「まずは落ち着いてくれ、ジェナ。このことは、俺たちの他に伝えているか」


「……ううん」


「ならば、騎士団に話してみるのはどうだ? もちろん大っぴらにではなく、騎士団長や特別補佐官のみに留める形で」


「そうね。この非常事態に精霊に纏わる話を広めても碌なことがないもの。ディアマントのオリジナルがかつて聖域に立ち入ったことを思うと、あまり意味はないかもしれないけれど、用心するに越したことはないわ」


 迷うことなくロレッタも追従した。

 デュランダルや他の組織と違って、騎士団は王国の至るところに駐在している。連絡が取れない現状でも、彼らの情報網を以てすれば何か掴めるかもしれない。


「で、でも……騎士団も今は十分に動けないだろうし、仮にあっちで何かあったら、どうしたら……」


 なおも晴れないジェナの不安。先に切り込んだのはロレッタの方だった。


「……貴女、何を言っているのよ。まさか故郷が危険に曝されているかもしれない状況で、ぜんぶ他人に任せきりにするつもりじゃないでしょうね」


「え……」


「六霊守護なのでしょう? 魔術師なのでしょう? 王都が襲われた時にだって貴女は勇敢に戦った。なのに、どうして今はそんなにうじうじしているの?」


 責めるような口調だったが、エルキュールは止めようとは思わなかった。その真意など、もはや考えるまでもない。


「奪われたくないのなら、守りたいのなら、戦うしか道はないわ。出来ることはやりきりなさい……貴女はまだ間に合うのだから」


「そうだけど……でも、私が帰ったところで……」


「君だけじゃない、俺たちもいる。これ以上、魔物の好きにさせないためには、ここは急いで行動するべきだろう」


 アマルティアの捜査は、人々の安全を守るため行われる。そしてその人命が脅かされようとしているのなら、エルキュールにも迷う余地はなかった。


「もう一度、あの時みたいに戦わないか、ジェナ」


 エルキュールは懐から記章を取り出す。不滅の刃を象った、デュランダル特別捜査隊の証明たるもの。

 その最後の一つをジェナに、激励を込めて。

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